15人の男女が日記を書き続けた、2ヶ月間の愉快な記録。
こんにちは。
この記事は、古今東西の日記を扱う「日記屋 月日」さんが主催している「日記をつける三ヶ月」に参加した内容を記したものです。
「日記を書きたいけど、何をしていいのかわからない。」「日記を読むことって何が楽しいの?」「そもそも、日記のワークショップって何をやっているの?」と思っている方に、面白く読んでいただけるかもしれません。
見知らぬ男女15人の、愉快な日記生活の記録です。
ワークショップ初日(1月21日)
特にリマインドメールもなく、「これ、本当に開催されるのか?」と半信半疑になりながら、準備をする。もし誰もいなかったら買い物して帰ろうと、少しでも自分を奮い立たせ、家を出た。
当日の朝は、傘をささないと歩けないくらいのザアザア降りの雨。
会場は、下北沢にあるボーナストラック。
下北沢駅に着いてしばらく歩くと、そのボーナストラックが見えてくる。建物の壁には、ダルマのロゴマークが描かれている。不安な気持ちのせいか、雨でダルマが泣いているように見えた。
会場となるラウンジは、2階にある。
ラウンジのドアを開けると、既に参加者らしき人が、ちらほらいた。
20代〜50代までの年齢も性別もバラバラな参加者が、等間隔に距離を置き、皆、どこか俯きがちでイスに座っている。
外は、うちつけるような雨・・・。
「いや、デスゲームのはじまりかよっ!」と叫びたかった。だけど、学校の新学期もデビューを間違えると、とんでもないブランドがついてしまう。とりあえず、黙って空いている席に座ることにする。
そんな雰囲気をぶち壊してくれたのが、ファシリテーターの古賀及子(こがちかこ)さんだ。とにかく明るい方で、みんなの心をほぐしてくれた。
バラバラの位置に座っていた参加者を、ひとつのテーブルに集め直し、計15人でワークショップが始まった。
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実は、私たちは、既に参加者15人分の日記を読んでいる。
というのも、1週間前からGoogleドキュメントで日記をつづり、そのリンクを事前に運営さんに送って共有されていたからだ。
わかっているのは「ペンネーム」と、一週間分の日記だけ。
本名で登録している方もいたが、ラジオネームのような名前の方もいたため、名前とご本人のリンクが難しい。
だから、自己紹介のときに「はじめまして、○○(ペンネーム)です」と言われたとき、ものまね番組のご本人登場のような感激を味わった。
自己紹介も、個人情報など全く話さないため、あくまで「なぜ、日記を書きたいと思ったのか?」というキッカケや動機を聞いていく。(このイベントは、クローズドで行われているため、他の方の話を記すことは控えます)
僕の場合「誰か別の人が書いてくれた言葉を読み上げる仕事をしているため、自分の言葉で書いてみたいと思うことが増えてきた。」というのが、キッカケ。
動機については、自分の本音に目を向けること。
価値観が多様化している中で、言葉を選んで話しているいるけど、時々、「こう思っちゃいけないんだよね?」とか、「いまこの伝え方だとダメなんだっけ?」とか、他人に配慮するあまり、どんどん自分の主観的な気持ちすら否定してしまう日々が続いていたから。
そうして、日記にすら本当のことを書けない自分に気づいてから、誰かと日記について考えてみたいと思い、このワークショップを受講した。という経緯を話した。久しぶりに思っていることをちゃんと話したので、少しだけ涙ぐんでいた。
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次に、古賀さんから、1週間分の日記のフィードバックをもらった。と、言っても、「こういう風に書いたほうがいい」というような校閲・校正ではない。「この日の文章がすごく好き!」と、笑顔でとにかく褒めてくれるのだ。
他の参加者も、うなずいたり、同意したり、空気がどんどんほぐれていく。
僕も「なんとなくいい」と思っていたことも、言語化してくれることで、だから印象に残っていたんだ、と、新たな発見が楽しかった。
