第二の都市 【 ジョージア🇬🇪 】
ジョージアの第二の都市と言われているクタイシ。けど、首都トビリシと全く違う空気感。なんと言ったら良いのかなぁ。クタイシは観光地という側面ももちろんありましたが、トビリシより少し落ち着いていて時間の流れは緩やか。街の人もどこか落ち着いている感じがしたから、余計にそう感じたのかも。
僕の中でこのクタイシは3回訪問している感覚です。回数で言うとちょっと意味不明なんだけど、クタイシを起点に様々な観光地に行き、戻ってくるたびに心の何かが変わっていったのを覚えています。正直、よくわからないけれど、確実に言えるのは僕の中身が変化していくのを感じたということ。
1回目!
カツヒピラーへ行く前です。
僕らはクタイシに建っている、"ある"大聖堂に向かいました。そこは「バクラティ大聖堂」世界遺産に登録されたが近代的な改修をしてしまい、まさかの登録抹消。そんな歴史のある大聖堂へ、いざ出発!
宿から街の中心地を通り、マルシェを横切り、大聖堂のある丘の上に歩いて向かいます。
ちなみに、ジョージアの教会はどこも撮影がOKかNGか入り口に表記された看板があります。確認すると、バグラティ大聖堂はNGでした。中はひんやりして荘厳な光景が広がります。ここで生きる人たちの信仰心が集まる場所。日本の神社と同じように神聖な空気で満ち溢れていました。
どちらの教会も美しくて、過去から今、そして未来へ繋がる場所に触れられて、こうして思い出すだけでも心が穏やかになります。
ココで1回目のクタイシ観光は終わりを迎えました。
2回目!
チアトゥラからの帰宅後です。
カツヒピラーを見てチアトゥラを歩き、とても行動したい意欲が湧いていました。クタイシについてからすぐに休むこともできたけど、「もう少し歩きたい」と友だちに伝えて、クタイシの街の散策を始めます。観光したいというか、もっとクタイシに触れたいという感覚が強かったことを覚えています。このとき、シンプルに今しかできないことをやりたかった。
とても短い時間だったけど、ほんの少しだけクタイシの生活に触れられた気がします。何度も来ることはできないし、だからこそ【今、できること】にフォーカスをあてて、そこに在りました。
ココで2回目のクタイシ観光は終わりです。
3回目!
ウシュグリから帰宅した翌日のお話です。
この日は初めて一人でクタイシ散策をしたんです。この行動、実は僕にとってすっごいこと。英語も話せず、知らない街で、歩いて生きる。ただそれだけ。大丈夫かなぁと言う不安はあるけど、ウシュグリでの体験の後だから心も行動も大きくなっている。「ま、なんとかなるっしょ」的な軽いノリで一日が始まります。しかし、そんなところに落とし穴ってあるんです。きっとそれも旅の良さですね。
マルシェの人と思うのだが、白いエプロン姿のおっちゃんに大きめの声で注意されました。英語でなく言葉がわからず、しかし「sorry」を連呼して足早に出る。とりあえず、大事にならず、ホッとします。路地の雰囲気がなんとなく何かありそうと思って進んでしまい、その先は人の家。そりゃ入っちゃいけない。おっちゃんごめんなさい。
クタイシ観光でも、自然に触れたくてココ【クタイシ植物園】を選びました。ウシュグリで自然を堪能したはずなんですけど、足りなかったのか、求めていたのかw
ここは1ラリ(当時の価値で約44円)で入ることができる公共の植物園。ぼーっと歩いてました。ほんと、何にも考えずに。今日のこともこの先のこともなんも考えずただただ”その中”に在ったのです。
ここでは小さな女の子(4歳から6歳位?)に出会いました。突然話しかけられて、びっくりしつつ、どこか不安もあり、「ごめんね、言葉の意味があんまりわからなくて上手く話せないんだ」ってカタコトでなんとか伝えると、それを聞いた彼女の返答「OMG!」と言い、去っていきました。
申し訳ない、ただ話したかっただけだよね、きっと。ごめんね。変なところでコミュ障発揮。そして本物のOMGはそんなにエネルギー出して驚くんだね。
はい、ちょっと自然に酔ってました。素敵だなとか美しいなとか色んな気持ちが身体を駆け巡っていて、OMGって言われたけど英語で会話もして、自分の中ではまた一つレベルが上がったなと。木の中にある教会も美しくて、信仰心というのは、ただただすごいなぁと感じていました。友だちに色々と報告したい。よし、帰ろう!
