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4年前の僕からの言葉に相槌をうったら、言葉のすることの尊さに泣いちゃった話。
「今、この瞬間」が大切だと思って生きてきました。
言葉にしてしまうと、拾いきれない感情が生まれてしまう。亡くしたものを数えがちの僕は、極端に言葉にすることを避けて過ごしてきました。
「今、感じているこの気持ち、絶対に忘れない」
その瞬間を体験したものだけが得られる連帯感。ひとつも取りこぼさないように噛み締め、目をつむり、お湯につかるように、全身で感覚を保管しようとする。
だけど、頑なに忘れたくないものでも、時間が経てば忘れてしまう。亡くしたことさえも。
だから、少しでも言葉にしておくことが尊いと思えるようになったんです。
2020年2月29日の僕からメールが届きました。
世界で一番自分のことを考えてくれている人からの言葉。4年に一度しか経験できない、今の気持ちを残しておきたいと思います。
2020年の僕からのメール
2024年の僕へ
おはようございます。
2020年は、企画講座に通ったあと、自分で企画することの楽しさを知って、札幌での演劇公演のための準備しています。
誰かのために行うわけではなく、自分のために企画している毎日です。
2024年は、いかが過ごしていますか?
自分のために過ごしていますか?
誰かの為に過ごしていますか?
そろそろ猫を飼ってもいいと思います。
企画できていますか?
演劇は続けていますか?
海外は、まだ遠いと思っていますか?
遠いところも行ってみれば、案外近いもんです。
2020年の僕はこう思っています。
どんな選択をとったとしても、
きっと、自分が納得できていれば、
僕はそれだけで満足です。
身体には気を付けてください。
それでは…!!
これが送られてきたメールの本文。当時は、数分の時間を使い、軽い気持ちで書いていると思う。その無邪気さをはらんだ言葉が、4年の月日を超え、胸に強烈に響くような弾丸となってはね返ってくるんだ。時間の力は本当にすごい。
2020年の僕に相槌をうってみる
おはようございます。
夜でも基本「おはようございます」だね
2020年は、企画講座に通ったあと、自分で企画することの楽しさを知って、札幌での演劇公演のための準備しています。誰かのために行うわけではなく、自分のために企画している毎日です。
知ってる。でも、緊急事態宣言のせいで、札幌での公演は中止になるんだ。東京もすべてのライブシーンは中止になって、みんなそれぞれの道を歩み始めることになるんだよ。せっかく、自分から企画をたててキャストを集めたのに、ごめん・・・。
2024年は、いかが過ごしていますか?
元気で過ごしているよ。
自分のために過ごしていますか?
どうだろう? でも、最近は自分のために時間を使おうと思っているよ。
誰かの為に過ごしていますか?
いまはできていないから、そのために力を身につけないとね。
そろそろ猫を飼ってもいいと思います。
猫を飼ったら、もう結婚できないような気がしてまだ決心がつきません。
企画できていますか?
小さいけど、企画しているよ。ラジオをやったり文字を書いたり。
演劇は続けていますか?
今はできていなくて・・・。決して嫌いになったわけじゃないんだけど、大人になってしまったからかもしれない。やる意味とか、採算とか、そんなとるにたらないことを、考えるようになってしまった。
一緒にやりましょうって言ってくれる人もいるんだけど、踏ん切りがつかなくて・・・。今も、日々悩んでいるよ。
海外は、まだ遠いと思っていますか?
円安で、さらに遠く感じるようになったよ。
遠いところも行ってみれば、案外近いもんです。
2020年の僕はこう思っています。
2019年は、いろいろなところに行ったもんね。しばらくしたら、緊急事態宣言が出て、あんまり遠くに行けなくなっちゃうんだ。その代わり、近くの身の回りの良さや、自分の好きだったものに気づけるようになるんだ。
遠いところにも、もっと行きたいね。
どんな選択をとったとしても、
きっと、自分が納得できていれば、
僕はそれだけで満足です。
ごめんね。そんな大事なことを忘れてしまっていた。
見えない誰かのための人生を送ろうとしていた。
そのひたむきさのまま、そのままの自分でいてくださいね。
身体には気を付けてください。
先週、胃カメラをのみました。身体に気をつけます。
それでは…!!
また、会いたい…!!
さいごに
「日記や手紙に、何を書いたらいいかわからない」って話をよく聞きます。
僕も、数ヶ月前までそうでした。
でも、もう既に価値があるんだと思うんです。
「日記」や「手紙」という形式で書かれたものには、それだけで価値がある。そう思えないのは、鮮度がありすぎるのかもしれない。
虹の中にいると、虹をみつけられないように、自分との距離が近すぎて嫌になってしまうこともありかもしれない。
でも、時間をかけて歩いて歩いて振り返ってみたとき、太陽の横で光り輝く虹を見れるかもしれない。
そう思うと、また僕は何かを残しておきたいと思えるようになる。
4年前に、たかだか数分で書いた言葉に、これほどまで心を揺さぶられる。相槌をうちながら、ぼろぼろ涙がこぼれていた。
4年分の「自己との対話」は、思った以上にしんどい。
だけど、「今、この瞬間」感じた気持ちの欠片が、どうか未来の僕の背中を見守る虹の一部になりますよに、そう願って、僕はまた未来の自分に言葉をつなぐ。
おしまい。