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「写経してきてよ」と言われたので、何も知らないまま奈良で写経してきた話

「京都に行くんだ?じゃあさ、写経してきてよ」

久しぶりに再会した友人が言う。
毎年、秋めいてくると、東京に住んでいる僕は、京都に行くことにしている。
行く理由は、大したことじゃないけどね。ただ、古いお守りを返納してくるだけ。

名古屋にある実家に帰る寄り道で、少しだけ関西まで足を伸ばす。
そんなことを、もう何年も繰り返してきた。

正直、京都に行ってもそれほど目新しさもなく、書き出されたタスクには、「お守りを返納する」のみだ。

そんなときに、バブルの外側から射し込まれた「写経」の二文字。年々厚くなるフィルターバブルの障壁を軽々超えてきたその言葉に、妙に惹かれてしまい、僕は写経をしに、いざ東海道新幹線へ乗り込んだ。

ついたのは、奈良。
うん…京都じゃなくて、奈良。

実家でゴロゴロしていたときに「京都 写経」で検索すると、ランキングサイトが出てきた。
正直、どこで写経していいのかわからないため、友人が写経したところを聞いてみる。

「奈良の薬師寺だよ」

結果、僕は今、奈良の「薬師寺」にいる。

駅についたのは、昼の14時。
実家の近くの駅から、近鉄特急で乗ってきたのだが、コンディションは、絶不調。パワプロでいったら、紫色でぶよぶよしてる状態。

そう、僕は自分がいかにデリケートな人間なのか忘れていたのだ。実家で寝るということは、布団と枕が変わる。さらに日本家屋のため、夜中に誰かが歩いただけで、きしむ音が聞こえる。目を閉じてはいるものの、終始、体は緊張状態が解けない。結果、僕は、2時間ぐらいしか寝れなかった。

加えて、乗り換えが結構シビアだったため、乗車中、食事もできていない。

駅についたら、とりあえず何か口に入れようと思っていたが、見渡す限り寺しかない。MAXのMinaも歌い出しそうなくらい、寺、寺、寺なのだ。

とりあえず、案内図を見ることにする。

最寄り駅は、「西ノ京駅」

「お写経道場」って書いてあるな。うん、たぶんここにいけば写経はできるはず。あれ…?「食堂」があるじゃん。じゃ、とりあえず、食堂に向かって何かご飯でも食べよう。

しかし、現地に着くがそれらしいものは見当たらない。

「食堂ってどこですか?」
と、近くでお寺の案内している人に聞くと、

「あ、食堂(じきどう)ですか。それなら、拝観料払っていただいて、こちらです」
と、言われる。

「いや、ジキドウではなく、ショクド・・・」と言いかけたところで、ハッとする。

目の前には、「古都奈良の文化財」「食堂にて、壁画公開中」の文字。

どうして僕は、世界遺産に登録されている建物の中に、フードコートがあると思ってしまったのだろう。あまりに空腹で「食堂(じきどう)」を「食堂(しょくどう)」と読んでしまっていたのだ。

とりあえず、一旦、心を落ち着けよう。
そう、反芻しながら、来た道を引き返し、「お写経道場」に向かった。


どなたでも参加できる

いきなり訪ねて写経することができるんだろうか…。心配していたのだが、本当にいつでも、写経ができるらしい。

僕も、まったくの予約なしに、受け付けてもらうことができた。

納経料、2000円を納め、早速案内してもらう。
平日ということもあるかもしれないが、案内の人が、マンツーマンで教えてくれる。

と、いうのも、手順がしっかりしている。

①「輪袈裟( わげさ ) 」を身に付ける
②「丁子(ちょうじ)」を口に含んで体内を浄め道場に入る。
※丁子とは、胃の調子を整える漢方のようなもの。味は無味。
③「香象(こうぞう)」をまたぎ、体外を浄める

こうして、やっと席に座り、硯(すずり)に水を入れ、墨をすり、ようやく写経をスタートさせることができる。

これを見ながら、丁寧に説明されました。


さて、ようやく、写経開始である。
ツツーと書いて、市内でご飯でも食べよう、とそんなことを考えていた。

まっしろな紙

筆を手に取り、一文字目を書いていく。
墨をとりすぎてしまい、文字がにじんでしまう。

二文字目を書いていく。
こんどは、少しだけ墨をつけるが、筆の先が、2つの開いてしまい文字が二重線になってしまう。

子どものころ書道教室に通っていたこともあり、しっかり書けると思っていたのだが、もうすっかり忘れている。きれいに右払いを決めようとするも、うまくいかない。

次第に、自分がイライラしていることに気づく。

おかしい・・・。

心を鎮めるために、写経しにきたはずなのに、なんでイライラしているんだろう・・・。

書き始めて5文字目にして、やめたくなっている自分がいる。
般若心経は、だいたい260文字。ツイートなら1.5くらい。
たかだか1.5ツイートを筆で写経することに、こんなに心を持っていかれることがあるんだと、改めて思う。

