ぼくは明朝体が読めない
幼い頃からどうしても本を読むのが苦手だった。最近になってようやく、それは脳の個性のせいだったんじゃないかと思うようになった。(このエントリーの内容は個人的な主観で書かれており、医学的な情報は一切ないことを最初に断っておく)
先日このツイートを見た。
ディスレクシアという学習障害がどのように生活に支障をきたすのか。ディスレクシアでもいろいろあるので具体的な情報は貴重だ。ディスレクシアも学習障害もUDフォントも、本当にたくさんの人に知られてほしい。
一方で、ぼく自身もちょうどここ数年で明朝体がとても苦手ということを自覚していた。ツイートのお子さんのように体調に影響を及ぼすほどではないし、文字としても文章としても認知できるが、ゴシック体に比べると本当に読めない。なぜかはわからないが、本当になぜかはわからないが、明朝体は読みにくい。チカチカするし、頭に文章が入ってこない。線の太さが均一でないからな気もするし、線が細いから読みにくい気もする。とにかく苦手なのだ。
本が読めない
とにかく幼い頃から本が読めなかった。夏休みの宿題の読書感想文がただひたすら憂鬱だった。泣きながらやったこともある。「活字が苦手でも漫画は読める」典型的な本を読まない子供だった。コンプレックスでもあったし、本を読める人は憧れだった。鍛えれば読めるようになると挑戦したが三日ももたなかった。
時を経て、ふと長い文章を読めることができることに気づいた。Webだ。Webならすらすら読める。大人になってからだったので、気づかないうちに克服したのかもしれないとも思った。しかし最近Webフォントが普及したり明朝体のデバイスフォントがOSでも標準搭載されるようになった理由で、明朝体のwebページが増えた。そしてついに文章を読めない原因が明朝体だったとわかった。明朝体で書かれた文章はとても辛い。紙よりスクリーンのほうがキツく感じることすらある。
そして今ではwebのおかげで長い文章を読むことに慣れてきたこともあって、紙なら明朝体の本も徐々に読めるようになりつつある(めちゃくちゃ読むの遅いし、読後の疲労感はひどいけど)。
明朝体が好きだ
ただ苦手だったというだけで嫌いなわけじゃない。デザインに興味をもった最初のきかっけは中学校で習ったレタリングだったし、グラフィックデザインではタイポグラフィが特に好きだ(関係ないけど書道もやるし好きだ)。明朝体の美しさや奥深さはわかっているつもりだし、どちらかというと、文字の造形としてはゴシック体より明朝体のほうが好きだ。
明朝体が読めない理由として、かたちが気になることがひとつあるのかもしれない。文章を区切るときに品詞ではなく文字ひとつひとつで区切ってしまっている気がしなくもない(これはとても後付けな印象だけど)。
書体と付き合っていくために
電子書籍ではゴシック体に変えているし、Webページでも明朝体と遭遇したらSafariのリーダーモードを利用してゴシック体にして読んでいる。仕事柄、PCでの場合は読みたい記事ではCSSを自分で書き換えている。
ぼく自身はもう上手く付き合う(というより回避している)ことができるようになったので問題をあまり感じていないが、Safariのリーダモードはともかく、CSSを書き換えて読む方法は一般の人はやらないだろう。
では世の中のすべての書体がUDフォントになったらいいかというと、どうやらそういうわけでもないらしい。
やっぱりぼくが思う一番の解決策はみんなが自分に合った書体に変更できることだ。ぼくは明朝体がダメだけど、世の中の大半の人が明朝体が読みやすいなら(変更可能を前提として)デフォルトは明朝体でもいいと思う。本当に読みやすいならね。
デジタルテキストの書体は選べる(もしくはカスタマイズする)ことができる。提供側(制作も含む)は選べるようなフォーマットで提供する。この需要と供給がもっと当たり前になってほしい。
本が読めないのは本当にコンプレックスだった。自分のこれが学習障害だったと認定されたわけではないし、今更その苦手を理由に何かを訴えるわけではないけど、書体の話に限らずぼくみたいに何か苦手なことがあって(もしくはそれに気づけていなくて)憧れを諦めている人がいるとしたら本当に悲しい。
ぼくはwebの仕事を通して、なるべくみんなが同じ情報を享受できるように務めることしかできないのだけど、それでもその「なるべく」が少しでも誰かの諦めを消すことの手助けになっていたらなぁと切に願っている。
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