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Nikeのマーク誕生のお話

すっきりしたいいデザインですよね。
このマークを作ったキャロライン・デーヴィドソンという女性はその仕事で36ドルをもらっただけだったそうです。

調べてみたらインターネットの方には35ドルと出ていました。

1時間2ドルの仕事ということで彼女には支払われたというので、36ドルのほうが正しいような気がします。

彼女は当時、大学でグラフィックデザインを専攻していました。学生のお仕事ということで安く値を付けられてしまったのでしょうか。

私はこのマークを初めて見た時、試験とかのマルバツのマルににあたるものと解釈していたのですが、このナイキのマークはNike、ニケ(ギリシア神話の勝利の女神)の彫像の翼をモチーフにしているのだそうです。

ニケってロンドンの大英博物館の2階への上がりかけに大きな像があります。

このマークはswooshと呼ばれます。

1963年のことでした。

ナイキの創始者、フィリップ・ナイト氏は最初このマークが気に入らなかったとか。

当時の常識としては、あまりにすっきりしたデザイン、ということが原因だったようです。

いいマークですよね。

このマークを作った人にたったの36ドルだけ払って、ナイキはすごいグローバル企業に発展したのに・・・と私はずっと思っていたのです。

すごい損な役割ではないですか?

さて、インターネット上でその後の話を発見することができました。

その後、世界的な大きな企業となったナイキ、12年後の話です。

フィリップ・ナイト氏はキャロライン・デーヴィドソンを食事に誘い、感謝の気持ちを伝え、彼女にはSwooshナイキのマークが刻まれたダイヤのついた金の指輪、そしてナイキの株が贈られたそうです。

そして、彼女はその時のことを次のように言ったそうです。
「私のデザインの報酬には十分すぎるもの」

めでたし、めでたしでした。

1980年代のアメリカドルってアメリカ国内ではどれくらいの価値があったのでしょうね。

私のアメリカの友人が当時、baby  sitterをすると1時間8ドルいくら、と言っておりました。

ところで、アルバイトのお話です。学生時代、アルバイトなんてしましたか?

私は高校1年の夏休み、友人5人と倉敷の缶詰め工場で20日間アルバイトをしました。

居間じゃあ、冷房も何もない工場でずっと立ちっぱなしの仕事なんて1時間も無理なような気がします。

次の年は学校からストップがかかってできませんでした。

朝から夕方まで、8時間労働だったのですが、ずっと桃の種抜きをしていました。で、いくら報酬をもらったと思いますか?

¥500です!

この金額を言うと、今どきの若い人たちは、1時間、たったそれだけ?と言ってきます。

何をおっしゃいますか!

これ1日の報酬でした。

そんな時代、彼らには想像もできないようです。日本もリッチになったもんです!


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