
「親が死んでも悲しくない」と感じたあの日
母親がすい臓癌(ガン)で亡くなったとき、涙はまったく出なかった。
葬儀が終わったあとも涙は出なかったから、忙しかったからじゃない。
あのときわたしはどんな心理だったのだろうか。
今回は母親が亡くなった2019年を思い返しながら、「親が死んでも悲しくない」と感じたのはなぜだったのか、当時どんな心理だったかを振り返りたいと思う。
【1】アダルトチルドレンと、母親の癌宣告
①死ぬ前に伝えたいことがある気がした
わたしはひとりっ子。
母親の視線はいつもわたしに向けられてて、一言でいえば過保護で過干渉。
アダルトチルドレンだった。
「毒親死ね!」みたいな強烈な感情は無いよ。
むしろその逆。
つらいことがあっても、「母親はわたしのためを思ってるから・・・」と自分の感情を抑えつけてたんだ。
母親が癌宣告されてまず感じたのは『焦り』。
このまま何もしないまま母親が逝くと、後悔する感じがした。
理由は分からなかった。
ただ、「親孝行をしなきゃ」とか「母親を喜ばせたい!」といった感覚じゃ無くて、母親に伝えなきゃいけないことがある気がしたんだ。
*
②自分がどうしたいかに向き合う
癌宣告されたのが1月で、亡くなったのが8月だから、だいたい半年くらい。
カウンセリングに通ったり、毒親に関する本を読んで、自分がどうしたいかの答えを見つけるため、徹底的に向き合った。
自分に向き合う期間はかなりしんどくて、精神的な不調で何度か仕事も休んだ。
精神的な不調といっても、母親が死ぬことへの恐怖感じゃないよ。
ちっちゃい頃の記憶や、母親との会話を思い出して、わたし自身がどう感じてたのか、どんな気持ちだったのかを振り返ると、ココロがすごく苦しくなったんだ。
今まではずっと、親は良い親だと思ってた。
わたしは自分の意思で人生を選んでたと思い込んでいた。
だけど考えれば考えるほど、それが幻想だと分かったんだ。
いつも最初に考えるのは親。
親がどう思うのか、どうしたら首を縦に振るのかを考えて行動してた。
ずーーっと自分のココロを粗末にしてた現実を思い知らされて、すごく苦しくなった。
*
③わたしにはわたしの『考え』がある
母親には母親の『考え』があるように、わたしにはわたしの『考え』がある。
わたしが結婚を決めたとき、住む場所は母親が決めた。
「あなたたちはこの家に住むのが良い」と決めつけ、わたしと妻の気持ちを確認することもなく、母親がぜんぶ決めて進めた。
最終的には、妻の母親のおかげで違う場所に住めたけど、わたしにとってあれはレアケース。
子どもの頃からずっと、親にぜんぶ決められてたんだ。
わたしの気持ちは関係ない。
「あなたにとってはこの方がいい」と決めつけるから、納得もしてない。
だけど、反対すると逆ギレされる。
「なんでそんなこと言うのッ?」って、自己肯定感を削いでくる。
逆ギレされるとすごく惨めな気持ちになるから、「母親に従うのがいちばん良い選択なんだ」と言い聞かせて、すべてを諦めてた。
*
④自分の本心に気付き、母親に伝えたくなった
こうやって本心が分かってくると、すごく苦しくなった。
「30年以上も、わたしはずっとつらかったんだ・・・」
「つらさを隠して生きてたんだ・・・」
って。
そしてこう感じたの。
「この想いは、母親が亡くなる前に伝えたい・・・」
母親に文句を言いたいとか、謝らせたいわけじゃない。
ただ、母親に伝えたら、自分の中で何かが変わる気がしたの。
・・・
【2】3日前の勇気
①母親に会わないでいた
母親が癌宣告を受けてから亡くなるまで、母親とは数回しか会っていない。
父親からは「見舞いにこい!」と何度も言われたけど、かたくなに断った。
いま会ったらダメな気がしたんだ。
まだ、母親への感情を整理している途中。
ここで会ってしまうと、母親に忖度する"嫌いな自分"に逆戻りする気がしたの。
*
②母親に会うと決意した日
8月1日。
父親から、いつものように連絡が来る。
しかし、その日は何かが違う気がした。
直感、とでも言うのかな。
「今日は母親に会いに行った方がいい気がする・・・」と思って、数か月ぶりに実家に行った。
まずわたしは、母親の風貌に驚いた。
いつもの活力ある姿は、そこにない。
やせ細り、顔はしわしわになり、90歳をすぎたおばあちゃんのようになっていた。
たまに目を開くが、ことばは出ない。
