とりとめのない話 〜売れる悪臭〜
昨日のこと。
調香師とミーティングの後に雑談をしていた。最近彼が取り組んでいるキャンドルのプロジェクト、玄米茶の歴史、ネロリの香り…と話題は二転三転した。
話題が夏用の香水の話になり、ある大手ニッチフレグランスブランドのベストセラー作品が槍玉に上がった。もちろんここでは名前は挙げないが、ニッチフレグランスにある程度造詣がある人ならば必ず知っていると言っていい、大きな成功を収めた作品だ。
常々疑問だった。その香水は、私にはまったくもって良い香りがしない。より正確にいうと、はっきりと悪臭と感じられる香りがその香水の中に知覚できるのだ。
にも関わらず、その香水はベストセラーとなっている。
また、その香水は、マーケティング的に上手くいっているから購買が伸びているわけではなく、人々は香りに惹かれ購入しているように見受けられる。
調香師に、「この香水、良いと思う?」と質問したところ、「まったく」という返答が返ってきた。彼はその香水を、écœurantという形容詞(吐き気を催す)を使って表現していた。
これはただ悪口を言っているのではない。この香水には、どこか吐き気を催させるような側面があり、彼はそれを忠実に表現しただけだ。私もその香水に対し、同様の印象を持っている。
私にはこれが不思議に思えてならない。つまり、調香師や私が「吐き気を催す」と感じる香水を、多くの人は「素晴らしい」と捉えているのである。それは、大衆的などこにでもある香りについて、香りのプロが「つまらない香り」と評価するのとは次元が違う。
もしかしたら、簡単に「好みの問題だ」と片付けるのが賢明なのかもしれない。ただ一方で、私にはそれ以上のものが潜んでいるように感じられる。
昨日のこの会話は、私に別の香水について思い出させた。
今年の初めに日本に帰国した際に、ある人が「こういう香りがあなたのブランドにもあると良いと思う。この香りを嫌いな人なんて絶対にいないよ」と、ある香水のムエットを持ってきた。
初めて試した香水だったが、衝撃だった。とても酷い香りだったのだ。これを喜んで肌につけている人がいると想像すると、ゾッとするほどだった。
どうもこの香水、そのブランドでは比較的売れ筋らしい。その後、SNS上で、その香水をいい作品だと評価している投稿を2、3見かけたほどだ。
カフェでその香水を試し、あれやこれや話していたのだが、私の左手付近に置いたムエットから香ってくる嫌な香りに、そのムエットを遠ざけずにはいられない程だった。その香水にも、先ほどの香水同様、écœurantな側面があった。
これらの香水には、なんらかの香料の過剰投入が施されているようだ。香料の過剰投入自体はよくなされることだが、しばしばそれはécœurantな印象を与える。
しかし、その過剰投入が、何か別のものを想起させる役割を果たした時、人々はその想起されたものを通して、連鎖的にその香水も好きになるのではないか。つまり、「痘痕もえくぼ」的なメカニズムだ。その人が好き、だから本来醜いはずの痘痕もえくぼに見えてしまう、と。あくまでも仮説だが、そんな気がしてならない。
さて、それではフーテンの香水好きこと私は、そういった「売れる悪臭」を作るべきだろうか。これは会社の収益云々の話としてではなく、そういった香水は私のブランドとして取り組むべきか、というブランドの存在意義の話だ。
そもそもの問題として、私が自分自身で、「悪臭」だと思う香水を作ることが、技術的にできるか、と言われると甚だ怪しい。というか、不可能だろう。が、一旦それは横に置いておこう。
「売れるということは顧客が求めているということ。よって取り組むことに意義がある」とも考えられる。間違った考え方ではない。
しかし、そういった香水は取り組むべきではない、と私の中のリトルユータが囁いている。
なぜそれに取り組むべきではないのか、または本当はそういったものに取り組むべきなのか、ということについて、今の段階ではうまく言葉で表すことができない。よって、今日の記事のタイトルを「とりとめのない話」とした。
いずれにしても、こういった現象が起こっている以上、香水における「売れる」と「良い」はまったく別のものとして捉えるべきだろう。そうすると、
① 売れる良い香水
② 売れる悪い香水
③ 売れない良い香水
④ 売れない悪い香水
が世の中には存在することになる。
①から④まで、それぞれに該当する香水を複数個すぐに挙げることができる程度には、香水の世界はこのばらつきが大きい。②に該当する香水も、瞬時に3つ頭に浮かんだ。③も結構ある。
結局のところ、誰がどんな香水を買い、どの香水が売れようが、それはそれで結構なことだと認めつつ、自分がブランドとしてやることは、私の主観に基づいた香水の理想を追求することで、その際に②というのは私のエゴに従うと、あってはならないものなのではないか、と思う。ただそれだけのシンプルな話なのかもしれない。
今日は、朝からコーヒーの瓶を落として割ったり、ミーティングの日時を勘違いしていたり、道に迷ったり、となかなかポンコツデーだった。
家に帰って、ネットで注文していたものを受け取ったら、なんと注文していたものと違うものが入っていて、なんだかそれまで自分のせいのように感じられてしまった。明日はポンコツが治っていますよーに。
読んでくださった方、ありがとうございました。また次回も乞うご期待!