かがやく猫の瞳の深淵には・・・
宝石には光学効果とかフェノメナと呼ばれる、光に対する特殊な現象がみられることがある。いままで書いたものでは、オパールの遊色効果とか、スターサファイアのアステリズム(スター効果)なんかがそうだ。
あ、ムーンストーンのアデュラレッセンスもそうか。
そんな光学効果で、いままで書いていない重要なものがある。シャトヤンシー(Chatoyancy)あるいはキャッツアイ(Cat's-eye)効果だ。
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シャトヤンシー(キャッツアイ効果)は宝石の内部で反射した光が一筋の光線に見える現象。明るいところで細長くなる猫の瞳孔に見立てたネーミングなのは言わずもがなだ。
透明・半透明な石に平行な細長いインクルージョンがたくさんあると、カボションに研磨すればこの現象が確認できる。だから意外と多くの種類の宝石に”キャッツアイ”のつく変種が存在する。
キャッツアイといえばクリソベリルだけど、ほかに知られているのはトルマリン、エメラルド、シリマナイト、コーネルピンなど。珍しいところではオパールにも”キャッツアイ”がある。
わたしが仕事で執筆に携わった記事を数えてみた。キャッツアイがらみは7本ほど。
スター効果と一緒になったもの、珍しいインクルージョンでシャトヤンシーが現れるもの、異なる石を貼り合わせて作られたものなど、意外とたくさんある(以下リンク、英文のみ)。
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シャトヤンシーの仕組みは単純で、巻いた糸や銅線のコイルにしばしば例えられる。表面が平坦ではなく凸の曲面になっていると、反射する光が一部だけ見えることになる。それが平行なインクルージョンすべてで起きるので、反射光が繋がって直線状に見える。光の筋はインクルージョンの方向に対してほぼ垂直。
下の写真はキャッツアイならぬタイガーズアイのものだけど、メカニズムがわかりやすいので紹介しておく。光学効果としては同じシャトヤンシー。光が繊維状のクォーツに反射して、クォーツの向きに直交する光の筋が現れている。
一日一画をはじめた2005年の8月、わたしはシャトヤンシーを意識することなく、ミシン糸を木炭で描いていた。この木炭スケッチでも縦に一本の明るい線が出ているのがわかる。
日本だけかもしれないけれど、糸やコイルのほかにも例えられることがあるのは頭髪に現れる通称”天使の輪”。ストレートのロングヘアに現れるあの輪っかだ。この名称は、いつぞやシャンプーのテレビCMかなにかで”天使の輪”と呼ばれたのがきっかけだったと思う。
脱線するけど、この天使の輪は日本だとマンガでよく見かける。東洋人の髪質によるところが大きいのかもしれない。欧米のマンガではそんなに見かけないような気がする。
研磨の角度次第では天使の輪のように円形の反射光が見える宝石があっても良さそうだ。しかし今のところそのようなものにはお目にかかったことはない。
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昨年書いたように2月の誕生石はアメシスト。
2021年の12月、キャッツアイ(猫目石)があらたに2月の誕生石に加わった。日本では、2月22日がニャンニャンニャンで猫の日だから、その猫の日のある2月に指定されたらしい。日本独自の誕生石。昨今の猫ブームに便乗した販売戦略という側面もありそうだ。
キャッツアイとだけ呼べば、シャトヤンシーのある宝石のなかでもクリソベリル・キャッツアイを指す。シャトヤンシーの代表者というわけ。
クリソベリルは希少性が高く、耐久性も美しさもあり、加熱処理などもされない。なのに不遇なことに、ルビーやエメラルドよりもずっとずっと市場価値が低い。ところがクリソベリルのふたつの変種・・・光源で色が変わって見えるアレキサンドライトとこのキャッツアイは相応の高価格で取引されることが多い。これらの変種は特別なのだ。
キャッツアイになる宝石すなわちシャトヤンシーのある宝石には、上に書いたとおり光学効果のきっかけになる平行なインクルージョンがある。鑑別の現場ではこれを探すことになる。
この写真にあるように、トルマリンやエメラルドのキャッツアイにはすぐにそれとわかる平行なインクルージョンや成長構造が見つけられる。
ではキャッツアイの本家、クリソベリルはどうか。光学効果の原理は同じだから光を反射する平行なインクルージョンがあるはずだ。
じつは、クリソベリルの場合これが細かすぎて顕微鏡でもその並んだ方向を簡単には識別できない。ぼんやりした雲状のインクルージョンのかたまりがあるように見える。
宝石鑑別の仕事を始めたころ、知識としては知っていたこのシャトヤンシーのメカニズムだけど、クリソベリル・キャッツアイに関しては、60倍以上の拡大でも平行な要素が簡単には見つけられずに面くらった。しかし反射光の筋はひとつの方向のみ。これはいったいどうなっているのだろうか。
