翡翠のタマシイ
毎月つづけてきた誕生石ネタが1周して、5月で2周目に入った。5月の誕生石はエメラルド。エメラルドについては昨年書いたけど、今年はどうしようか・・・。グリーンつながりなのか、日本では翡翠も5月の誕生石になっている。ならばエメラルドではなく翡翠について書くことにしよう。
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翡翠は東洋でポピュラーな宝石だ。かつてオルメカ文明など中米でも珍重されたことがわかってはいるけれど、翡翠はやはり東洋の石という印象がつよい。中国では、格付けをする鑑定(鑑定と鑑別の違いは前回のダイヤモンドを参照のこと)も盛んだ。先日のクリスティーズの香港のオークションで最高価格で落札されたのも翡翠のネックレスだった。
翡翠はカワセミのこと。石の色がカワセミの羽の色を連想させるからということらしい。グリーンの印象がつよい翡翠だけれど、カワセミとおなじく淡い紫や褐色などさまざまな色がある。
中国では独自の鑑別サービスがあるほど人気のある翡翠。しかし日本も負けてはいない。翡翠は2016年に日本鉱物科学会によって”日本の国石”に選ばれた(リンク先はプレスリリース)。日本は、世界的にもめずらしい翡翠の産地。古代から勾玉などの装飾品に国産の翡翠がつかわれてきた。
ここでいう翡翠は、いわゆる硬玉(ヒスイ輝石、ジェダイト)をさしている。軟玉(ネフライト)は似ているけれど別の種類の石。中国では軟玉は産出するけど硬玉は出ない。硬玉の産地はミャンマーや日本、グアテマラなど、世界でもかなり限られている。ちなみに高品質で高く取引されている翡翠はほとんどがミャンマー産だ。
厳密にいうと、翡翠とよばれる石は緻密な鉱物の結晶があつまった”岩石”だ。翡翠を構成する鉱物のおおくはヒスイ輝石(ジェダイト)だけど、近い成分のオンファス輝石(オンファサイト)などが混在することがおおい。引っ掻き硬度はさほど高くないので傷がつく。しかしながら緻密な構造ゆえに頑丈。衝撃にはめっぽう強い。だから彫刻に多用される。
エメラルドやルビーなどの西洋の宝石にくらべると、翡翠の透明度は低い。大半は不透明や半透明だ。しかしなかには透明度の高いものもあり、深みのあるグリーンをたたえた翡翠はインペリアル・ジェードや琅玕などと呼ばれて珍重される。科博の宝石展でも、みごとな琅玕の唐辛子が展示されていたのが記憶に新しい。透明感がありながらも半透明な琅玕の翡翠には、ほかの透明な宝石にはない神秘的な存在感がある。
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ところで、どうして翡翠の産地は限られているのか。
プレート運動に関連してできるからというのがその理由だ。プレートは地球表層をおおう岩盤。プレートどうしが衝突する場所では造山運動といって、あらたな陸地が生まれる活動がある。マグマが冷え固まる過程で結晶化したり、マグマの熱や圧力で既存の岩石の性質が変わったりして、あらたな鉱物が生まれる。
翡翠はプレート境界のなかでも、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む領域で生まれる。日本列島はそのプレートの沈み込み帯に沿うように位置する弧状列島(島弧)だ。
沈み込み帯ではプレートどうしが押しあうため高圧になる。しかし、沈み込むのが低温の海洋プレートのため、深さのわりに温度があがらない。高圧なのに低温という特殊な条件になる。
もとになっているのはカンラン岩。カンラン岩は、ペリドットの時にも触れたけれど、マントルを構成する岩石だ。
カンラン岩は、水との接触で変質して蛇紋岩になる。沈み込み帯に沿った広域変成岩の代表例。その蛇紋岩にナトリウムに富む火成岩が貫入してくると、曹長岩(アルビタイト)なんかができる。そのアルビタイトの成分もくわわって、低温高圧の条件下でヒスイ輝石(ジェダイト)ができる。
地下ふかくの低温高圧条件という限られた環境でできた翡翠。そんな翡翠のうちごく一部がさらに地殻変動によって地表近くにもたらされる。なるほど産地が極端に限られるわけだ。
