【アダルトチルドレンエッセイ】自分を分かってもらうために、自分を殺す
「アダルトチルドレンのぼくは、誰かのためにがんばりすぎた。
見えない誰かのために、自分の心を殺して、がんばりすぎたーー」
ここまでを読んで、あなたはどう感じただろうか?健気と思っただろうか?辛かったと思うだろうか?
しかし、本質は少し違う。
『誰かのためにがんばる』とは、他人へのコントロールだ。「他人をコントロールするためには自分を殺さなければならない」と思っているから、自分を殺してがんばる。
自分のことしか考えていない、とても身勝手な行動。
コントロールの目的は、自分を分かってもらうこと
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『自分を分かってもらうために自分を殺す』
一見すると意味不明な行動だが、アダルトチルドレンにとってはごく自然のことだ。
なぜかって?
それはありのままの自分に価値がないと思っているから。
親という身近な存在から、ありのままの自分を否定され続けたことで、「自分を分かってもらうには自分を殺すしかない」と思い込んでいるのだ
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これは重症だ。
そもそも、嘘の自分を表現しても、本当の自分が理解されることは無い。ウソをウソで塗り固めることになって、よりむなしくなるだけだ
それに、ウソで塗り固めた自分を認めてくれる人は、本当に自分に合う人なのだろうか?
ぼくはむかし、付き合いの良い後輩を演じていた。誘われたら二つ返事で快諾する、フットワークの軽い後輩だ。そんな人間を演じていれば、色んな人から誘われるから、ぼくの承認欲求が適度に満たされる。
しかし、、、満たされていたが、なぜか疲れる自分もいた。本当のぼくは、土日のどちらかは家で休みたい人間だった。なのにフットワークの軽い後輩を演じたせいで、それができなかったからだ。
結局、そのときの仲間とは今は付き合っていない
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自分に合う人とは、本当の自分を自然体で受け入れられる人。ぼくはそう思っている。
だから、ぼくはnoteで自分を偽るのを止めた。ぼくが本当に感じていること、考えていることだけを書く。このnoteを読んで、「そうそう!」とか「分かる!」と思う人は、ぼくと合う人だ。「もっと現実を見ようよ」とか「(読んで)時間をムダした」と思う人は、ぼくに合わない人。
ぼくはそれでいいと思っている。人間には相性があるのだ。ぼくに合う人もいれば、合わない人もいる。だけどこれだけは強く言える。「嘘で塗り固めたぼくに共感する人と付き合うより、本当の自分に共感する人と付き合う方が楽しい」と。
だから、ぼくはnoteで自分を偽るのを止めた。ぼくが本当に感じていること、考えていることだけを書く。
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最後にあなたも考えてほしい。本当に感じていることは何なのか、本当のあなたはどんな人なのか。
他人に求められる自分の姿を想像するのはいったん止めて、自分の心の声に耳を傾けてほしいのだ