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吉田兼好の気持ちが1ミリは理解できたかもしれない。
吉田兼好(兼好法師)の代表作といえば、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて、日本三大随筆の1つに挙げられる『徒然草』
誰もが(特に冒頭部分を)学生時代に一度は読んで、その意味しているところを説明された作品。僕自身は「結局何が言いたいのか分からない(笑)」ってなった徒然草。何かその意味しているところを分かった気がしました。
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると、異常なほど、狂ったような気持ちになるものだ。 (マナペディアより引用)
この感覚は、「いざ何もしない/何もできない暇な状態になって初めて分かる感覚なんだろうなと」この夏に感じました。
というのも、現在の社会。周りを見渡せばスマホを片手に生活する人がほとんどでスマホなしに生きていけない社会です。とても便利です。
(僕もその中の一人ですが、)デジタルネイティブと言われる世代はスマホがない社会・インターネットを介して繋がりつくせていない社会を想像することができません。
おそらくそのような「徒然なるまま」過ごす時間を確保しないというより、「徒然なるまま」過ごす時間を確保することが難しい環境だと表現する方が正しいのかなと思います。便利な社会の中で何かもったいない。。
いざスマホを使う環境に居なくなり、他と接することなく、周りを見渡したり、これまで感じてきたあれやこれやを考えていくといろいろなものを回想することができますし、(正直無駄だなと思うことも)考えて、「あれってどういうことなのか?」「そもそもどういう経緯を持っているのか。現状どうなのか」など様々なものを頭を巡らせる余暇を獲得できるなと感じました。
僕は長旅をするに至って、スマホを放り投げて、日本の風景をぼーっと見る 旅をして、獲得した余暇でありました。学生生活というのんびりとした日々があと半年に迫った中で、備忘録として、感じたことを言語化したいなと思い、noteを残していきたいと思います。
さとう 大学4年生。