病魔に蝕まれるとはこういうことなのか・・と衝撃を感じるとともに、目をつむったらそのまま死んじゃうような感覚さえあった。
*
③笑顔を見せた母親
わたしと妻、母親と父親の4人で、2時間ぐらい話しただろうか。
母親が笑った瞬間が1度だけある。
それは、妻が「ゆうたさんを産んでくれてありがとう」と言ったときだ。
苦しそうな母親が、一瞬ニコっとおだやかな表情になった。
わたしはなんだか悔しくなって、「お母さん、わたしを産んでくれてありがとう」と言った。
だけど母親は笑顔にならない。
何度も首を振っていた。
実の息子の「ありがとう」はうれしくないのか・・とショックだったけど、あのときの「ありがとう」は忖度だったんだよね。
ココロの底からの「ありがとう」じゃない。
妻が「ありがとう」と伝えたら嬉しそうだったから、わたしも言おうっていう感じ。
母親もそれを察したんだと思う。
*
④すべてを伝える
それから数十分話しただろうか。
父親が切り上げようとしたころ、わたしは勇気を出した。
「今日、伝えなければ後悔する。」
そう思って、すべてを伝えた。
ここからは、当時書き残したツイートを紹介したい。
「この経験は忘れてはいけない」「自分の礎になる」と思い、細かく書き残したんだ。
19時10分
— ほそのゆうた🕊note (@yuta_hosono) August 2, 2019
本音を言うかどうか
私は悩んでいた
本音とは
「子ども時代つらかった」
ということ
死の影が迫る母に
このタイミングで言うのがふさわしいのか
感謝を述べるべきではないのか
そんな想いが脳裏をよぎる
しかし
まだ意識のある今こそ
母親に自分の気持ちを伝える
最後のチャンスでもある
19時20分
— ほそのゆうた🕊note (@yuta_hosono) August 2, 2019
私は生まれて初めて
母に本心を伝えた
「僕は子ども時代、ずっとつらくて我慢の連続だった
だからこれから、同じ苦しみを抱える仲間を支えたい
ひとりでも多くの人の心が楽になるよう活動する
だからお母さん、僕を応援してくれる?」
そう尋ねると母は
私の目を見て
そっとうなずいたんだ
19時30分
— ほそのゆうた🕊note (@yuta_hosono) August 2, 2019
私は声を上げて泣いた
ひきつけが止められないほど
えんえんと泣き続けた
「私を応援してくれる?」
そう告げて
母がそっとうなずいた瞬間
過去の苦しさがすべてほどけた
母が、本当に頑張りたいことを応援してくれる
それほど嬉しいことが
果たしてあるのだろうか?
そんな気持ちだった
19時40分
— ほそのゆうた🕊note (@yuta_hosono) August 2, 2019
私は大泣きしながら
無意識にことばを発していた
「お母さんが応援してくれることほど
嬉しいことはないよ
僕がカウンセラーの勉強することを伝えたとき
高い金だして意味あるの! って言われて
本当に悲しかったんだから」
母と子の関係は
最も強固なものだ
だからこそ
応援は力になる
このときの涙は悲しみじゃない。
「やっと言えた」という安心感。
そして、、、母親に分かってもらえた喜び。
そう、うれし涙だったんだ。
・・・
【3】母親の死
①8月4日
それから3日後の8月4日の朝。
母親は亡くなった。
享年69歳。
平均寿命より早い死。
とはいえ先が短いと感じてたし、3日前に自分の想いを伝えられたから、ショックは無かった。
*
②母親へのいら立ち
母親は交友関係が広かったから、たくさんの人が弔問に訪れた。
そのときわたしはあるいら立ちを覚えた。
それはね。
母親の親友からの一言。
「ゆうたくんのお母さんはね。ゆうたくんが大好きでいっつも応援してたんだよ。」
「ハァ?」って思った。
直接言われたこともない。
直接言われるのは「あんたはダメね」とか「どうしようもないね」とか、否定ばかり。
なのに、周囲には好きだと言う。
わたしはいら立った。
「ほんとに思ってることは直接言ってよ! 死んだ後に知っても、直接『ありがとう』すら言えない。そんなのひどいよ!」
*
③「恥ずかしい」とか「言いづらい」とかじゃないの
めんと向かって「好き」とか、「大切な存在だよ」って言うのが恥ずかしいのは分かる。
でもね。
言わなきゃ伝わらないの。
ほんとに大切だと思うからこそ、伝える。
わたしも「好き」と伝えるのは恥ずかしくて、苦手だった。
だけど、苦手だから言わないなんてダメ!
