【ドイツ暮らしで初めて感じた感覚】話を止めないドイツ人編
ドイツでの新感覚
ドイツで暮らしてみて初めて感じた感覚がある。それも一つや二つではないのだが、今回はその一つについて書いてみたいと思う。
その感覚に気づいたタイミングは、ドイツの人と会話をしている時であった。日本で暮らしていた頃は感じたことがなく、ドイツの人との会話でのみ感じた感覚である。
「いや、待て待て待て!止まれ止まれ!」である。
発話キャンセル
私のドイツ生活で得た知見として、一定数のドイツの人は発話が他の人とかぶっても絶対に止めないという気質がある。
これは単に「他人の会話を無視する自己中心的な人」という意味ではない。そういうセルフィッシュな人は日本・ドイツを問わずどちらにもいるが、今回取り上げたい人々はそういった気質の人々ではない。
今回取り上げたいのは、他人の意見をきちんと聞いてくれるし、尊重もしてくれるくせに、発話がかぶった際に絶対に止めない人々である。
今回は私の約三年間のドイツ生活で出会った二人を例に挙げてみたい。
一人目-上司C
私がこの「発話キャンセルをしないドイツ人」に初めて気づいたきっかけとなったのが上司Cである。
彼女は私の直属の上司だった方で、現在の職を始める直接的なきっかけをくれた恩人でもある。彼女は会社でも私生活でもサポートをしてくれ、とても親切でエネルギッシュなタイプの人間である。
彼女には現在でも世話になりっぱなしだし、いつもとても親切に助けてくれる素晴らしい上司なのだが、会話の場では彼女はその親切さが少し減退する印象がある。
というか、それが親切でないと感じるのも、日本人的な感覚なのかもしれない。私は日本とドイツでしか暮らしたことがないので、どちらがグローバルスタンダードなのか、そして親切さを断罪できる基準点となりうるかの判断がつかないのだ。
彼女と話している際は、基本的に彼女がその会話の主導権を握る。私のアイデアや発言も、彼女の発話中だと遮られてしまう。なぜなら、彼女は一度話し始めたら決してストップしないからだ。
決して私のアイデアや発言を聞いてくれないわけではない。彼女は私の発言を発話と同時にしっかりと聞いてくれている。話しながら聞いてくれているのである。頭の回転が早いのか、はたまたせっかちな性格だからかなのかはわからないが、彼女は決して止まらない。これがドイツで初めて感じた感覚だ。
私が日本で働いていた頃は、彼女よりもセルフィッシュで自分のことしか考えていないような会社の先輩もたくさんいたものだ(もちろんドイツにもそういったクソ先輩はいるだろう。ドイツと日本でいたずらに優劣をつけたくないのを理解してほしい)。
彼らには私の社会人としての人権、いわば社会人権を踏みにじるようなことも多々されたが、そんな彼らですら会話を積極的に遮られたことはなかった。
現在の上司Cは、社会人権を尊重してくれるが発話の機会は尊重してくれないのである。というか、多分発話がかぶった際に止めてしまうのは、私側の日本人的な文化から来る性質なのだと思う。
その上司とともに働き始めたことがきっかけで、そういったヨーロッパ気質に気づいたのであった。
二人目-友人J
二人目は上司Cとは関係性も性格も全く異なる友人Jだ。
先ほど記した上司Cは、どちらかというと自信家で上司という関係性もあり、こちらからしても発話がかぶった際にある程度遠慮をしてしまう土壌はあるように思える。ただこの友人Jは全く違う。
友人Jはというと、どちらかというと消極的で声も小さく、おとなしいタイプだと見受けられる人だ。私の感覚だと、発話がかぶった際には真っ先に口を閉じてしまうタイプに思えてしまう。
しかしそうではない。彼女も一度始めた発話を決して止めることがないのである。
我々は友人同士として、全く取り止めのない会話をし、談笑していた。別の友人がある話題を出し、私はそれに関連するエピソードを語り出したのだが、その友人Jも同じ話題についてのエピソードがあったのだった。我々はほぼ同時に喋り始め、私は空気を読み一時停止し彼女が喋りきったのであった。
このように、全く違うサンプルでも一定数のドイツの方は発話を止めないのである。
ドイツ人の配偶者に聞いてみると...
そのことがずっと頭の片隅に引っかかっていたので、私は自身のドイツ人配偶者にそれを聞いてみた。というのも、彼女は前述の上司Cと友人Jのことどちらもを知っているからである。
しかし彼女は、上司Cと友人Jからそういった「話を止めない」というような側面を感じたことがないというのである。
それはおかしい。おかしいぞ!!
なぜなら私は、配偶者が話している最中に友人Jが上から遮って話し始め、会話オーバーラップしているのをその日に見たところであったからだ!その光景を見たからこそ、それが私のナショナリティや言語能力、コミュニケーションスキルなどに起因するものではなく、彼女らの気質によるものだと思えたのであった。
まとめ
とにかく今回感じたこの内容については、そこまでネガティブなこととしては捉えていない。もちろん日本でそれが起きたとすると、きっと嫌な気持ちもするだろうしムカつくだろうとも思う。ただドイツではそれがドイツ人同士でも起きていて、ある一定のレベルまでは気にならないのであるのならば、それはドイツの文化というかスタイルなのであろう。
聞くことよりも発話することの重要度が高い人がいてなぜいけない。そういった日本的なスタイルとドイツ的なスタイルのギャップを感じたきっかけであった。