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すべての男性に、江國香織さんの「おっぱい」を読んでほしい。

「おっぱいがおおきくなればいいとおもっていた。」

この言葉に、はじめて、女性の本心を知った気がした。


先日、「スラム街のゲイバーに拉致監禁されたことを想像して。」というエッセイを書きました。

男性に、女性の気持ちを少しでも体感として持ってほしいと思って書いたもの。


で、今回もまた、男性に伝えたいこと。

そのきっかけは、ぼくが高校生の頃に出会った詩でした。


高校生のぼくが出会った「おっぱい」

ぼくが高校生だった頃、大好きな作家がいました。


江國香織さん。


辻仁成さんとの共作『冷静と情熱のあいだ』も夢中で読みました。

映画も観ました。

江國香織さんの作品には、いつもどこか切なくて、でもまっすぐで、強い気持ちが込められている気がしていました。

そんな彼女の詩集『すみれの花の砂糖づけ』を読んだとき、ぼくは衝撃を受けました。


タイトルは「おっぱい」。


当時のぼくにとって、その言葉はどこか直接的すぎて、内容を想像するだけで少し恥ずかしかったのを覚えています。

でも、詩を読み進めていくと、胸を締めつけられるような思いになりました。

「おっぱい」の詩に込められた思い

詩の冒頭は、こう始まります。


「おっぱいがおおきくなればいいとおもっていた。」


女の子が自分のカラダに対して抱く、まっすぐな願い。

外国映画の女優さんのようになりたい、素敵な洋服が似合うカラダになりたいという憧れ。

そこには、何の疑いもない純粋な気持ちがあります。

でも、続きの言葉はぼくを打ちのめしました。

でもあのころは
おっぱいが
おとこのひとの手のひらをくぼめた
ちょうどそこにぴったりおさまるおおきさの
やわらかい
つめたい
どうぐだとはしらなかったよ。

江國香織『すみれの花の砂糖づけ』

女性が自分の身体をどのように見られてきたのか。

その視線に、どう向き合ってきたのか。

高校生だったぼくには、そのリアルが重くのしかかりました。


女性が、自分のカラダを、男性のための「どうぐ」として感じざるを得ない瞬間があるということ。


そのことを、この詩は淡々と、そして、痛烈に伝えてくるんです。


すべての男性に読んでほしい

この詩を読んで、ぼくは自分のこれまでの欲望に恥ずかしさを感じました。

当時のぼくも、いや今の男性の多くも、女性のカラダを、つい自分たちの目線でしか見ていないことがあります。


女性がどう感じているのか、何を考えているのか。


その視点に立たないまま、身勝手な欲望の視線を、女性の胸元に注いでいる。

そして、それに気づきもしないまま、無意識に女性を傷つけている。


江國香織さんの「おっぱい」は、そんな男性たちの無知や鈍感さを、静かに突きつけてくる。

もう、反省しかなかったです。


生身の女性の、純粋な本心に気づくために

だからこそ、この詩を男性に読んでもらいたいんです。

女性がどんな風に、自分のカラダを受け止め、見られてきたのか。

その視線にどう向き合っているのか。


この想像力を持つことが、男にとっての大切な責任。


恋愛においても、日常生活においても、女性の気持ちを理解しようとする姿勢は欠かせません。

「おっぱい」という詩が伝えるのは、ただ女性のカラダに対する見かたを変えるだけではないです。

女性の心に向き合い、その想いをリスペクトすることの大切さです。


男性がすべきこと

ぼくは、高校生のときにこの詩に出会えて良かったと思う。

あの詩に出会わなかったら、女性の気持ちについて考えるとこ、そして、今も思い起こすこともなかったかもしれない。


男として、女性とどう接するべきか。


それは、女性の気持ちや視点を理解しようと努めること。

そして、自分が無意識に持っている偏見や思い込みに気づくこと。


詩の最後の締めくくりはこうつづられています。


おっぱいがおおきくなればいいとおもっていた。
おとこのひとのためなんかじゃなく。


江國香織さんの「おっぱい」は、その一歩を踏み出すための詩として、多くの男性に読まれてほしいと思います。


関連リンク:江國香織さん「おっぱい」


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