全然違う属性の人が集まったからこそ、それぞれの書き味の違いが楽しかった。それと同時に、残念なお知らせもあった。
「日記の書き方は、人それぞれ」
僕は、日記の書き方がわかると思ってやってきたのだが、どうやら、そんな便利なものはないらしい。むしろ、これだけ違う属性の人間が集まっているのに、統一化、均一化することはもったいない。人それぞれに、自分の書きたい日記を試行錯誤していく3ヶ月だということが、ここで明らかになった。
僕は、「日記は、こういう風に書くもの」というのが、あるような気がしていた。他人の日記を読んだことはないし、読む機会もない。身近にあるはずなのに、こんなに見たことがないものも珍しいと思っていた。
だから、このワークショップに参加したら、スラスラ書けるようになると思っていたけど、やっぱり自分で悩みながら書いていくしかない。
だけど、今回は、15人の仲間がいる。
心地の良い強制力と励まし合える関係とともに、「日記をつける三ヶ月」がはじまった。
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本当のことが書けない(2月4日)
前回から2週間後の日曜日、雨。
2回目のワークショップが開かれた。
前回から、毎日更新している人もいれば、更新されなくなった人もいたり、また、前日になってまとめて更新される人もでてくるようになった。そんな僕も正直、日記を書くのに必死になっていたと思う。
会場のラウンジにつくと、特に誰も打ち合わせしたわけでもないのに、みんな前回と同じ場所に座っていた。僕も空気をよんで同じ場所に座る。
この日は、「いつ日記を書いてる?」とか、「パソコンで書いてる?
スマホで書いてる?」など悩んでいることについて話が行われた。
僕は、この日、妙なことを質問してしまった。それは、連日、日記を書いているうちに、「自分が感じていることって、変なんじゃないか?」という疑問が生まれてきていた。
たとえば、「家にいるのに、帰りたい」って感じてしまう自分って変なんじゃないのか?とか、「自意識過剰で日記が書けない」って変なんじゃないのか?など、日々浮かんでは忘れていくことで問題に感じていなかったことも、日記を書くことで、より鮮明に意識するようになってしまったのです。
結果、この2週間、ほんとうに感じたことを日記に書けなかった。その代わり、”こう見られたい自分”について、創作するように実体験を記録してしまっていたのです。
結果、本当に思っていることを、みんなに見られている日記に書くことができなくなり、「分人」のように別の自分を切り出して日記を書いていることに気づいたのです。
つまり、みんなは、本当に感じたことをどうやって乗り越えて日記に書いているのか、を知りたくなったのです。
ただ、これに対して、技術的というより、内省的な要素が多く、この場で解決することはできませんでした。この要素は、僕にとってワークショップ最終日までの大きな課題となります。
ちなみに、この日も古賀さんは「え!ユースケさん、めっちゃ面白く書けてると思いますよ!」と、めちゃ褒めてくれた。嬉しかった。
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日記を書いているんじゃない(2月18日)
前回から2週間後の日曜日、晴れ。
このデスゲームみたいな始まり方をしたワークショップも、3回目にして、ようやく日差しが差し込む。
この日も、みんな同じ席に座っていた。だけど、見える景色を変えるために、席替えが行われた。
この頃には、「書く」という変化はもちろんなのだが「読む」という行為に、大きな変化があった。
顔を知っている人の日記を読ませてもらう。これは生きていて、そうそうある経験ではない。なにより、「人の人生を聞かせてもらう」という行為は、これほどまでに尊いのか、いう感情が芽生えはじめていた。
会場のラウンジの窓から見える景色も、太陽の光でキラキラしているように見える。それと同じように、参加している皆さんの日記へのスタイルも固まってきて、いつもより表情が晴れやかだった。
