「ブレという魔力」なぜ私は、卒業論文にラーメン二郎を書いたのか
ラーメン二郎とは
ラーメン二郎(ラーメンじろう)は、東京都港区三田に本店を構えるラーメン店。1968年(昭和43年)に創業し、醤油豚骨ベースの山盛りラーメンは熱狂的ファンを産み出し、足繁く通うリピーターを生み出した。そのファンは「ジロリアン」と呼ばれ、今日も多くのジロリアンが二郎のぶたに食らいついている。
------
卒業論文 ラーメン二郎研究
序章 研究にあたり
Ⅰ.研究動機
2010年、慶大文学部へ進学した私は應援指導部、いわゆる応援部に入り、慶大三田キャンパスに出入りするようになった。三田キャンパスは港区の一等地にあり、周囲は各国の大使館に囲まれている。学生街というよりはオフィス街という表現が似合う。キャンパスからは東京タワーや六本木ヒルズを間近に見ることができる。そんな洗練された地域の一画に、そのラーメン屋がある。奇麗とは言えない店内ではあるが、行列が絶えない。そして、猛暑であっても、豪雨であっても、客たちは一言も文句を言わずに行列を作るのである。一体このラーメン屋は何なのであろうか。私はキャンパスへ足を運ぶたびに疑問を感じずにはいられなかった。
初めて二郎に出会ったのは、慶大1年の夏である。應援指導部の同期と5人で三田の二郎へと足を運んだ私は「小ブタ」を注文した。他のラーメン屋と同様に「大盛り」を注文したかったのであるが、慶應義塾高校出身であった同期に「小ラーメン」にしておくように助言を受け、小ブタを注文することとした。ここで言う「小ブタ」は「しょうぶた」と読み、「小ラーメン豚増し」という意味である。真夏の日差しを受けながら、黒の学生服で列に並び、いざ店内へと入る。同期に言われたように「食券」をカウンターの上に置き、ラーメンを待っていると、目の前には想像を遙かに超えた世界が広がっていた。
醤油に漬かったブタの塊を、これでもかと言わんばかりの大きさに切り、山のように積んでいる。その横では極太麺が茹でられ、その背後では大量の野菜が控えているではないか。カウンターの目の前で行われるそれらの工程はもはやラーメン店のそれではなかった。あっけにとられていると、「ニンニク入れますか?」という店主の言葉に対して、客が不可解な言葉を店員に伝え始めたのである。「ヤサイ、ニンニク、カラカラ」「アブラマシマシ、チョイカラ、ヤサイ半分」YES,NOで答えられる質問をしているのに、なぜこの人たちはこのような言葉を発しているのだろうか。私は状況が理解できず、とっさに「ニンニク入れますか?」という問いに対して「はい。」としか返すことができなかった。すると、目の前に現れたものは、私が今まで経験したことのある、「ラーメン」ではなかった。ドンブリから溢れるスープ、山盛りのヤサイ、チャーシューではなく、もはや肉塊。その瞬間の興奮は、ラーメンを前にする興奮ではなかった。そう、これが私と二郎の出会いである。
----
なぜ二郎はリピーターが多いのか、
それはブレの魔力によって説明することができる
これは、卒業論文の導入です。
教授からのアドバイスで、最初に研究動機として純粋な心の動き描写するように指示をもらい、とても論文とは思えない書き出しからスタートします。(この後ちゃんと論文になります)
この調子で始まる卒業論文は、文化麺類学と呼ばれる学問に基づき、麺と人との繋がりからラーメン二郎を研究するというもの。今の時代に、なぜラーメン二郎が愛されているのか、先行研究のない中でいわばチャレンジでありました。
この中で、私が今、改めて伝えたい感情の動きは1つ、
「ブレという魔力」です。
支店を持つファミレスやラーメン店といえば、どこでも同じ味を堪能できるものであり、それが常識とも言えます。渋谷のマックと島根のマックで味が異なることはないでしょう。しかし、ラーメン二郎は違います。微妙に。
