Bésame Mucho by Michel Camilo & Tomatito

昨年まで幾度か取り上げていたミシェル・カミロを今年はまだ紹介していなかった。このドミニカ共和国出身のピアニストはその情熱的な超絶テクニックがしばしば話題になるけれど、繊細なアドリブも実に良い。ラテンジャズはその陽気さに救われるような気分になれて、よく聴いている。陽気さのなかに時折のぞかせる可憐さとのギャップにも揺さぶられる思いがする。

わたしはカミロのコンサートには何度も足を運んだのだけど、何度か来日公演をしてきたトマティートとのデュオのライブは観られずじまいだ。わたしはフラメンコにも大いにハマったことがあって、トマティートは好きなフラメンコ・ギタリストのひとり。

フラメンコとラテンジャズは相性が良い。お互いが引き立て合う関係にしやすいのだろう。双方が互いにソロと伴奏に徹したと思えば競演と呼ぶべき掛け合いにもなる。なかでもこのふたりはとくに相性が良いようで、デュオとして3枚ものアルバムを出している。

今月の21日の音楽はそんなふたりが最初に出したアルバムSPAINからの、ラテン音楽スタンダード曲のカヴァー。非常に多くのミュージシャンに演奏されてきたベサメ・ムーチョはメキシコのコンスエロ・ベラスケスが少女時代に書いた曲だ。

Besame, besame mucho
Como si fuera esta noche la última vez
Besame, besame mucho
Que tengo miedo a perderte, perderte después

今宵が最後の夜でもう会えぬのなら、もっともっと口づけを(拙訳)と歌う情熱的な歌詞こそないけれど、カミロとトマティートの演奏はとても雄弁にこの曲のコアなところを表現しているかのように感じる。

わたしが特に好きなのは中ほどのミシェル・カミロのアドリブ部分から後半にかけて。クラシック出身のカミロらしい、ややクラシカルかつ叙情的に展開される演奏は、この曲がもともと持っている歌詞の切なさを余すことなく表現している。続くトマティートによる主題が入ってからのピアノとギターの絡み合いは、このふたりの阿吽の呼吸で綺麗に終息して、余韻を残す。わたしの勝手な解釈だけど、ひと区切りを経て将来への希望を展望させるような、そんな余韻だ。

今日は早くも冬至。もうすぐ2024年が終わって年が変わる。陽はこれから少しずつ長くなる。このベサメ・ムーチョの余韻となんとなくシンクロしているように思えて、この曲を選んだ。波乱はあっても来年は良い年でありますように。

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