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♯1 これから

――人生はバラエティだ。

 これは角田陽一郎さんの著書好きなことだけやって生きていくのイベントで、サインと一緒に頂いたお気に入りの言葉です。今までそんな大したことない道を歩んできた僕だけど、本当にそうだなぁ、と思う。

 身に起こったことは全てネタ。生きていると、歯を食いしばって頑張らないといけない瞬間もあるけど…基本的に辛いことも含め、楽しく笑って人に話せるくらいコンテンツにしてしまった方が自分でも消化できたりする。

2016年7月に起こった出来事がまさにそれ。

 スタジオで撮影準備中、不用意に置いてあったガラス板で左ひざの後側を切り、深腓骨神経完全断裂。その後、2か月くらい歩けなかった。後遺症の神経麻痺、今も左足首が上にあがらずリハビリ中だ。当時、進行中だった大きな仕事も参加できなくなり、この年はマジで精神的にきつかった。

でも、もう起こってしまったことを悔やんでもしょうがない。

 僕はベッドの上で強制的に動けない状況になり、いい機会だと思い、「今まで」と「これから」を考えてみた。立ち止まって仕事を辞めないようにと、気を使って次々と仕事を送りつけてくる上司。「嬉しいなぁ…ん、でもやっぱり、うっとうしいな」と思いながら(笑)。

その時、殴り書いたメモにはこう書いてある。(拙い文章で恥ずかしいこともあるけど、そのまま載せます)

   小学校~高校は、甲子園を目指してとにかく野球に打ち込んだ。僕という人間の基礎は野球が作ってくれた。小学では、ひとつの事に打ち込む素晴らしさ、キャプテンとしてチームを率いる大切さと大変さを知った。中学では、硬式のクラブチームに所属。全国大会に出場、努力は実を結ぶという小さな成功体験がでかい。高校は、県内の野球強豪校へ。初めて野球で挫折する。上には上がいる。理不尽なこともある。だけど、あきらめなかった。見えない努力と、見える努力。アピール次第で道は開ける。彼女もできた。素敵な子だったけど野球が疎かになるので振ってしまったことを後で後悔。進学校でもあったから勉強は置いてけぼり。あと、あまり思い出したくないけど…というか覚えてないけど、2回うつになった。心と身体のバランス大事。この頃から、自分との対話時間が増える。親の離婚。怒涛。
   受験、野球ばっかりしていたので苦戦。勉強もっとやっておけばよかった(泣)。でも必死で勉強、遅れを少しでも取り戻す。何になりたいか悩む。ふと見た看護師のドキュメンタリー番組。「人の役に立つ仕事」いいなと思う。看護に進路を設定。お金ないから国公立の専門や短大を受験、だけど倍率やばい。そして受からない。で、範囲を広げ大学の福祉学科を受ける。合格。え、そうなの? 少し入学をためらい親に相談。「なら、なんで受験したの?」ごもっとも。ま、浪人できないし! と思い入学。
   大学時代。仏教系でシャンとしていて「何かいいな」と感じた入学式。ソーシャルワーカーを目指して児童福祉を中心に学んだ。他の時間はレストランでバイト三昧。キッチンからホールをすべての工程を経験。店長はデスクワークばかり。大人の事情は知らないからキレまくる。この頃は尖っていたなぁ。大学2年の終わり頃、養護施設で出会った女のコとの会話がきっかけで進路を変更。編集の世界へ。国家試験のコース、レストランのバイトを辞め編集の仕事を探す。
   編プロ~社会人1年目。大学3年からファッション系の編集プロダクションで働く。大学は必修だけだから、ほぼ行かず。いわゆるブラック企業。だけど、編集のノウハウを身に着けたい僕は好都合だった。馬力もあった。苦労とは思わなかった、この頃の体験は今でも宝物になっている。第一次、読モブーム。TGCや神コレなど。東京・名古屋・大阪…いろんな土地での初めての経験。キラキラしていた。「プラダを着た悪魔」ばり。とにかく経験値を上げねば。就職活動はそこそこにして、そのまま就職。社会人になってからちょうど一年たった頃、社長が女子社員ともめていざこざ…彼女だったらしい…ドラマみたいだな。ひと通り経験させてもらったので、もういいかと思って退社。
   その後、3か月くらい引きこもる。貯金がなくなってきたので、1年間フリーターすると決めて沢山バイトをこなす。居酒屋、ジムのトレーナー、工場での荷造り、ライン作業…他。編集に比べると「好きだ!」と没入する感じはなかったが、どの仕事も面白さ&やりがいを見つけてできた。要は自分次第ということ。『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』が愛読書だった。よくよく考えた末、編集をもう一度、志す。
   テレビ誌記者から再スタート。雑誌特集記事、解説・番組表とかの作稿、WEBニュース、お笑いムックも制作。編集はもちろん、記者的な動き、取材の仕方とか現場に注力した。スタッフの人数が多いからページを勝ち取る工夫もした…。お笑いが流行りの中、ボリュームある巻頭を任されたり、チャレンジできた。写真集やムック、商品をひとりで編集できたのも自信に繋がった。編集のメンターにも恵まれた。この頃からライターや編集としてフリーでも活動し始め、それぞれの編集のタイプや形があることを知る、学びや。
   BOMBに所属。写真やグラビア…新しい世界。ページ担当量が多いのとスケジュール調整などの編集スキル、処理能力が抜群に向上する。モノづくりの気持ち良さが癖になってきている。編集に出会えて本当にラッキーだと思う。今回のケガは、ホントについてない。だけど、やることやりたくないことが明確になった。あとはやるだけ、焦るな。課題は多いけど、周りに影響を与える編集者に。そして、憧れる職業に「編集者」が選ばれるように努めたい。多くの人に新しい感覚や踏み出す勇気を届けたい。

そして、グラビア写真集・絵本・ビジネス書の分野で売れる本を作るんだ。

メモは毎朝、見られる場所に置いてある。今日も。この僕の振り返りは、当時は人に見せる文章として書いてないので読みづらくてすいません。改めて、それぞれのステージで得てきた学びはエピソードを交えながら書き綴っていきたいと思う。今後の展望と企みも。    

人生はバラエティだ。

この言葉を胸にたずさえて、
確実に一歩ずつ前進していきたい。


――終わりに

 年末年始から書こう書こうと考えつつも、今やっと、ひとつ書けた。ふぅ…。ライティングは久しぶりなので、伝わってるかとても不安ですが(笑)。最近、SNSを頑張ろうと決めたので週一で記事投稿は続けます。目標低いですが…継続に力を入れていく所存です。

では、また!  

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