ラーメン二郎が美味しい、という大前提に関しては最初に触れておきたい。創業者である山田拓美氏にインタビューをした際に、こういった発言をしている。
これは日本料理屋で修行していた当時に、学んだ言葉という。このことから、一切食材に妥協がなく、二郎の味に惚れ込んでいるファンが多いというのは事実。なぜ人気だと思いますか、という質問にも、たびたび「だってうまいもん、俺のラーメン」と笑いながら答えるオヤジ(二郎ファンが山田拓美氏を呼ぶ愛称)の姿はジロリアンなら何度も見た姿でしょう。
話を戻します。
なぜ、ブレの魔力が二郎ファンを虜にするのか。
それは、ラーメン二郎の支店にいくことが目的になるからです。
ジロリアンはラーメン二郎が好きな人の総称であるが、レイヤーを分けて考えると、支店ごとのファンが存在しています。アイドルグループの推しメンと同じ構造です。ラーメン二郎という大きなラーメングループの概念、方向性からはずれないが、微妙に個性が出ている。共通するのは味の方向性以外にも、オヤジへの愛があるということも忘れてはいけません。
一度二郎にハマると、
一番自分にあう二郎を探す旅に出る。
聖地巡礼という言葉がオタク文化でも使われているが、ラーメン二郎においても当てはまる。推し麺を探す旅に出ることがあります。もっとおいしい二郎があるはずだ、新しい二郎は、もしかしたら私の好みかもしれない。ここの二郎の味は、ここと似ているなどといった会話をします。ラーメン二郎ファンは「二郎行こうぜ」ではなく、「○○二郎行こうぜ」と支店が目的になっている場合が多く、せっかく近くまで来たから、二郎に行ってみたいという行動が生まれるのもそのためです。
京都まで行って、マクドナルドに行こうとはなかなかなりませんが、ラーメン二郎であれば、京都でなければ食べられない味なので、二郎ファンはこういった消費行動を取るのです。これこそが、まさにブレの魔力。
ジロリアンは店を出た後「今日の二郎どうだった?」などという感想をシェアします。豚が神がかっていたとか、麺がよかったとか、一期一会の二郎の味の感想を語り合うのです。
どこの店でも同じ味であれば、その店に行くことは選択肢の1つになることはあっても、なかなか目的にはなりにくいもの。この「差異・ブレ」こそがラーメン二郎の高いリピート率であると考えます。
なお、卒業論文では、このブレを、ジルドゥルーズの著書「差異と反復」を用いて、二郎の連続性を考察しています。そのほかにもゲーム消費と組み合わせ、あえてニンニクをおかずに店主との交流を生むことによるロイヤルティの向上など、様々な角度から二郎の魅力を探っています。
ラーメン二郎の卒論を公開して欲しい、という声を聞き、今回そのきっかけとなった体験の部分を書きました。
本にすれば儲かるというアドバイスもありましたが、
私は二郎の魅力は「謎に包まれている」という閉鎖的なものにもあると思います。だからこそ全文は公開することはありません。二郎は、公式から情報を発しなくても、ファンたちがシェアしあう。親父の指のテーピングから出汁が出ているとか、白い粉は味の素じゃなくて脱法スレスレの粉だとか、そういった遊びとも言える逸話が出てくるのも、こうした謎に包まれた、答えがないラーメン店だからこそと思います。そのため、卒論の結論は、墓場まで持っていこうと思います。
もし、ラーメン二郎を食べたいと思った方は、お近くの二郎に足を運んでみてはいかがでしょうか。あなたが二郎によって動かされた感情も、是非教えてください。
あなたが思う、二郎の魅力は何でしょうか。
以上、ラーメン二郎が大好きすぎるプランナーのメモでした。
一枚も二郎の写真を貼らなかったのは、
あなたが思い浮かべる支店の二郎を
大事にして欲しかったからです。
このnoteは、言葉の企画の課題で、「あのときの感情に今、名前をつけるなら」というテーマに合わせて書いたものです。ラーメン二郎の魅力は人それぞれですが、私は「ブレの魔力」に取り憑かれたと言っても過言ではありませんでした。