日記を書いてきて気付いたことや、困っていることなどを共有する。「いよいよ書くことがなくなってきた」や、「飽きてメモしなくなってきた」など、息切れ気味の意見もでてきた。
それと同様に「ほぼ100点の日記を書けている」や「次はもっと長文の日記を短く書きたい」など、ポジティブな話題も多く見られた。
そんな中、僕の悩みは、明後日の方向に向いていた。
「俺、日記を書いているのかな?なんか、みんなの日記と全然違う気がする・・・。」
なぜなら、僕は「この日に起こった出来事ではなく、この日に思い出した出来事」を、つまり、大半が過去のことを書いていたのだ。
たとえば、ある日の日記で、「お気に入りの食器が割れてしまった」ということを書いた。本来であれば、「この食器がなんで割れてしまった」とか、「割れたあとどうやって処理をしたのか」など、今見える景色について書いていくものだと思う。
しかし、僕は、気がつけば、食器にまつわる"エピソード"を日記に記録していた。
例えるなら、トークテーマが書かれたサイコロを振ったら、「割れた食器」と書かれており、観覧席から「われしょきー」とコールされ、そして、割れた食器にまつわるエピソードトークを披露する。
つまり、僕は見える景色が、すべて自分のエピソードを話す、"お題"にしかなっていないことに気がついた。
これは、他の人の日記と比べなければ気付けなかったと思う。なぜなら、他の参加者の人の日記のほとんどが、今を描写しているものだったからだ。
「たしかに、過去を論じるとエッセイっぽくなりますね」と古賀さんが僕に明るく伝えてくれる。
「エッセイ・・・? それだ!! 私、日記を書いてるんじゃない!!!毎日エッセイを書いているんだ!!!」
身体に電撃が走った。
思い当たることが複数ある。
どこか物語っぽくしてしまったり、話にオチをつけてしまったり、なにより現在の見える景色から、自分の過去を持ち出して描写してしまう。
「過去を持ち出さず、日記を書く」
次のワークショップまでの自主課題が決まった瞬間。
ちなみに、この日も古賀さんは「ユースケさん、すごいイキイキと書けていますよ!」と、めちゃ褒めてくれた。嬉しかった。
日記を書くことと、実況は似ている(3月3日)
前回から2週間後の日曜日、晴れ。
早いもので、ワークショップも残り1回。
この日は、「どんな作家の本を読んできた」などの話題を共有することになった。
この頃になると、他の参加者の方へのリスペクトが止まらなくなる。文体やデザインなど、参考にしたくなることばかりだったのだ。そんな人たちが、どんな本を読んできたのかは、確かに気になる話題だった。
そんな僕は、子供の頃、ろくに本を読んでこなかった。はじめてしっかり読書したのは、高校の面接のときに「待ち時間に小説読んでいたほうが好印象だよ」と言われて、姉が1冊の文庫本を買ってきたくれた。
「ブギーポップは笑わない」だった。
こうして、僕は、姉が差し入れしてくれた本により、高校三年間、ライトノベル沼にどっぷり浸かるようになる。
その後、本屋でバイトするなどをして、「伊坂幸太郎」や「森見登美彦」など読み始め、読書量が増えていく。だけど、僕がしっかり影響を受けたのは、「鴻上尚史のごあいさつ」だと思う。
「第三舞台」や「虚構の劇団」の上演のとき、A3サイズの紙に、手書きで当日のご挨拶が書かれている。それは、お芝居に関して書かれていることもあれば、おそらく上演からこぼれてしまった思いだったりが書かれているような気がしていた。
そういった、人の涙を拭うハンカチのような言葉に、若き僕も救われ、こういった文章を書きたいと思ったことがある。
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さて、前回見つかった課題、「過去を持ち出さず、日記を書く」ということだったのだが、僕はすっかり空回っていた。
僕の日記は、他の日記に比べ、登場人物が少ない。
家族がいたり、ペットがいたりしたら、それを通して世界を見れたり、気付いたことを書くことができる。少なくとも、僕はそういう日記が好きだし、よく読んだりしていた。だけど、僕には、そういう人物が本当にでてこない。