このあと、事件は起きました。
宿につき、鍵を開け・・・ん?部屋の鍵がない!この日は友だちと別行動、僕が後に出たので鍵当番は僕です。で、鍵がない。ポケットにしまっていた鍵がない。(今ならわかる、どうしてポケットにそのまま入れたんだ!バカだなぁ!)
やばい、どうしよう!
とりあえず探そう!
記憶の扉を全開にして、宿から歩いてきた道を全て戻ります。下を向き、それはそれは青ざめた顔で歩くアジア人。もう心はカオスです。
あの橋を渡って、あそこのベンチでくつろいで、川のそばを歩いて・・・、そうだ!植物園に行ったぞ!一番長い時間いたぞ!最後にベンチに座っていたぞ!いざ、もう一度、植物園へ!!!
Google英語で受付で話す、すんなり通してくださいました。すると、またあの女の子です。
女の子「どうして戻ってきたの?」
ぼく 「家の鍵を無くしちゃったんだ。」
女の子「大変!一緒に探すわ!」
ぼく 「ありがとう」
カタコトの英語でなんとか会話を成立させる。
「どんな色?」「これは?」「あ、違うか」っぽいことを会話しながら僕が歩いたルートを一緒に探します。けれど、見つかりません。気がついたら、女の子は絶望したぼくから離れ建物の中に戻った様子。
僕はもう一度まわり、ベンチに座ってうなだれる。と、後ろに人の視線。あの女の子です。アイス食べてます。暑かったよね。あんなに探してくれたもんね。お礼を伝える前に家の中へ。絶望して自分のことしか考えておらず、ちゃんとお礼も言えなかった。マジで本当にありがとう。
植物園をあとにして、宿に戻りつつ探すが、やっぱり見つからない。宿に着いた、意を決してカタコトの英語で謝ります。チアトゥラで怒鳴るジョージア人を見ていたので、少しびくついていたけど、怒鳴られることなく丁寧に対応してくださいました。「あとでお金もらうね」って言われて「OK」と返すのが精一杯。
マスターキーで入れてもらい、ベッドに倒れこむ、あんまり力が入らない。そのあと70ラリ支払ってこの件は一応解決。植物園に70回行ける金額。ほんとしんどかった。このあと友だちに全てを話し、一緒に出かけた。「お金も払っているし、問題なさそうだから大丈夫」って言ってくれる友だちは神様だった。それでも、やっぱり落ち込む僕。この日、このまま落ち込んでいる自分がいて、友だちとも少しギクシャクしちゃって迷惑もかけていた。問題は解決してるけど普段に戻れない自分にジレンマ。
それでは、最後に・・・
このとき支払った鍵代は70ラリ。宿代と同じくらいやばい大金。クタイシを離れるとき、友達が宿代を支払いに行ったら・・・「もう払ってるよ」って言われたって!なんてこったい!!!
『鍵失くした代金と宿代を合わせて70ラリ』だったんだ!なんだー!あのとき、心がここに在らず、そもそも無くした事実は消えないし凹んでたし、だから素直に応じて支払っていました。実は鍵代でめっちゃとるやーんて正直思ってたけども(小声)。そっか、宿代も入っていたなんて!なんだろー笑えてくる。このとき、ようやく心からホッとして笑みがこぼれたのを覚えています。
友だちも笑っていて菩薩のような顔に見えた。
ながーい一日の終わり。翌日にズレ込んだ長い一日。いやはや、めでたしめでたし。
3回目のクタイシ観光は終わり、
これが今回の旅で最後のクタイシの思い出