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息子の三回忌をふりかえって

2年前の夏、息子が息を引き取った。
生まれて亡くなるまでの一か月の間、すべての時間を病院で過ごしていた。結局、僕と生きている息子が唯一共有できた空間は、生と死が不思議なほど隣接する、あの小児集中治療室だけだ。

「隣のお子さん、いなくなったね」ーたまに妻とそんな会話をした。それが亡くなったことを意味するのか、一般病棟に移ったことを意味するのかは、最後まで僕らにはわからなかった。これまでそこにいた子どもがいなくなって、ぽっかりと空いたベッドが真っ白なシーツに張り替えられて、また新しい子どもを迎える準備をする。その繰り返しだ。

生と死、旅立ちと別れ、喜びと悲しみ…いろんなものが交錯するところに、小児集中治療室はあった。

無数に連なるシリンダーと容態を知らせ続けてくれる生体情報モニター、そして忙しなく動き続ける医師や看護師さん。分りもしないのに、SpO2(酸素飽和度)の値をノートに刻んで、その数値に一喜一憂した。妻は麻酔で眠り続けている息子に語り続けていた。そして、寝返りを打ったり、口をモゴモゴ動かす小さな動きに歓喜した。それしか僕らにできることがなかったから。

うだるように熱く、底抜けに青い空。息子を訪ねて安曇野に通った1か月を、僕は今でも鮮明に思い出すことができる。
あれから2年、僕たちの生活は何か変わっただろうか。

妻は今でも毎日墓前に手を合わせ、丁寧に季節の花を添える。妻の一日は合掌ではじまり、合掌で終わる。息子が死んだ直後、妻はよく「何もしてあげられなかった」と言っていた。生きている人間に対してしてあげることができなかったことを、形を変えて実践しているのかもしれない。

当時4歳だった娘は6歳になった。
子どもの感覚は不思議だ。三回忌に向けていつものツルヤにお供え物を買いに行ったときのこと。
「理生くんはこっちの方が好きだよ」
そう言って娘は次から次にお菓子をかごに積んでいた。
(最後は娘の口に入るので)自分が好きなもの選んでるだけじゃ…と失礼な父は思ったが、「まだグミは食べれないから」と言って大好物のグミを選ばなかったあたり、本当に娘なりの基準があるらしい。

話を聞くと、どうも娘は定期的に夢で息子と遊んでいるようだ。「今日理生くんに会ったよ」そう言ってたまに僕たちに息子の様子を教えてくれる。娘の中で息子は着実に成長しているらしい。弟の年齢に合わせて作ったおもちゃを幼稚園から持って帰ってきては、霊前に供えている。

息子は今でも確かに、僕らの生活の中の一部を形成している。

死というものについて、娘がどう解釈しているかを明確に聞いたことはない。飼っていたカエルやカブトムシが死んでしまったとき、娘は「死んじゃったね」という。おそらく息子が死んだことも「経験的には」理解している。
けれども、娘にとっては死は生の反対側にあるわけではないらしい。
たぶん、人形に語りかけるのと同じように、生きているものとそうでないものを同列に置いているんだと思う。生と死に明確な線引きはない。あらゆる境界線が曖昧で、彼女はまだそのはざまで生きることができる年ごろなのだ。そんな様子を見て妻は時折「いいなあ」という。

僕は…どうなんだろう。
息子が死んでから、単身赴任の家を引き払い、家族と住むために小諸に帰ってきた。少額ながら寄付も始めた。つなぎ切れなかった命のバトン。それでも、多くの人たちによって僕たちも生かされているということを知ってしまった。だったら、今生きている人を大切にしよう、生きている人が生きるお手伝いをしよう。いずれもそんな想いからだった。

けど、本質的に僕は何か変わったのだろうか、息子の死で劇的に内面の変化を遂げたのだろうか。そう言われるとよくわからないし、強い実感があるわけではない。
ただ、ひとつだけ確実に言えるのは、僕はこれまで以上に臆病になったように思う。「大切なものを失くすのが怖い」ー僕に昔から付きまとい続けている恐怖が、より鮮明な形で現れるようになってしまった。

自分は宗教や信仰とは(少なくとも意識のうえでは)あまり接点のない生活を送っていましたが、いざ子どもが亡くなる瀬戸際になったとき、祈りをささげることしかできない自分に直面しました。それは振り返ってみれば、「強烈な無力感」と、「飼いならすことのできない偶然性」へのわずかばかりの抵抗の意思表示が「祈り」という行為に表れていたように思います。
こうした「どうしようもできないこと」が実際に起こりえるのか…ということが、自分にとっては既存の認識を覆すとても重大な出来事でした。

2022年7月のFB投稿より

僕たちの身の周りには、とんでもなく理不尽な暴力に満ち溢れている。子どもが事故に遭遇したり、戦争に巻き込まれたり、自ら命を絶ったりするニュースにあふれかえっている。
臆病だった僕は、そうしたひとつひとつのニュースをうまく躱していた。どこか遠い世界の出来事として感じることによって、心の平穏を保っていた。けれども今は違う。「起こりえないこと」が起きてしまった世界はすべてが変わる。理論上は極めて小さい確率だとしても、それが自分に襲い掛かってくるんじゃないだろうかと思う世界。安定していない世界で生きることは、とてもしんどい。