僕は、この2週間、さらに明後日の方向へ努力をしていた。
たとえば、架空の自分をもう一人生み出して、会話させる日記を書いてみたり、曜日によって、書く人格を変えてみたりと、どうやったら理想の日記に近づけるかを、試行錯誤していた。
最終的には、これらの作業を続けていると、何か心身に悪い影響が起こりそうな気がして、下書き段階で止めることにした。
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「日記を書くことと、実況は似ている」
僕は、声の仕事でも、苦手な分野がある。それが、実況なんです。
野球や競馬など、実況者がいることで、いま起こっている情報が的確に伝えられ、場を盛り上げることができる。
実況風に読むことはできるのだが、本来の実況とは、目に見えていることを、写実的に言葉にして、今起こっていることの温度を伝えていくことが大事だと思っている。
これが、今日起こったことを、そのまま書いていく日記と、温度感を保存していく行為と似ていると、他の参加者の感想などを聞いて思った。
大きな壁だなと、そのとき感じた。
ちなみに、この日、古賀さんに「ユースケさん、すごい方向に努力していってますね」と、褒めてくれた。僕は、心の中で思わず笑ってしまった。
誰かが日記を待ってくれている(3月17日)
前回から2週間後の日曜日、晴れ。
ワークショップ最終日。
この日は、「書き続けてどうだった?」とか「みんなに言いたいことある?」など、話すことになった。
日記を書き始めて2ヶ月が経っていた。
僕は、毎日更新とはいかないまでも、一日も欠かさず日記を書くことができた。それは、やっぱり読んでくれている人がいるという実感が大きいのだと思う。
Googleドキュメントで書いているときに、バッチが浮かんでくる。それは、匿名の誰かがみている印。そして、しばらくすると、気をつかってか、フっといなくなる。
出会ってから、2ヶ月経っているのに、僕たち参加者は、互いの本名も知らないし、連絡先も交換していないし、何者かも知らない。
だけど、夜遅い時間帯に日記を書いていると、ときどき動物が覗き込んでくるように、フッと現れては消える気配だけが、ここまで日記を書かせてくれたんだと実感する。
誰かが、自分の日記を待ってくれている。
それが、たとえ、誰かがいなくても、未来の自分が、今の自分の日記を待っている。それだけで、これからも続けられそうに思える。
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僕は、この日、参加者の皆さんにお手紙を書いて行った。
実は、みんなの日記を読んでいるときに、コメントしたくなったことが多々あったから。
僕は、みんなのものになってしまう言葉より、あなただけのものになる言葉を贈りたいと思ってしまった。
最終日までに誰1人脱落することなく、ワークショップを終える。これはすごいことだと思う。
そして、最後の日まで、日記を書き続けてくれたからこそ、いまの感じている気持ちがあるのだとしたら、それをなんとかして保管したいと思ってしまった。
まるで、群像劇にでてくる、それぞれの登場人物の背景をみているかのように、みんなの人生が尊い。それを書き続けてくれて、本当にありがとうという気持ち。
一緒に生きて、息をしている。
15人それぞれが日記を書き、それを振りかえることができる、このワークショップは、奇跡と呼んでもいいようなくらい、たくさんの感情を体験させてもらえた。
さいごに
なぜ、このワークショップのことを、記事にしようと思ったかなのですが、実は、インターネットやSNSで検索しても、ほとんど情報が見当たらなかったからです。
日記文学の裾野を広げている「日記屋 月日」さんの活動が、少しでも多くの人に伝わるといいなと思ったこと。
そして、なにより、日記を書こうか迷っている人は、ぜひ書いてほしいという思いで、体験した記録を書いてみました。
僕も、これからも書いていきたいと思っていますので、よかったら、皆さんの日記も読んでみたい。
おしまい。