書き始めてしばらくすると、「空」という文字がでてくる。
そういえば、ここにくるまえに、「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」という本を読んでいたことを思い出す。

「空」この世はフィクションである。自分なんてどこにもない。など、無我になる手助けとして読み出したのを、「空」という文字をなぞることで思い出す。

あれ、誰だっけ…。なんか、それを解いていた人の名前…。気になる…。

「空」の文字がでてくるたびに、そんなことを考えている。とてもじゃないが、心が落ち着かない。

しだいに、自分でも、心が全然「無」にならないことを意識してしまう。

周りの人は、どうしているんだろう…。
背伸びをするふりをして、周りを見渡してみる。

みんな、集中している…。

散漫なのは、僕だけ…?
それとも、なにか取り組み方が間違っているのかな…。
不安にかられながらも、とにかく書き進めていく。「無の世界へ」

「無」の文字を書く…。
…全然「無」にならない。

「無」の文字を書く…。
…全然「無」になれない。

「無」の文字を書く…。
てか、「無」の文字、めちゃ多いな。何文字「無」がでてくるんだ?

数えてみる。
え、21個もある。
写経にきて、「無」の文字を数える人いたのか?

「いや、全然、無になれなーーーい!!」

奈良にまできて何しているんだろう、自分。
そういえば、奈良に友達いたなぁ。最近ダブルワークで、カフェで働きはじめたらしいけど、大丈夫かな。接客業をしたことがないって言っていたけど、横柄なお客さんもいるって言っていたし。でも、連絡せずに、いきなり会いにいっても驚かせてしまうだろうし、会うのは難しいかもなぁ。あ、そういえば、大鳥神社のお守りの写真あげていたなぁ。この後の予定決まってないし、大鳥神社にいって、お守り買うのもいいなぁ、どうしようかな、うん、そうしよう。

…気づいたら、もう別のことを考えている自分がいた。

写経って、こういうものなのかな?
もっと頭が冴えて、心と身体がひとつになるみたいなを想像していたんだけど、わたしは、ただただ思考が巡って溢れ出てしまう時間になっている。

そんなことを考えていると、最後の文字を書いていた。
僕は、今回はじめてなので、「一巻」と記載する。

書き終えたので、奉納しようと席を経とうとするが、ためらう出来事があった。
僕より先に書いていた人が、誰一人終わっていない…。

え、何か間違っているのか…。
それともなにか、とてつもない速さで書き上げてしまったのか?それとも、このグループがただ遅いだけなのか…。

ハンターハンターの試験みたいな、なにか致命的な見落としがあるんじゃないかと、慎重に考えてしまう。

そんなことを考えていると、目の前の女性が、立ち上がる。
しめた!この人に隠れて、一緒に奉納させてもらおうと思い、席をたつ。

書いた写経を、煙の上で、4回ほど回し、お盆の上に奉納をする。
そのとき、前の女性の写経した紙が、ちらりと見えてしまった。

「四十二巻」

え、この女性、42回も写経を繰り返しているってこと…?
他の人も、だいたいそれくらい繰り返しているってこと…?

面構えが違ってみえたのは、そういうことか…と、納得がいった。

そして、お賽銭を入れて、両手をあわせ、願い事をした。

奈良の薬師寺

こうして、僕のはじめての写経体験が終わった。

後日、紹介してくれた友人に、「写経してきたよ」とDMを送る。

「え、本当に行ったの?天才かよ…!」
と、本当に行くと思っていなかったのか、そんな言葉をかけてくれた。

そんな言葉をかけてくれて、ようやく落ち着いた気持ちになれた気がした。貴重な経験をくれた友人には、感謝している。

「今度、奈良に行くとき一緒に写経しようよ」
と、感謝の気持ちをこめて友人に連絡する。

「うん!東京にも薬師寺は別院があるから、一緒にいこ」
と、連絡がくる。

「いや!東京にあるんかい!!!」

と、僕は叫んでしまった。落ち着いた気持ちは、どこかに消えしまったとさ。

おしまい


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