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日本の他のどこにもないだろうバス停の名前
こんな仰々しいタイトルにしてしまいましたが、バス停の話・・・このタイトルからはどんな話だと思われます?
昨日、県下の名所について話をしていた時、下関生まれ、下関育ちの山口県人が二人そえろってよそから引っ越してきた私が良ーく知っていることを全然知らないことが判明しておかしかったのでそのことを・・・。
下関から裏日本の萩まで行くには列車で行くかバスで行くか、あるいは自分の車で自由にどこかを抜けて山陰まで行くかなのですが、列車だと特別列車、「○○の話」という名の特急(?)が走っていてそれだと乗り換えがなく便利かも。しかし、一日に一本しかないんですよね。私たちは一度ローカル線で2回くらい乗り換えて出かけたことがありましたが、この近年はバスで行っています。2時間くらいかかりますが、のどかな景色がどこまでも広がり落ち着いて乗っておられます。
その道すがらなのです。バスの終着、長門がもうすぐという山の道で発見したのです。「てんのうさま」というバス停を。最初その名前を聞いたときは耳を、目を疑いました。しかも、てんのうさまという言葉下関の人たちは「のう」のところにアクセントを持ってくるので独特の響きがありました。
てんのうさまって聞こえたけど、誰のこと?しばらく考えて下関に由来がある天皇といえば・・・思い当たる天皇様がいました。
安徳天皇です。そして、何回かその道を通るうちに天皇陵がありそれがどこにあるかもわかりました。長門に向かっていくときにはうっそうとした木々の陰で見えないのですが、帰りの車窓からはちゃんと右手に見えました。
それにしてもそんな名前をバス停の名前にするとは・・・いいのでしょうか。前述した下関生まれ、地元で育った人たちもそのバス停、陵については知らなかったのです。
安徳天皇は壇ノ浦で二位尼と一緒に入水しました。そこまでは歴史で習いました。この地ではその後のことも伝えられています。幼い安徳天皇は彦島(下関市の西部)の漁師の網にかかり引き上げられました。その地にはモニュメントが立てられています。
安徳天皇は市内、壇ノ浦の赤間(あかまと読みます)神宮に祭られていますが、ほかにも先ほどのバス停の近く、もう一か所にもまつられていると聞いています。赤間神宮には平家一門の墓もあり耳なし芳一の墓もあります。
上の写真は赤間神宮です。
赤間というのは下関の古い地名だそうです。変わったのは明治になってからでしょうか。ここは赤間が関と呼ばれていたようです。ある大学教授が漁獲量は赤間が日本一と載っている文献を見て、おかしい日本一は下関のはずなのに、とか言っていましたが、赤間はただ下関の昔の名前だということです。
下関はやはり昔から歴史的にさまざまな重要なことが起こったようで、私の知り合いの実家、お寺さんでは何百年前か天皇家の娘さんがこの地にて亡くなってしまいその寺に祭られたため、1年だか2年おきだかに宮内庁からも誰かがやって来ての催事があるそうです。
一度、その人たちがお土産に持ってきた、と菊のご紋の入ったチョコレートを私もいただきました。
○○の話、というネーミングを私はあまり好きではないのですが、○○というところには何でも自分の好みで好きな言葉を入れればいいというアイデアで付けられたそうです。
この列車は下関から萩までの直通列車です。