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秋の夜長の宝石たち

最寄り駅を出てからの帰宅の途が薄暗くなりはじめた。北回帰線よりも北にある日本。秋分を過ぎて冬ゾーンに入ったのだから当然のことなのだけど。このあいだまで溶けてしまいそうなほど暑かったのに、もう夕暮れどきの風はずいぶん涼しく、その風にのって金木犀キンモクセイが香るようになった。

そんな9月末。まだ書きはじめてもいなかった9月の誕生石の話は、この薄暗さと金木犀の芳香に似合いそうなものが良いかな・・・などとぼんやり考えながら歩く。ふと5年前の夏におとずれた米国モンタナ州の光景を思い出した。

カナダに接するモンタナ州は緯度が高く、ロッキー山脈に近いため標高も高い。8月上旬とはいえ涼しかった。

あるプロジェクトで各地から集まった同僚たちと、仕事を終えてから散策したのは州南部のボーズマンの街。

目の前を歩く4人は米国各地から来た同僚たち。

ちょうどそのとき、ボーズマンではスイートピー・フェスティバル(Sweet Pea Festival)がおこなわれていた。この街の夏の恒例行事。チョークアートに彩られた歩道には絵画や手作り雑貨が並べられ、路地という路地からバンド演奏の音楽が聴こえる。歩行者天国の路上からは食欲をそそる匂いがただよう。高緯度地方の束の間の夏を楽しむような雰囲気。街をあげての祭典だ。

スイートピー・フェスティバルは初耳だった。行きの飛行機で隣席になった年配の女性が、この祭りのためにボーズマンに別荘を持っているのだと話していた。わたしは祭りはおろかボーズマンについてもなにも知らないことを伝えた。

このタイミングでボーズマンに来るなんてあなたはラッキーよ、アーティストなの?ならば絶対に見逃してはダメよと、その女性は祭りの見どころを教えてくれた。

ボーズマンの街角。窓に見えるのがスイートピー・フェスティバルのポスター。歩道には制作途中のチョーク・アート。

街路樹に混じって植えられているスイートピーが、ほのかに甘い香りを漂わせる。そうだ、9月末の日本の夕暮れの空気感と金木犀の芳香にも似ている。わたしが仕事帰りにモンタナ州ボーズマンを思い出した理由がはっきりした。

モンタナ州はサファイアの産地。サファイアは昨年も書いたように9月の誕生石。おお、誕生石ネタにつながった。モンタナ・サファイアはくすんだ落ち着いた色合いのものがおおい。コーンフラワー(矢車菊)にも喩えられる爽やかなブルーもある。いわゆるロイヤルブルーと呼ばれるような濃いブルーの力強さとはまた違った上品さが特徴だ。

この記事の見出し画像は、ティファニー社のハイジュエリーのカタログ『ブルーブック』から、モンタナ・サファイアをあしらったブレスレットのページを撮影したもの。夜に咲く花(Night-blooming flowers)と形容されている。

2013年の『ティファニー・ブルーブック』より、モンタナ・サファイアとダイヤモンドのブレスレット(左)。なお、右に見切れているのはスピネルのリング。

モンタナ州には複数のサファイア産地がある。谷底や川沿いの堆積物から採れるタイプ(二次鉱床)と山の岩石から採れるタイプ(一次鉱床)とに大別できる。宝石としての品質が高いのは一次鉱床のヨーゴ峡谷のもの。ブルーからバイオレットの色調のものが大半。

いっぽう二次鉱床のものはイエロー、ピンク、グリーンなどのファンシーカラーがほとんど。ファンシーカラー以外では加熱処理によって青くされたものが市場に出回っている。かつては大半が産業用に使われたぐらいなので、品質はヨーゴ峡谷のものには劣る。しかし独特の味わいがあり、小粒であつかいやすいこともあって、近年また宝飾用として注目を浴びている。

上に紹介したティファニーのブレスレットの石は、おそらくヨーゴ産のものだろう。この高品質なヨーゴ峡谷のサファイアについては、ちょっとだけだけれど、わたしが昨年7月におこなったウェビナーでも触れていた(リンク先はウェビナーのYouTube動画)。

