多分世の中の人の大半は、「真の人間」なんかに別にならなくて良いと思っているだろう
だって今人間だし。生きているし。真の人間になったら今よりどんな得があるの?
地位、金、名誉が手に入るの?そんなに変わらないでしょ?と
はい私もその通りだと思います。
でも今はこの詩の意味が凄くよくわかります。
まず「真の人間」って?
仏教などでいう真の人間とは、贅沢をせず、怒らず、恨まず、妬まず質素に暮らし、世のため人のために自分を犠牲にして働き、嘘をつかず良い事をし、感謝の気持ちを忘れない人、という事であろう、けど、、、、
わかっているけど現実問題できないし、出来ないなら100%なりたい訳でもないし必要でもないし成れなくていいやとなってしまう。
でも私は思う、全部しなくても良い、出来なくても良い。真民さんの言っている事だけを意識するだけで今までと全然変わる。
ここで言う「真の人間」とは
立派な人間になれと言っているのではなく、「真の人間」になると生きやすくなるよと言う意味。
「真の人間」になった時の状態は
◯悩みなく生きている
◯困る事なく生きている
◯みんなに愛されて生きるている
になれる
「いや俺は地位、金、名誉の方が大事だ」と言う人もいるだろう。勿論それは正しい。
総理大臣になれば日本国民全員に影響を与える仕事ができるし、大金持ちになればそれだけ多くの人にお金を還元できる。
ただしその地位、名誉、金を手に入れてもそれを自分だけのものとし独り占めしたならば、たちまち人に恨まれ、妬まれ、人々の怒りを買うことになるだろう。しかも規模が大きいほどその見返りも大きい!
だから例え総理大臣になれたとしても、大金持ちになれたとしても、逆になれなくても、どちらにとっても必要なものが「真の人間」であるとことといっている。
「真の人間」にならないとどんな状態になろうと不幸になってしまう
「真の人間」になるためには
「着ることよりも脱ぐことの方が大事」
寒いからと厚着をすると皮膚も寒さにも弱くなる
切られないように鎧を着込みすぎると動きが鈍くなる
心の積極性を発揮するには薄着の方がいい
「知ることより忘れることの方が大事」
知識は必要で勤勉の知識は悪いことではない
マイナスの「知る」事とは、人前で大恥をかいた記憶、大失敗した記憶、病気にかかり中途半端に知識を得るとこのまま死ぬかもしれないと恐怖が襲いかかってくる。
だからそういう時に、そんな事は忘れてしまい今出来ることに専念できた方がいい。だから忘れる事の方が難しいのだ。だから大事なのだ。
「取得するより捨離することの方が大事だ」
なんでも欲しいからと手に入れていっても、次々と新たに欲しいものが出てくる。手に入れ続けてもキリがない。結局部屋が散らかり入りきらなくなり、最終的に断捨離をしないといけなくなる。
人間の欲はキリがない。手に入れても全部使いこなす事はできない。
例えば時計やバッグ。
次々新商品が登場し欲しくなり買う。
でも使うのはそのうちの数種類。結局他は部屋の肥やし。
別にそれが楽しく嬉しいのであればやっていけないわけではない。ただ永遠に金に任せて手に入れる事ができる状況が続くとは限らない。手に入れられなかった時ストレスが溜まり、あげくには恨みさえ抱くかもしれない。
そうなると心にも体にも生活にも悪影響を及ぼす。
有名芸能人を見ているとそう思う時がある
今までカリスマのように地位も金も手に入れていた人が、自分を見失い調子に乗ってしまって、権力を傘に人様のものに手を出したり、騙したり、独り占めしてしまったがために人の反感を買い、仕事を失い、家庭を失う。
こんなに不幸な事はない。
だから思う。
こういう人としての戒めの言葉や良き教えというのは、今必要なくても、自分が平常時でなくなったとき、またそうならないようにする為に、凄く役に立つ言葉なのである、と。