香水におけるインスピレーションについて
「いいパイロットの第一条件を教えて。経験?」
「いや、インスピレーションだな」
映画『紅の豚』のワンシーン、フィオとポルコの会話だ。若くて女性であるフィオに、飛行艇の設計は任せられないと判断したポルコだが、フィオはポルコを説得しにかかる。
インスピレーションという言葉を聞くと、いつも思い出すひとコマだ。
今日は香水のクリエーションにおけるインスピレーションについて書いてみたい。
私の場合、インスピレーションの源泉となるのは、私自身の個人的な感動である。そして、その情景のパーツパーツを、香りに置き換え、それを再構成することにより作られるイメージを調香師にブリーフィングする。
それをもとに調香師が最初の試作品を作るわけだが、まずここでイメージがうまく共有できているかを確認することとなる。大まかに方向性があっていれば、そこから付け足しや修正をしていくこととなるし、全く違っていたら、また違う試作品を作ってもらうこととなる。
1年間香水を作ってみて、インスピレーションはクリエーションの中でも比較的重要度が低い要素である、と言う気付きを得ることができた。理由はいくつかあるが、最大の理由は、香水の制作の中で時間がかかりかつ重要な部分は、「匂い」から「香水」へと昇華させるところと、嫌な香りがしないように調整していく部分だと知ったからだ。
インスピレーションから作られた最初の試作品は、通常まだ「香水」と呼べるものではなく、あくまで「匂い」である。この、香水と匂いを私がどのように区別しているかを説明するのは難しいが、イメージとして、香水が料理だとした時、匂いは食材の域を脱していないようなものだと考えていただければと思う。つまり、セロリにマヨネーズをつけたものは美味しいが、料理とは呼べない、ということだ。
最初の試作品を、どのようにして「香水」の次元まで押し上げていくか、というのが、クリエーションの一番面白い部分だと私は感じている。荒削りな試作品に、どのようなものを足していくかを、調香師と議論をしながら検討する。新しい試作品が出来上がるたびに、胸を高鳴らせながら香りを試し、それについてあれやこれや考えることは、新しいものを産み出そうとしている実感がある。
もうこの時点で、当初のインスピレーションからはだいぶ遠いところに行ってしまっているケースもあるが、私の目標は、良い香水を作ることだから、インスピレーションから近かろうが遠かろうがあまり気にしない。より良い香水が作れるのであれば、インスピレーションを無視しても良いと思っている。
ある程度香水としての体を成してきたら、今度は細かい修正をしていく。その香水を身に纏った時に、いつ何時でも、変な香りがしないように調整するのは実はなかなか難しい。香料の量を微調整したり、新しい香料を足したりを繰り返すこととなる。ある部分を抑えると、違う部分が強く出過ぎてしまったり、全体の良さを損なったりする。ああでもない、こうでもない、とチマチマとやっていく。
ちなみに、香水のクリエーションは、引き算よりも足し算が圧倒的に多い。これについても、いつかどこかで触れようと思う。
私の香水の中で、1番試作の回数が少ないもので10回、1番多いもので24回だ。インスピレーションから最初の試作品になった後に、香水として完成するまでに10から20回ほどの修正をしていることになるが、その際にインスピレーションが重要になる局面はない。嗅覚に基づく判断と調香のテクニックのみで変更を加えていく。
このように、インスピレーションが種だとすると、香水は、そこから生まれてくる花となる。種がないと花は生まれないが、花を愛でるときに、種にまで思いを馳せることはほとんどない。
一方で、こと香水においては、インスピレーションばかりが嬉々として語られることがしばしばある。これは私にとっては、木を見て森を見ずどころか、根っこしか見ていないようなものである。
一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし
『ヨハネ伝』第12章24節
インスピレーションと香水の関係はこのようにあるべきだと思う。インスピレーションは香水が生まれるために失われるものとして語られることはあっても、それ以上であってはならない。
これから私がブランドを発表するときに、それぞれの香水のインスピレーションについて語る機会は当然出てくるだろうが、どうかあまり気にせずに、香りのみを楽しんで欲しい。また、これから他のブランドの香水を試すときも、まずは先入観なしで香りを試してみることを強くお勧めしたい。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。また次回もぜひ読んでください。次は何を書こうかな…書いて欲しい内容があれば、ぜひコメント欄で教えてください。