都会でも「東京」は別格に消耗するという事実
こんにちは、Yusukeです。
私は今、大阪に来ています。
1週間前ぐらいに大阪行きを決めたのですが、約4ヶ月ぶりの滞在です。
前回来た時に感じたことは率直に「居心地が良すぎ!」と思ってしまいました。
海外渡航やロングステイ経験もある私ですが、コロナ禍で行けないと選択肢は国内。
手軽にいける大阪はなぜこんなに東京と違うのか。
空中に飛沫する「余裕なし」という感染症
大阪は大都会、多くの場面や角度かから全てを把握してはいません。
何が違うのか?
東京と決定的な差は「余裕」です。
関西弁特有のイントネーションは言葉を和らげる。そして「かまへん」みたいな空気、生活習慣や文化でここまでの違いを感じる。
東京はどうでしょうか?
平日でも休日でも人々から感じられるのは「余裕なし」です。
これは人から人へ伝染していきます。
一部の人は全く受け付けないこともありますが、環境に多くの影響を受けてしまう基本構造を持つ私たちには難しいです。
まさしく「余裕なし」という感染症です。
「自分はこうなりたくない」と思っても、目に見えないもの影響で自然と余裕がなくなっています。
果たしてこの「余裕なしウィルス」にはワクチンはあるのでしょうか?
個人要因より環境要因があまりも大きすぎる
上記の「余裕なし」はもはや自分自身の原因より、「環境要因」の方が大きいです。
自分が悪いという理由で行動を皆をしても、周囲からくる圧力や空気があまりにも澱んでいる。
物理的に修正不可能な環境に身を置いているのです。
田舎出身の方でも東京に来たら変わってしまう、よくある話ですが環境要因が人格に大きな変化を与えていることは明白です。
「田舎暮らし」か「引きこもる」の2択が理想的
消耗しないようにするためにはこの2択でしょう。
「田舎暮らし」は人と関わりたい、コミュニティーに参加したなど「人間関係」や「社会と関わる」ことが好きな方がいいと思います。
「引きこもる」は場所を選ばず、基本的にネット環境させあればいいでしょう。ネットの中で人間関係を構築、自分好きなコミュニティーに参加。
リアルさにかけますが、嫌だったらすぐにフェードアウトできますから。
私だったら2つの「いいとこ取り」をしたですね。
マイルドな田舎、人口は少なめで家賃の低い都市に住む。必要に応じて地域参加し、自分のペースでまったりと暮らしていく。
自分に都合の良いことはある程度実現できる世の中になりました。あとは自分自身が望んで行動するだけです。
「豊かな生活」と「豊かな心」の関係
この問題は重要ですね。
「豊かな生活」=「お金」という計算で議論するのは単純すぎますが、わかりやすい指標として一般的に普及しています。
ここでも活用していきます。
よく「年収で満たせる幸福度はどれぐらいなのか」という指標がありますが、幸福度に関してはおおよその天井はあるようです。
色々な試算がありますが、700万円ぐらいから低下していくようです。
稼いでいる人は対人口比にするとわずか数%です。
稼いでいない人は多くの人口比を占めている。その人たちは相対的に幸福度が低いかというとそうでもない。
割合や母数を客観的に比べてみると、お金がなく生活水準も低いが、幸福度が高い人たちが多いのは事実です。
大阪に足を運んだ時によくいくのは西成なのですが、おっちゃんたちが幸せそうに生きている姿を見るとある意味教訓となります。
大衆酒場で激安ホルモンを食べたりすると、ハッピーになります。
生活水準が低いなりの楽しみ方はいくらでもあるのです。
「豊かな生活」と「豊かな心」は決してトレードオフではありません。
この2つも自然と手に入ることは少ないと思います。
自分で思考して結果を望み行動することによって得られるものだと思います。
自分に合った豊かさを選び編集していく
結論、豊かさは相対的なものです。
人の豊かさを真似してなれるとは限りません。
行動の一歩として真似することは有効的です。その過程で自分自身でカスタマイズしていく。
自分に合った豊かさを編集していき、更なる磨きをかけていくのです。
人生はゼロから創り出す「ゼロイチ」でできていません、常に誰かや周囲の環境に影響を受けています。
人生を豊かにするために多くの経験を積み、それを編集すると面白くなっていきます。
そのためにもできるだけ消耗は避けるようにしていきたいです。
では、また次回。