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ケーキマンとドイツ語の波

ドイツ語には波がある

これはドイツへ移住をした約三年前に初めて気づき、今もなお感じ続けていることである。とはなんだろう?ビーチでチルしている時に目に入る心地の良い波から、津波のような災害まで色々な波があると思うが、つまりそういうことなのである。

ドイツでのドイツ語というのは、その時々のシチュエーションや自身のコンディションで全く違った顔を見せるのだ。今回はそういうことを書いてみたい。

なお「ドイツ語には波がある」と書いたが、私の場合は英語にも波があったし、きっと外国語というのには波があるのでしょう。少なくとも日本語のみを話す環境で育った私にはそう感じる。

シチュエーション別の波

最初に波を感じたのは、ある家族から食事に招かれた時のことだった。

当時私はドイツ語を本腰を入れて学び始めた時期で、移住したてでもあったため、勉強のモチベーションを高く持っていた。もちろん日常会話レベルには程遠かったのだが、一つ二つの単語が認識できただけで嬉しかったし、雰囲気から話者の感情や会話のテーマくらいであれば感じられるくらいには歳を重ねていたと思う。

とにかく、私はそれまでドイツ語での会話について非常に前向きに捉えていたのであった。その日までは。

ケーキマン・ファミリー

ある時、義理の両親の友達家族と食事をする機会があった。その友達夫婦は昔パン屋/ケーキ屋さんをしていたそうで、引退後も依頼があればベイクしてくれる素敵なご夫婦だ(私は陰で勝手にケーキマンと呼んでいる)。私もケーキを注文させてもらうきっかけで、ぜひみんなで一度集まって打ち合わせがてらご飯を食べようとお誘いいただいたのであった。

当時の私はドイツ語学習のモチベーションも高かったこともあり、自分の学習の成果を確認するよいチャンスだと感じていた。

ケーキマン家族は少し田舎で娘夫婦と共に暮らしているらしい。私はその日が初対面であったが、おしゃべり好きの家族でとても気さくに迎えてくれた。そこで第一の問題発生!何を言っているのかが全くわからないのである!

方言ゴリゴリ

ケーキマン家族は田舎で長いこと暮らしている、地元密着型のご家族だ。そうなると自然と使う方言もキツくなる。かくいう私は当然、ドイツ語の標準語的立ち位置であるHochdeutsch(ホッホドイチュ)しか学んできていない。

義理の両親も普段は私に合わせてできるだけゆっくりとしたホッホドイチュを話そうとしてくれるのだが、ケーキマン家族につられて普段よりも方言が強めに聞こえる。

さてどうしたものか。会話の内容の90%が理解できない。

コンテキストを共有していない

問題は次々と発生する。方言の壁によって話の内容の90%が失われ、残りの10%はというと...これまた何を言っているのかがわからないのである!

というのも、おそらくではあるが義理の両親とケーキマン家族の会話のテーマが、共通の知人やその地方のローカルニュースであるためだ。

知らない家族の娘に子供ができたとか、知らない道が工事中だとか、20年前の旅行の話だとか、そういった類のことである。

最初はモチベーションを高く保てていた私も、ここら辺ですでに心が折れていた。90%はそもそもなにを言っているのかがわからないし、聞き取れた内容の5%はいつのどこの誰の何の話かがわからないのである。

シチュエーションは大事だ。今思うと、田舎のファミリーとの会話というシチュエーションは、ドイツ語初心者レベルには難しすぎるように感じる。基本的に田舎へ行けば行くほど方言がキツくなるし、共通話題も(その土地に住んでいないのであれば)ほとんどない。

逆に簡単なシチュエーションも考えてみると、都会で暮らす中年が一番聞き取りやすいドイツ語を話すように思える。都会というのは前述の通り、できるだけ方言を弱く抑え共通話題もなんとなくローカルなものにならないようにするためだ。中年というのは、高齢になるほど発話の明瞭さが失われ、若くなるほど落ち着きが失われると感じるためである。私の印象では、中年は明瞭にかつ聞き取りやすいスピードで話してくれる。

会話に参加もせずそんなことを考えていると、さらに怒涛の第二ウェーブがやってくるのであった。

自身のコンディションの波

我々は談笑の間、フラムクーヘンという薄手の生地のピザのようなものを食べていた。これがまた大きくて(もちろん小さいものから大きいものまである。この日のものはたまたま大きかった)、一枚をみんなで分け合って一時間くらいかけてゆっくりとつまんでいたのだった。

まず、私は食事の最中は外国語のリスニングに集中できない。目の前の食べ物に夢中になって、会話が頭に入ってこない。この効果で95%失われた理解度は2%ほどさらに下がる。

そして一番の問題、外国語のリスニングに影響を与えるものは「疲労」である。とにかくケーキマン家族と義理の両親の会話が終わらないのだ。

我々はすでに三巡目のフラムクーヘンを食べ終え、ケーキマンは四巡目の準備をしている。おそらく4時間は経っているだろうが、内容が理解できない会話となると、体感時間は二倍以上長く感じられた。

満腹と疲労で内容の99%は失われていた。まだ本題のケーキの注文内容についてなにも話していないのに...

というわけで、その日は結局6時間くらい談笑していた気がする。正直後半は意識が朦朧としていたため、はっきりとした時間はわからないのだが、とにかく長かったことは間違いない。

結局今になって思うこと

そんな経験をし今になって思うこと、それは言語を聞くにも話すにも波があるということ。その波はシチュエーションなど外部的な要因もあれば、自身のコンディションなどの内部的なものもある。

なので、相手が話している内容を全く理解できない日があっても何の問題もないのである。多分その時私たちは空腹か食事中か満腹だから。多分その日は月曜でしんどい日だから。多分そのテーマに興味がないだけだから。

なんて当たり前のことを考えつつも、今後の海外生活に少しの希望を感じた一夜であった。

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