オリンピックで感じた愛国心
パリオリンピック2024
私はスポーツを見る習慣がない。スポーツをプレイするほうは好きなのだが、どうも他人のプレイを見るのは少しばかり退屈に感じてしまう。
私はバスケットボールが好きだ。中学時代はバスケ部に所属し、特によい成績を残したわけではないが一生懸命にプレイをしていた。以降は部活を辞めてしまったが、公園でプレイしたり、NBAのハイライトを見たりと、なんとなく身近にバスケはあった。
そんなわけで、普段スポーツ観戦をしない私でも現在行われているパリオリンピックの男子バスケットボールを楽しく見ている。世界ランキングやこれまでの成績などを鑑みると、日本にとって大変厳しい大会になることは間違いない。ただ、日本のバスケットボールもどんどんと力をつけていることが感じられるし、昨年のワールドカップからの勢いも感じられる。とにかく楽しみであったのだ。
これを書いている時点では、すでに2試合が終わっている。結果は書かないが、二試合とも非常に良い試合で興奮した。
そんな中で感じたこと、それは自身の愛国心についてだ。
海外移住をして変化する愛国心
私は現在ドイツで暮らし始めて三年目になる。はじめは新鮮なことだらけだった海外生活も、三年も経つと正直普通である。ドイツの生活や文化、考え方にしっかりと馴染んだということだろう。
移住したての頃はより日本人としてのアイデンティティを強く持っていたように感じる。それはやはり周りの異国感がそうさせたのだろう。周りを見渡すと真新しいものばかりで、その新しさを理解するために自然と日本と比較をしていたのだろう。そうして自然と、今まで意識してこなかった自身の日本人性のようなものに気づいたのである。
前述のとおり、最近はその日本人としてのアイデンティティも薄まってきたように感じる。ドイツ語でのコミュニケーションもある程度はできるようになり、自身のドイツにおける外国人感も弱まってきた。以前は「ドイツに移住した日本人」という自意識だったものが、現在は「ドイツで暮らす、いちホモ・サピエンス」のような感覚に変わってきたように思う。
また私見だが、周りの半分以上がドイツの人とあると日本への愛国心を強く持ちすぎるのも良くないように感じる。「うちの国では~」といちいち比較するのはうざったいだろうし、状況によっては国を比較し優劣をつけているようなことにもなってしまいかねない。
そういった意識もあいまって、もともと弱かった愛国心はさらに薄れてきたと思う。できるだけ日本への帰属意識を強く持ちすぎないよう、できるだけナショナリズムから遠ざかった位置にいようと努めているのである。
そんな自身のちっぽけな愛国心が表出し、自分でも驚いたのはオリンピックの男子バスケットボールの試合を見ているときだった。
相手チームが腹立つ
現時点で男子バスケットボール日本代表の試合は、対ドイツ戦と対フランス戦が行われた。両試合とも相手チームの実力は確かで、手に汗握る素晴らしい試合だった。しかし試合を見ながら気づいたことがある。相手チームの選手を見ているだけで腹が立ってくるのだ。
もちろん厳しい試合展開の中で活躍する相手選手はどうしたって憎く感じるし、腹も立つものだろう。「にしても」なのである。顔を見ているだけで「この野郎」とも思うし、荒いプレイを日本の選手がしたときには気にならないものが、相手選手がしたときにだけ気になるのである。
欧米国のチームは総じて身長も高いし体格もゴツい。そういった相手選手を見ていると、「デカさにかまけやがって!」といった気持ちに勝手になってしまう。現在のバスケットボールでは、たとえ身長の大きいセンターポジションの選手であっても3ポイントシュートが打てたり、オフボールの動きが良かったりと、デカさにかまけているプレイヤーは殆どいなくなったというのを知っていながら感じるのである。
これが愛国心なのだろう。いくら自身が、できるだけナショナリズムと距離をおきたくとも、決して無くならないものなのだろう。
今後より一層気をつけたいこと
とにかく、スポーツを見るだけでナショナリズムを強く意識する自分がいることに気づけて良かった。ただ観戦しているだけなのに敵対心が芽生えてしまうということは、実際にプレイをするとより一層感じることだろう。そういった特徴は、場合によっては国同士の争いや敵対心をも助長してしまうかもしれない。気をつけていても、そういった因子がしっかりと自分の中にもあると再認識できた。
プロのスポーツ選手となると、そこはまた別のプロフェッショナリズムで感情を惹起させているのかな。オリンピックというのは不思議なもので、ナショナリズム的な側面もあれば、関係ねえお祭りだぜ的なフィーリングもあるような気もする。
もちろん愛国心があるのは当然のことだろうし、あってもいいのだとも思う。ただ私のように海外に暮らす身としては、必要以上の愛国心を持ちすぎず現在暮らす環境にも母国と同じだけの愛情を持っていたいものである。