国民民主党第50回衆議院議員解散総選挙公認候補③


(党ホームページより引用)

3人目は、秋田3区の村岡敏英氏だ。
秋田3区は、横手市、湯沢市、由利本荘市、大仙市、にかほ市、仙北市、仙北郡、雄勝郡から構成されている秋田県の選挙区だ。
秋田3区には自民党の現職・御法川信英国会対策委員長代理、立憲民主党の新人・小川幾代氏、共産党の新人・藤田和久氏が立候補している。

村岡氏の経歴をまず見ていく。
1960年7月25日生まれの64歳だ。
第2次橋本改造内閣で官房長官を務めた村岡兼造氏を父に持ち、日本青年会議所第46代会頭で、現在は村岡建設工業代表取締役社長を務めている村岡兼幸氏を兄に持つ。
本荘南中学校、日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学商学部を卒業後、明日香建設に5年間勤務した。
1989年に父兼造氏の事務所に秘書として働き始め、翌年12月には兼造氏の運輸大臣就任に伴い、運輸大臣政務秘書官に就任し、1997年には兼造氏の官房長官就任に伴い、官房長官政務秘書官に就任する。
2005年に第44回衆院選に秋田3区から無所属で出馬するも自民党の御法川信英氏に敗れ落選、続く2009年の第45回衆院選でも秋田3区から無所属(平沼グループ)で出馬するも民主党の京野公子氏、自民党の御法川氏に敗れ、再び落選した。
2010年の第22回参院選では立ち上がれ日本公認で比例区から出馬したが、落選し、太陽の党を経て日本維新の会に入党した。
2012年の第46回衆院選には秋田3区から日本維新の会公認で出馬し、自民党の御法川氏に敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、初当選を果たした。
2014年には維新の党に合流し、同年の第47回衆院選には秋田3区から維新の党公認で出馬し、自民党の御法川氏に敗れ、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、2回目の当選を果たした。
2015年には離党し、改革結集の会を結成し、代表に就任した。
しかし、改革結集の会も2015年3月には解散し、村岡は民進党に合流した。
2017年の第48回衆院選では秋田3区から希望の党公認で出馬したが、自民党の御法川氏に敗れ、比例復活も果たせなかった。
この時の惜敗率は87.26%だったという。
希望の党が解党し、再び無所属となった村岡は、2021年に秋田県知事選挙に出馬したが、現職の佐竹敬久氏に敗れた。
2022年の第26回参院選には無所属(国民民主党推薦)で秋田県選挙区から出馬したが、自民党現職の石井浩郎氏に敗れ、落選した。
2023年10月、国民民主党秋田3区総支部長に就任し、2024年6月1日には党秋田県連代表に就任した。

そんな村岡氏の政策は次の通りである。
①給料の上がる経済
②農林水産業政策
③都会と地方の格差解消
④子育て・教育政策
⑤医療・介護・年金政策
⑥総合安全保障
⑦雇用セーフネット強化
⑧多様性社会実現
⑨正直な政治
これらの政策は日本が抱える現状の課題を解決しようとする国民民主党の政策にも合致しており、秋田3区の皆様に村岡敏英という人となりを是非知っていただきたい。

村岡氏各種SNS
公式ホームページ:https://muraokatoshihide.com 
X(旧Twitter):https://x.com/muraoka_toshi?s=21&t=ni1EbDMmsyOO-0ZRJRBKCg 


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