こんなダンスご覧になったことありますか?
このダンスのお話の前にカッパドキアのことを少し・・・。
その奇岩、景色・・・、私がノルウェー、オスロで入院した時のことでした。同じ部屋にいた女子大生が雑誌の中で見つけたカッパドキアの写真を指差しながら,いつかそこへ行きたいと言っていたのです。
そんな不思議な景色、私もその時、初めて見たのです。そんな変なところに人が住んでいるなんて、私も行きたい、見たいと返事をしたのですが、その後、2、3年足らずで、実際、その地に立つとは思ってもみませんでした。
その女子学生と話をした時、カッパドキアの奇岩群が知られるようになったのはそんなに昔のことではないと、聞いたような気がします。
洞窟ホテルで泊まることができる、と聞いたのはそのツアーの数年後でした。私たちはカッパドキアではなく、近隣のコンヤという町に宿泊しました。
コンヤとは神秘宗教系教団(旋舞というぐるぐる回る踊りが特徴です)メブラーナ(メフレヴィーともいうそうです)の本部があった宗教都市です。だからでしょうか、この町にはモスクが都市の規模に比して多いのでは、と感じました。しかも大きめ&新しいのです。この町のことは宗教が強い分、中央政府にとっては厄介な町だと思われているのだそうです。
コンヤは11~13世紀セルジューク・トルコの首都がおかれていたところです。
その夜、宿泊していたホテルであのぐるぐる回るお坊さんの舞踊(セマーと呼ばれます)を見ました。もっとも、そういう踊りを見せているのは本当のお坊さんではなく、それは単にショーであってダンサーが見せてくれているんだと後で聞きましたが。バレーなどとは、また、違った雰囲気で静かな迷走の世界に私も引き込まれそうな感じがしました。
これはツアーの料金に含まれていませんでした。オプションでした。真っ白なだぼだぼのくるくる回ると大きく広がるフレアー様のスカートをはき、茶色いトルコ帽をかぶり、だぼっとしたまるで女性用のブラウスのように見えるシャツを着ていました。お坊さんはえんえんとそのまま永久に回り続けるのではないか、というくらい回っていました。何を迷走していたのでしょうか。それともそれは単に演技であって何も考えていないのか。私は勝手な想像をしていました。
星や地球など、万物は回転しているという思想から、自らも回転することで万物と一体化し、神との合一の境地に達することができるとメヴラーナは言った、それがセマーなのだそうです。
セマーは迷走、音楽、詩に旋回が組み合わされた礼拝儀式。その回る舞踊をするセマーゼンになるには最低5か月の修業が必要だそうです。練習用に打たれた杭に左足の親指と人差し指をかけ、滑り止めの塩を使って旋回する練習をするのが習わしだと聞きました。
セマーゼンがかぶっているフェルトの帽子のことをシッケと呼ぶのだそうです。長さが45~50cm、バケツを逆さにしたような形をしています。この独特な形は墓標・墓石を意味しており、この帽子で耳まで隠すことにより、何も聞かずに神への旅を始めたことを表しているのだそうな。
そして、白く長く裾が広がった長衣をテンヌレと言うのですが、この白く長い衣は死体に巻く白い布に似ていることから死を象徴しているそうです。後に、約800年の歴史を持つ旋回舞踊セマーは2008年に「メルヴィー教団セマーの儀式」という名前でユネスコの無形文化遺産に登録されたと聞きました。
セマーの行い方を学びました。次の通りです:
1 最初は手が反対の方に着くように腕を胸の前でクロスさせる。これはアラビア文字の第一番目の文字、すなわち「アッラー」の頭文字を表している。
2 ゆっくり回り始めながら、両手を広げます。これは「ラー・イラーハ・イラッラー・アッラーのほかに神はなし」の最初の「ラー」のアラビア文字を表している。
3 両手をゆっくり上にあげる。右手のひらは神の恩恵を受けるために天=上に向け、左の手のひらは神からの恵みを皆に分配するために地=下へ向ける。
4 左足を軸に右足で円を描くように時計と反対に回り(左回り)、1回で一周360度回ります。心臓の方へ回ることで、ここおから宇宙を抱きかかえることを意味します。これは聖地カーバ神殿において巡礼の回る方向と同じだそうです。
5 頭は右に20~25度傾け、目は半目でひだりての親指を見ます。地軸と同じ角度に頭を傾け一点を見ることで目が回らないのだそうです。
6 神の息を象徴する「ネイ」という縦笛の旋律に合わせながら起点することでの万物と一体化する。
セマーが行われる場所「セマーハーネ」は円形で宇宙を象徴しているため、中心地は土足で踏んではならないという決まりもあるそうです。
私達はコンヤで本場の踊りを鑑賞できたわけですが、そこまで行くことができないという人たちはイスタンブールの「ガラタ・メヴラーナ博物館」でも見ることができると聞きましたところ。そして、そこでハメヴレヴィー教団の修道生活跡を垣間見ることができるそうです。
そこは1491年にけんせつされたメヴレヴィー教団の修業場で1791年にオスマン帝国皇帝セリム世によって再建されたのだとか。この博物館は新市街のガラタ塔イスティックラル通りの間にあります。
コンヤはメヴラーナが40年過ごし、息を引き取ったところ。メヴレヴィー教団はメヴラーナの死後、今夜コンヤで創設されました。コンヤではメヴラーナの命日、12月17日を記念して、毎年12月7日~17日までの10日間を「メヴラーナ週間」として、最大にat催しものが行われ、世界中から信者が訪れると聞きました。特に最終日の17日はメブラーナがなくなりアッラーと出会ったひとされるため、旋舞セマーが最高潮に達するそうです。
トルコに行かれたらぜひ、お勧めです。
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