行動がない批判はゴミでしかない
人の意見ややっていることを批判をするのは誰にでもできるが、批判すること自体とてもダサいことだと改めて思う。批判は否定的でまったく建設的ではない。
ただ、それがいつの時代もなくならないのは、批判をするのは容易で手軽に気持ちが良くなる麻薬のようなものだからに他ならない。
もし万が一何らかの理由で批判を伴う議論をしなくてはならない場合、徹底して守らねばならぬことがいくつかある。それは、
1) 目の前で批判をする。裏で批判をしない。
2) 批判をする内容に対して調べ熟知している
3) 自分が批判した点をすでに“行動”として起こしている
上述した3点の中、もっとも大切なことは “3) 自分が批判した点をすでに“行動”として起こしている” という点にあると思う。
言い換えるなら行動を伴わない単なる批判は、ゴミをまき散らしているのと変わらない。
何度もいうが批判からは口論しか生まれず、建設的なOutputは決してでてこない。
批判ではなく意見の相違として議論を交わして、最終的にはお互い腹落ちできる結論を導き出すよう努力しなくてはならない。
そして批判に現在進行系の行動が伴っていなければ、それは単なる無責任な批判でしかないし、周りもそんな話は不愉快なだけで聞きたくはない。(これからやるもカウントされない。意思表示にはなんの価値もない。)
なので批判自体すべきではないが、もし万が一批判をする資格のある人がいるとするならば、それら条件を満たしていること。
それであれば仮に批判をしたとしても建設的な議論がまだ可能なため、結果双方にとって今とっている行動や活動を見直す良いチャンスとなりうる。
と、ここまで偉そうにつらつら書いてきたけど、正直言うと自分もできていないことのほうが多く自分で自分の耳に痛い話ですが、こうやって書くことで自戒の念と襟を正す意味を込めてみました笑
もし自分が行動の伴わない批判をしているシーンを見かけたら、ぜひ突っ込んでやってくださいw
“Any fool can criticize, condemn and complain and most fools do.” – Benjamin Franklin