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さきほど日本も翡翠の産地のひとつだと書いた。とくに有名なのは新潟県の糸魚川だ。
古代、現在の北陸地方には越の国があった。コシヒカリや越乃寒梅の”越”。北陸地方の旧国名、越前・越中・越後にも名残がある。その越の繁栄をささえたのは糸魚川の翡翠だっという説がある。
古代に越の国で採掘・加工された翡翠は、交易で日本各地に運ばれたらしい。しかしなぜか後年忘れ去られてしまった。糸魚川の翡翠が再発見されたのは20世紀になってからだ。
翡翠はもともと「たま」と呼ばれた美しいもの、価値あるもののひとつだった。中国では硬玉・軟玉と呼ばれたように「玉」と書いた。日本語の「たま」にこの漢字があてられ、のちに日本でも漢音の「ギョク」とも呼ばれるようになった。
上にちょっと書いたように、やまとことばの「たま」は美しいものを指す言葉だ。「珠」をあてた表記もあるように、真珠もまた「たま」だった。地名の「埼玉」、「多摩」や「玉川」なんかもきっと同源。美しく豊かな土地だったか。「たま」には「たましい」などの派生語もある。「たましい」は「霊し火」との説もあったりして、勾玉のあの形はヒトダマかもしれない。
古代日本人の精霊信仰では、「ち」「たま」「かみ」といった超自然的な概念があった。「ち」は姿を消したけど、「たま」は魂や霊に、「かみ」は神となって現代にのこっている。
日本人には奇しくも言霊という思想がある。美しいもの、大切なものを「たま」と呼んだ。その響きには、超自然的なものが宿っていた。「たま」と呼ばれた琅玕翡翠を見ていると、その深みのあるグリーンに先祖たちのタマシイが見えてくるような気がしてくる。
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話が突然かわるけど、『ヴォイツェック』というドイツの戯曲がある。19世紀のゲオルク・ビューヒナーによる作品。
社会に翻弄され心を病んだ軍人フランツ・ヴォイツェック。彼は不貞をはたらいた内縁の妻を殺め、みずからも湖に身投げする。絶望し孤立を深める男の破滅的な話で、個人の狂気と社会の狂気が鋭く描かれている。2000年、トム・ウェイツが音楽を書き、ロバート・ウィルソンが演出して、『ヴォイツェック』は前衛的な演出の現代オペラとして上演された。
このヴォイツェックの舞台が日本でも公演されたのは、わたしがまだ名古屋で大学院生をしていたときだった。熱烈なウェイツファンのわたしは、もちろん会場の東京国際フォーラムまでかけつけた。
そのウィルソン版『ヴォイツェック』には、劇中で歌われる「All the World Is Green」というとても美しい曲がある。
主人公フランツが内縁の妻マリーへの愛を歌う。ストレートな愛情表現もあれば、のちの狂気を彷彿させる表現もあり、舞台の要所で効果的に歌われていた。
例えばはじまりはこんな感じ(原文の後に拙訳)。
そしてサビ部分では、「世界すべてが緑色」と歌われる。ここでは緑色は平和で生命の象徴。
最後には、夜露をダイヤモンドに見立てた美しい表現。自分たちの破滅を暗示し、平和なはずの緑色には別の深みが与えられている。
緑一色の世界。トム・ウェイツが意図したものとはまったく異なるけれど、わたしは深いグリーンをたたえた半透明な翡翠を連想した。夜露に濡れる墓石も、なぜだか糸魚川の翡翠がしっくりくるような気がする。
そうだ、さっき
「琅玕翡翠の深みのあるグリーンに先祖たちのタマシイが見えてくる」
なんて書いたところだった。
ヴォイツェックの素朴な愛情、嫉妬、社会への恨み、あらゆるものを翻弄する邪悪さ。いずれにも、ヴォイツェック本人から乖離したナニモノかが超越した位置にいた。翡翠を連想させたのはその超越したナニモノかかもしれない。わたしは翡翠のグリーンにも先祖たちのタマシイという超越した存在を見ていたのだから。
わたしは身の回りには印鑑ぐらいしか翡翠を持っていない。翡翠でできた葉っぱの上で夜露のように光るダイヤモンドのブローチなんかがあったら良いかもしれない。そんなジュエリーをデザインする機会があれば嬉しいなぁなんて思う。
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