今日も娘は無事に幼稚園に行っただろうか。途中で事故にあってやしないだろうか。

息子が生きていた一か月、緊急の連絡は突然かかってきた。ビクビクしながら受話器を取り、容体を聞き、慌てて身支度を整えて病院へ向かったこともあった。
そんな不安が、今でも形を変えて残り続けている。一本の電話によって、急に現実が捻じ曲げられるそんな不安ー。

ーーーーーーー

こう振り返ると、全然かっこよくない2年間になってしまった。けど、それでも最近になって気づいたことがある。

やっぱり僕たちはどこまでいっても死と隣り合わせなのだ。

安らかに迎えられる死もあればそうでない死もある。仕方ないと思えるものもあればそうでないものもある。けど、誰しもが何らかの形で「死」と向き合い、各々の苦しみを抱えて生きている。
息子の死後、様々な方からDMをいただいた。立場上、面談を通じて人の人生の一部を垣間見ることもある。誰もが誰かの死と無関係ではいられない。死と向き合わざるをえないなら、少しでもよりよく向き合いたいと僕は思う。

息子が亡くなってしばらく、僕も妻も息子の「死」の意味を考えていた。何のために生まれてきたのか、何故死ななければならなかったのか。

残念ながら、その答えを今の社会は僕たちに用意してくれやしない。もう死者は精霊となって山の上から僕たちを見守るわけでも、他の人間や動物に生まれ変わるわけでもない。
昔誰かが「現代人は荒野に立たされている」と言っていた。死に関しては本当にそうだと思う。何の道しるべもない中で、僕たちは、科学と、宗教と、民俗のかけらを組み合わせながら、その答えを自分なりに見つけていくしかない。

それでもヒントはある。昨年、祖父が死んだとき、誰かがこう言った。
「おじいちゃんがいるから、これで理生くんも安心だね」。
生き続けていると、生きている知り合いより死んだ知り合いの方が多くなるタイミングがどこかで来るらしい。それがどんな感覚なのか、僕にはまだわからない。
けど、死の世界の方にだんだん知り合いが増えてきて、僕たちもまた、そうした生と死のはざまで生きていて、ちょっとずつそっちに向かっていると思うと、少し心がやわらぐ気がする。

人生というのは”間”だと思った方がいいんじゃないか。我々の人生というのは、生きて死ぬまでの”間”でしかない。生まれたときの”点”と死ぬときの”点”があって、人生はその間のことに過ぎない。…「生と死」というよくわからない始まりと終わりがあって、人生というのはその”間”でしかない。人間というのは、一生”間”のことしかわからなくて、その”間”がどうやって生じるか、ということは絶対にわからないようになっている。だからこそ、その”間”を大事にしようぜ、という。

ビートたけし「間抜けの構造」

僕たちは、生と死のはざまで生きているー。死は遠いところにあるのでも、生の対極にあるのでもない。むしろ、<今ーここ>の延長線上にあって、そのはざまで生きている僕たちは、あっちの世界に行った人たちからのバトンを受け継いで、また新しく誕生する生につないでいく。その橋渡し役を果たしている。そう考えることもできるのではないか。

僕は息子からバトンを受け取ってしまった。様々な偶然の上に今の生活が成り立っていること、世界が不安定なものであること、私たちは生と死のはざまに生きていることー、この経験がなければ気づかない多くのことに気づかされた。

そんなことを考えると、ふとある単語が浮かんできた。

「贈与」

…そうか、僕が息子から受け継いだものは、もしかしたら「贈与」なのかもしれない。

贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。…そのためには、「私はこれを不当に受け取ってしまった」と宣言できる主体が存在することが条件となります。そんなメッセンジャーにとって、受取人という宛先の存在は救いとなるのです。なぜなら、宛先としての受取人の存在が、その不当性を正当なものに変えてくれるからです。この人に届けるためだったのか…という意味を与えるのです。人生の意味、生まれてきた意味を。

近内悠太「世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学」

近内さんは、贈与についてこう述べている。
贈与は受け取ってしまった人がいて初めて贈与になる。受取人がいなければ贈与は贈与たりえないのだ。

いいかえれば、僕が贈与の受取人になることによって、メッセンジャーとして次の誰かにバトンを受け渡すことによって、逆説的に息子が生まれてきた意味が生成してくるかもしれない。誤配だったとしても、不当な贈与だったとしても、それを正当な、意味のある贈与に変えることができるかもしれない。

僕の不安を、経験を、誰かに届けることによって、息子を生かすことができる、いや、息子に僕が生かされることができるーーー。

今、妻のお腹には新たな生命がいる。
新たな生命の生まれる世の中が、少しでもよりよいものになりますように、親父もまだまだ頑張るよ。

2024年6月10日


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