My mother has gone 母は逝ってしまった・・・私は古里をなくした気分になっています
この7月29日、母は104歳の生涯を終えました。いい生涯だったのではと思います。
一度も大病をしたこともなく、入院をしたこともありませんでした。2,3年前、一度病院に行ったことは行ったのですが、半日で帰ってきました。大腿骨を骨折した時でした。
それで、入院でもしていたらもっと死期は早まっていたかもしれません。自分の意志で家で療養、生活を決めて帰ってきたのです。気丈にほんのこの間まで自分のことは自分ですべてこなしていました。友人、知人が子供孝行な母親だなんて言っていましたが。
そんな母もこの2,3週間のことだったでしょうか、不整脈があり、あまり元気でなくなってしまいました。医師には7月を越えないだろう、と言われていました。数回、ホテルに予約を入れて顔を見に行きました。
最後に出かけたのが28日、前の滞在の時より元気に見えたので、いったん家に帰って再度実家に行くことになるのか、と思ったりしていたのに急に次の日に変化があり亡くなってしまいました。
28日には目を開けたり私の声が聞こえるとうなずいたり手を握り返したり、本当に回復への謙虚な変化があったのです。それが29日の朝には急変し帰らぬ人となってしまいました。
次の日にはお通夜、そしてその次の日にはお葬式を済ませて帰ってきました。
徐々に母がいなくなってしまうことに対しては心の準備はできていたものの、やはりショックは大きいです。これからどうすればいいんだろう。
私は甘えていたのでしょうか?
母がいなくなったとたんに故郷を失くしたような焦燥感が生まれました。今では故郷は私の思い出の中だけにあるような気がします。
これから先、同じところを故郷と呼べるのだろうか、と思っています?
同じところへ今までと同じ気持ちでは帰っていけない気持ちがします。
皆さんはどうでしたか?
同居していた弟夫婦もよく世話、面倒を見ていたと思います。彼らに感謝の言葉をどれだけかけたらいいものか、私には分かりません。
家でずっと過ごせたこと、本当に母にとっては幸せなことだったと思います。
こんな時に語源もないかもしれませんが・・・。
死を意味しているdeath、しかし、語源としては death はあくまで派生語です。本当の意味で死を意味しているのはdead、正確には「死んでいる、終わっている、完璧に」といったように物事の終了をかなり強調しているのが特徴です。そもそも deadの deは否定をアピールするための接頭語であるため、この後に続く言e織、あるいみではこの葉は必ず否定されます。
例を挙げるならdeathと同じ派生語である deadline基「締め切り」がいい例です。
しかし、deadをさかのぼると「死ぬ」を示すdhew、そしてゲルマン祖語の daudazにたどり着きます。死んでいる状態が deadに関連する言葉のかなめですが、 deathの場合は語尾に、 th基「すること」という抽象名詞語尾がつくことで、状態が強調されており、あるいみではこのthも由来の一つです。
thは他にも ityなどの派生語があります。
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