正解は方向性をもったインクルージョンがとても細かくて雲状にしか見えないということのようだ。高い透明度も影響してか、白い光の筋だけが浮かびあがって見える。そのシャトヤンシーにはクリソベリル・キャッツアイに独特の深みがある。
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クリソベリル・キャッツアイは反射光の筋の両側で、それぞれの色が違って見えることがある。おそらくインクルージョンの細かさから、石の内部で光の回折や散乱が起きていて違う色に見えるのだと思われる。
この異なるボディーカラーは多くのケースで褐色と乳白色の取り合わせになる。だから「ミルク・アンド・ハニー」と呼ばれたりする。しかし書籍によっては蜂蜜色のボディに対する白いシャトヤンシーをミルク・アンド・ハニーと呼んでいたりするから、この呼称にも諸説ありそうだ。
透明度が高く綺麗に研磨されたカボションのとろっとした質感は蜂蜜を連想させるし、そこに差す白い光がミルクに見立てられるのはとてもよくわかる。下の写真は宝石をあつめた大判の書籍のもの。左端のがミルク・アンド・ハニーとして紹介されている。
ミルク・アンド・ハニーという呼び名は、その語感、それから同名の小説や音楽の印象のせいか、なんとなく甘ったるく官能的な印象がある。
しかし、もとはおそらく旧約聖書の出エジプト記の「乳と蜜の流れる土地(a land flowing with milk and honey)」にちなむ命名だろう。
この「乳と蜜の流れる土地」は、エジプトを脱出したイスラエルの民が向かうカナンのこと。カナンの地は、乳と蜜が流れているぐらい豊かな土地。つまりミルク・アンド・ハニーはユダヤ教・キリスト教世界の理想郷のメタファーになっている。
ミルク・アンド・ハニーと呼んだヨーロッパの先人たちはクリソベリル・キャッツアイの光に何を見ていたのだろう。理想郷すなわち俗世を超越した世界の存在を期待したのかもしれない。でもどうして?
これが猫目石の話であることを思い返す。
猫は聖書には出てこない動物だ。つまりユダヤ教やキリスト教では猫は重要ではない。むしろ中世の魔女狩りでは黒猫が悪魔の遣いとされたぐらいだから、不吉な印象があるぐらいだろう。
いっぽうで猫は古代エジプト世界では神聖視されていた。
そのエジプトを出たイスラエルの民。彼らを率いたモーセが伝えた神の言葉は目的地カナンを「乳と蜜の流れる土地」だと形容した。
一部のクリソベリル・キャッツアイの呼称ミルク・アンド・ハニーは、もしかしたら異教徒的要素を排除したい原理主義的な目的でつけられた呼び名だったりはしないだろうか。
結局のところ「キャッツアイ」のネーミングがぴったりすぎてミルク・アンド・ハニーがその下位分類みたいになっている。わたしの仮説(妄想?)がありえるならば、とても皮肉なことだ。
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わたしたちは拡大検査が容易にできる21世紀に生きている。ルーペで10〜30倍、鑑別用の顕微鏡でもおよそ60〜100倍ほどには拡大できる。電子顕微鏡を使えば何万倍にも拡大できる。
拡大検査でクリソベリルと他の宝石種のキャッツアイの違いがわかるわけだけど、はじめにこの石が「キャッツアイ」と名付けられた時代は拡大検査などできなかったはずだ。
元来”キャッツアイ”がクリソベリル・キャッツアイを指すというのは、わたしたち現代人には想像できないぐらいシンプルに、しかし的確にこの石の特別さが見抜かれていた証左だろう。
シャトヤンシーのメカニズムも拡大検査があるからこそ説明できること。それだけでなく、この光学効果をもたらすインクルージョンは何なのか、どうした条件でこんな石ができるのか、そうした科学的な謎解きには分光分析や質量分析などの技術が不可欠だ。
わたしたちはあらゆる技術を使って宝石のミステリーに挑んでいる。そうしたミステリーに迫れば迫るほど、また新たな謎が現れる。逆に宝石自体からこちらの手の内が見透かされて、新たな謎かけがされるかのような気分になってくる。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ているのだ。
ニーチェの有名なこのフレーズを思い出してしまう。
本noteの冒頭に登場してもらったモミジくん。我が家の4匹の猫たちのなかでは、おそらく最も知能が高い。いつもなにかを考えているかのような眼差しを送ってくる。その後の行動を見ていると、おそらく本当に色々考えているようだ。そして奇しくも彼の瞳は蜜色をしている。
新しい2月の誕生石クリソベリル・キャッツアイについて、妄想もふくめてあれこれ書いた。その過程で、実際に我が家の猫たちの眼も覗き込んでみた。
文化によって、猫は神聖視されることもあれば悪魔の遣いにされることもあった。それはこの神秘的な眼差しのせいだったかもしれない。
そして、そんな猫の眼に因んで命名された宝石にも、やはり共通する神秘さが潜んでいる。猫がこちらを覗き込むように、宝石のキャッツアイのほうもこちらがどこまで調べているのかを伺っているんじゃないかなんて気になってくる。