想いはことばにしないと伝わらない。
伝えないってことは、本心を隠すこと。ウソをつくこと。
ウソは相手にも失礼だし、何よりも自分に失礼。
自分がほんとに想ってるならちゃんと表現しないと。
それが自分も相手も大事にすることなんだ。
*
④葬儀中のわたし
葬儀中、わたしは1度も泣いていない。
それどころか笑みがこぼれていたみたいで、親戚から「アイツ悲しみもしないでなんなの」と言われていたらしい。
涙なんて出ないよ。
自分の想いはちゃんと伝えたんだもの。
別れは3日前に済んでいた。
涙が出るはずも出なかった。
・・・
【4】親が死んでも悲しくない心理
①気持ちを伝えられたから
こうして振り返ると、8月1日に気持ちを伝えられたのが大きかったよね。
ずっと言いづらかったことを、ちゃんと伝えられた。
母親に「子ども時代ずっとつらかった」って言うのは、子育てを否定しているみたいじゃん。
ショック受けるかもしれないし、(母親が元気だったら)逆ギレされたかもしれない。
ずーっと怖くて言えなくて、だけど言うことに意味があると思って、ぎりぎりで言えた。
*
②母親が受け入れてくれたから
でもね。
言うだけじゃここまでスッキリはしなかった。
いちばん嬉しかったのは、「子ども時代ずっとつらかった」って想いを、母親は受け止めてくれたことなんだ。
子どもは、親に分かってもらえることがいちばん幸せだと思うの。
子どもがどんな気持ちなのか
どういう考え方なのか
何を大事にしてるのか
親子だって性格も人格も違う。
子どもの本心に興味を持って、関心を示して、話を聴く。
そして子どもの本心をやさしく包み込むように受け入れる。
そんなにうれしいことは無いよ!!
うわべの理解じゃないよ。
「お前の気持ちは分かるよ。でもね」とか、「あなたのことは分かるけど、わたしは〇〇だった」っていうのは、聴いているように見えて、まったく聴いていない。
理解もしていない。
なんでそう思ったのか、どうしてそういう気持ちになったのか。
純粋な興味関心で聴いてもらえるのが、すごくうれしいの。
わたしが子どものころ、「ゲームのどこがおもしろいの?」とか「何をしてるときがいちばん楽しい?」って訊かれたことは無かった。
わたしはずっとそれを求めてたんだ。
自分が好きなことに興味を持ってくれるのって、すごくうれしいじゃん。
別に親がゲームをやらなくてもいい。
でもね。
「ゆうたは〇〇が好きだからゲームをやるんだね、教えてくれてありがとう」って言われたらめちゃくちゃ嬉しいじゃん!
*
8月1日。
わたしがすべてを伝えて部屋を出るとき、母親は力の限りを尽くして、腕を上にあげた。
父親が言うには、母親はかなり弱ってて、手を上げるほどの力は残ってなかったんだって。
そんな状態で、最後の力を振り絞って手を上にあげた。
たぶんあれは、わたしの想い、わたしの本心をちゃんと聴いて、「ゆうたのほんとの気持ち分かった。ありがとう。応援してる!」
って伝えてくれたんだと思う。
いや、実際のところは分かんないよ?
ほんとは「わたしはそんな育て方してない!」って言いたかったかもしれない。
でもね。
わたしは、「ゆうたのほんとの気持ち分かった。ありがとう。応援してる!」って伝えてくれたんだと思ってる。
だって、本心はもうわからないから、そう信じてた方が幸せじゃん。
*
③これから
こうして改めて振り返ってみるのって良いね。
モヤモヤしてた気持ちが、もう1度整理された気がする。
母親にはずーっと否定されてた。
わたしはつらかった・・なんてものじゃなくて、つらいと感じるのもイヤで、自分のココロにフタをして生きていた。
だけど最後に、母親はわたしを受け入れてくれたんだ。
すごく、嬉しいよね。
じゃあ、、、そんなわたしには何ができるの?
わたしはどうすればいいの?
答えはたったひとつ。
自分が信じた道を進むだけ。
あのときのわたしのような苦しみ。
自分の感情が分からない人、何をすればいいか分からず悩む人を応援する。
そういう人って、たくさんいると思うから。
あのときの母親のように、相手の気持ちをすべて理解する。
人はみな価値観が違うから、共感できないことはあるよ。
内向型のわたしは、「休みの日は外に出かけたい!」と言われても共感できない。
だけど、理解ならできる。
だからわたしはnoteでことばを紡ぐ。
たったひとりでもいい。
この記事を読んで、前に進む勇気を届けられたら、すごく幸せだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
▼記事の感想はこちらからおねがいします