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アメリカ英語の誕生と変遷

はじめに

 英語はもともとイギリス人が使用していた言語である。17世紀以降、イギリス人がアメリカ東毎岸に移住したことにより新大陸アメリカで英語が使用し始められた。移住したのはイギリス人であるから、移住当初使用していた英語はいわゆるイギリス英語であるはずである。そしてそのまま使われ続ければ現在のアメリカ英語は誕生しなかったであろう。しかし現代ではアメリカ英語とイギリス英語というものが存在し、これらは綴り字や発音などで違いがある。どのような背景でイギリス英語がアメリカ英語に変化していったのか、その変化の過程、これらの変化がもつ歴史的、社会的意義について本noteでは考察します。


アメリカ移住の歴史

アメリカへのイギリス人の移住は、15世紀末のコロンブスの新大陸発見に端を発す。1584年のエリザベス1世の時代に最初の植民が試みたが失敗し、その後1607年にジェームズタウンの建設が始った。

1620年には、宗教的迫害を逃れたピューリタンたちがメイフラワー号でアメリカに到着し、プリマスに上陸した。これらの出来事は、アメリカ建国の神話的起源として語り継がれています。その後、クエーカー教徒の入植など様々な移民の波により、1732年までに13の植民地が形成されていったた。

移民の出身地

 1607 年のジェームズタウン建設をになったのは主にイングランド南部出身者であった。イングランド南部というと主な都市としてはロンドンがある。初期近代英語期にはそれまで存在しなかった話し言葉の標準英語が形成されていった。そしてそれは政治的・社会的に重要であったロンドンの宮廷を中心とした支配階級で話されていた英語が元になった。つまりジェーム
ズタウンに移住したイングランド南部の人々が持ち込んだ英語は標準的な英語
である。

その後、プリマスにたどり着いたピルグリムファーザーズたちにもイングランド南部・東部の出身者が多かった。そして彼らの持ち込んだ英語はニューイングランドを中心とした北東部海
岸地域に定着した。

1680 年代からペンシルベニアに入植したクエーカー教徒には、イングランド中部および北部やウェールズの出身が多かった。その後、ペンシルベニアなどへの中部へは、スコットランド系アイルランド人(Scots-Irish)が入植した。彼らはその後のゴールドラッシュに始まる西部開拓の推進力となった。

ピルグリム・ファーザーズが乗ったメイフラワー号


イギリスにおけるrの発音

 イギリス英語では母音が連続しない環境での r は発音されないということは多くの人が知っているのではないだろうかとおもう。しかし実はこれは少々間違っている。イギリス全土で見ると r を発音する rhotic な地域の方が多いのである。イングランドだけで見ても実は rhotic な地域の方が面積としては広い。元々はイングランド全体でも r が発音されていた。しかし 250 年ほど前にロンドン付近の東部方言で r が脱落するという変化が生じ、それが伝播して non-rhotic な地域が広まった。ロンドン方言や標準イギリス英語が non-rhotic であるから「イギリス英語=non-rhotic」であると考えてしまいがちだがこれは間違いである。

rで示されている地域はrhoticである


アメリカにおけるrの発音

 「イギリス英語=non rhotic」であるという等式が間違いであるのと同様に、「アメリカ英語=rhotic」という等式も間違いである。確かにアメリカでは rhotic な地域が大部分を占めているが、non-rhotic な地域も一部ある。これにはアメリカ初期の移民の出身地が関わっている。
 ジェームズタウンやプリマスに移住したイングランド南部出身者は、non-rhoticな標準英語を持ち込んだ。一方、ペンシルベニアや中部諸州、西部へ渡った移民たちは、rhoticな非標準的英語を話していた。西部開拓を担ったこれらの移民たちの影響により、rhoticな英語がアメリカの大部分に広まった。


綴り字の英米差

イギリス英語とアメリカ英語の大きな違いとしては先に述べた r の発音の有無の他にも綴り字の違いが挙げられる。具体的にはイギリス英語では“colour”がアメリカ英語では“color”であ
ったり、イギリス英語で“centre”がアメリカ英語は“center”であったりと数多くある。これらの違いは先に述べた r の発音のように自然に形成されたものではなく、アメリカの独立期に人為的に作られたものである。

 アメリカの独立宣言に署名したひとりで第二代大統領になった、ジョン・アダムズとトマス・ジェファソンはアメリカ英語の考え方を示し、アメリカの国土の広大さと人口増加を理由に、イギリスは二番手になり、英語の未来はアメリカにあると予見していた。そしてその後、愛国者、ノア・ウェブスターによって彼らの考え方を体現するような、またアメリカの文化を反映するような辞書の編纂が行われた。1828 年にウェブスターが出版した辞書 An American Dictionary of the English Language はアメリカ英語辞書の最高峰である。ウェブスターによって行われた綴り字改革には、先に挙げた例のように発音されない u を取り除くもの”centre”の re を発音通り、”center”の er に変えるなど合理的なものが多かった。このような合理主義には非合理的なイギリスの伝統からの脱却という社会的な側面があり、これは独立によるナショナリズムの高揚によって支えられていた。

ノアウェブスター

さいごに

アメリカ英語の誕生と変遷を調査することで、言語の変化が単なる自然現象ではなく、歴史的、社会的、政治的な要因が複雑に絡み合った結果であることが明らかになった。特に、Rの発音に関しては、イギリスの方言がアメリカに定着したという観点から、「英米差」という概念自体を再考する必要があるかもしれません。

一方、綴り字の違いは、意図的な言語改革の結果であり、新興国家としてのアメリカのアイデンティティ形成に重要な役割を果たした。これらの違いは、単なる言語的差異を超えて、文化的、歴史的な意義を持っています。アメリカ英語の研究は、言語学的観点だけでなく、社会学、歴史学、文化研究など、幅広い分野にまたがる興味深いテーマであると言えるでしょう。

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