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仕事人間のわたしがうつになったお話
はじめまして。このブログでは、日々の出来事や考えたことを日記形式で綴っていこうと思います。私は社会人10年目を迎えたタイミングで、うつ病を経験し、現在は関連会社へ出向中です。そんな私の自己紹介と、今の生活、そしてこれからのことについて書いてみようと思います。
初投稿となる今回は、仕事人間だったわたしが「うつ病」と診断されるに至った経緯についてのお話です。
仕事とこれまでの経緯
2000年4月、私は、地方の金融系の会社に入社しました。入社後は、支店の法人営業担当となり、先輩や上司、お客さまに叱られる日々でしたが、不思議とつらいと感じることはなく、がむしゃらに走り続けていました。
ふと気が付けば、叱られるよりもほめて頂いたり、「あなたが担当ならば」と契約をいただくことも多くなり、社内での評価も上々でした。50人いた同期入社の中でも、出世争いではトップグループに位置し、順風満帆で充実した日々を過ごしていたのでした。
社会人として10年が経った節目の年に、私の社会人生活にとって大きな転機が訪れます。それまで支店での法人営業しか経験してこなかった私が人事異動を告げられた配属先は、本部の、しかも事務を統括する部署だったのです。
人事異動はそれまで何度も経験してはいましたが、まったくの畑違いの部署への配属に戸惑いを感じつつも、「なんとかなるっしょ」、そんな気持ちのほうが大きかったように思います。今思えば、正直「天狗」になっていたのでしょうね。
新天地での業務は、想像以上に過酷でした。新入りで、しかも経験のない業務ですが、新しい私の「お客さま」である支店の職員にとっては、そんなとこは知ったこっちゃないのです。イレギュラーな事態に遭遇し、お客さまを目の前にした「お客さま」にとって、私たちは最後の頼みの綱なのです。そんな「お客さま」に過去の自分を投影し、期待に応えなければ、裏切ってはいけない。そんな思いから必死に業務について勉強し、上司・先輩・後輩を捕まえて質問攻めにする毎日を過ごし、2ヵ月が経とうとした頃には、「お客さま」からの電話におびえる私はもういなくなっていました。
次第に重要な業務も任されるようになり、この部署でやっていけると自信がついてきたその頃、とあるミッションが言い渡されました。
”支店の事務ミスを「0」にしろ”
人間である以上、ミスをしない者はいません。データによると、全業務量に対する事務ミスの割合は概ね5%程度。これを「0」にしろというのです。もちろん「0」というのはあり得ないことは上司も理解しています。経営陣からの要求は事務ミス率をせめて1%程度まで低減させろということでした。しかも「3ヵ月で」です。
”無理だ”
今まで色んな困難に直面してきましたが、この時ほど絶望的に感じたことはありませんでした。私の手元にある材料は、「真因分析報告」と名付けられた、「意識が低かった」「チェックが機能しなかった」「業務知識不足」などが羅列された大量なデータだけでした。「なぜ意識が低かったのだろうか?その日は体調が悪かったのではないか?」「なぜチェックが機能しなかったのだろうか?慣れ切った業務でチェックが形骸化していたのか?信頼できる部下の仕事だからといってチェックを行わなかったのだろうか?」「業務知識が不足していることを上司は認識していたのだろうか?知識不足を補うための研修制度は整っていたのだろうか?」様々な考察が頭の中を駆け巡るだけで、業務はいっこうに進みませんでした。
そんな私の様子を見かねてか、上司が私にかけた言葉は「深く考えるな」「スローガンを掲げて支店に事務ミス「0」の計画を立てさせ、結果を報告させなさい。君はそれを集計して体裁を整えるだけでいい。」
金槌で頭をぶん殴られた気持ちでした。「そんなものは問題解決につながらないだけでなく、支店の業務を縛り、むしろ事務ミスが悪化するじゃないか」その日から眠れない日が続き、食事も喉を通らなくなり、視界はどんよりとした曇り色となっていきました。
衝撃をうけたその日からおよそ2週間が経とうとしたとある月曜日の朝、出勤の準備を終え、玄関のドアを開けようとした瞬間全身の力が抜け、座り込んだまま動けなくなってしまったのです。そのあとのことは正直あまり記憶がありません。後から聞いた話によると、連絡もなく、定時になっても出勤しない私に上司は何回も電話をかけ、それでもつながらないことから、一人暮らしをしていた私のアパートへ安否の確認に駆けつけてくれたそうです。会話が成立せず、うつろな目で座り込んでいた私の異変を目の当たりにした上司は、会社の保健師へ連絡をとり、保健師の指示のもと、私を心療内科連れて行ってくれたのだそうです。
心療内科での診断は「重度のうつ状態」でした。
おわりに
初投稿には似つかわしくない、重たく、暗いお話になってしまいましたが、今の私を語るには、避けて通れないお話でしたので、ご容赦ください。
次回は、うつとの闘いの話になります。回復と悪化を何度も繰り返し、いかにしてこんにちに至ったのか。その経過を綴りたいと思います。
願わくば、今現在、あのころの私のように何かに悩み、苦しんでいる方々のうちの一人でも、「自分一人ではないんだ」と心の励みになれば幸いです。
Fin
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