わたしのウェビナー「世界のサファイア産地をめぐる旅」より、モンタナ・サファイアにまつわるスライドのスクリーンショット。旗マニアとしてはスルーできないモンタナ州旗と州章も紹介。

19世紀のゴールドラッシュ。西部開拓時代。あのチャップリンの「黄金狂時代」の舞台はアラスカだったけど、北米全体が一攫千金をもとめた野心家たちのスタジアムだった。

モンタナ州(当時はモンタナ準州)ヨーゴ峡谷の金の採掘現場によく落ちていた青い石は、鉱夫たちのあいだではウィスキー瓶の破片だと思われていたらしい。サファイアが何なのかも知らない男たちは半信半疑でシガーボックスに青い石を詰め、ニューヨークのティファニー社に送りつけた。

ティファニー社の宝石学者ジョージ・フレデリック・クンツ氏は、シガーボックスのなかの青い石をその比重と硬度からサファイアだと同定。米国で採れる最も美しい宝石にちがいないと、そのポテンシャルを高く評価した。

このゴールドラッシュの副産物は、彼がいなければウィスキー瓶だと思われたままの運命だったかもしれない。

ジョージ・フレデリック・クンツ氏。『YOGO the Great American Sapphire』(S. M. Voynick著 1985年 Mountain Press刊)より。キャプションにもあるとおり、このnote本文に書いたシガーボックスの逸話についても詳しく書かれている。

宝石学は鉱物学の隣接分野として、また文化史やデザインとも緩やかなつながりを持った実学として、教育の機会が整っている。しかしそれは20世紀以降の話。モンタナ・サファイアが見つかった19世紀後半、宝石について体系的に知ることはほぼ不可能だった。

ニューヨークの鉱物少年だったクンツ氏は独学で鉱物学を学び、4000点を超える鉱物標本を収集したという。そうとうなマニアだ。宝石としての潜在性のある鉱物標本を携えてティファニー社に売り込み、若干23歳で同社の宝石学者として副社長の要職に就いた。

クンツ氏は米国産の宝石を次々と発見、収集する。ヨーロッパから見れば新興国の後発ブランドだったティファニー。その価値をいっぺんに高めたのは、万国博覧会のコレクションだった。その監修をしたのはもちろんクンツ氏。

ちなみにその万博展示品は、投資家J.P.モルガンの名を冠したモルガン・コレクションの一部になった。のちに米国自然史博物館に収蔵されることになる。

クンツ氏が米国中からあつめた宝石は、ティファニー製品の中核を占めるアイコンになっている。氏の死後にティファニー社が命名したタンザナイトとツァボライトも含めて、同社の歴史に関係の深い宝石はレガシーストーンとしての特別な地位が与えられている。

そんなティファニー社のレガシーストーンにクンツァイトがある。文字どおりクンツ氏にちなんで名づけられた宝石だ。そして昨年末、奇しくもそのクンツァイトがあらたに9月の誕生石に追加された。

ここからは新誕生石クンツァイトについて書く。

カリフォルニア州南部のパラ地区。ここからピンクトルマリン、モルガナイト(ピンク色のベリル)など魅力的な鉱物が見つかった。そんな鉱物のひとつがピンク〜パープルのリシア輝石(リチア輝石)。のちにクンツァイトと命名される宝石だ。

リシア輝石はスポジュメン(スポジュミン)とも呼ばれる。リチウムとアルミニウムを主成分とする珪酸塩鉱物。リチウム電池をはじめ、いまやわたしたちの生活に欠かせないリチウム。リシア輝石はその原料だ。

じつは最初の誕生石記事のなかでもちらっとリシア輝石について触れていたのだけど、結晶中のアルミニウムが不純物のマンガンに置き換わることによって薄い紫〜ピンクを呈するようになる。クロムと置き換わったグリーンのものはヒデナイト。この記事ではエメラルドの遠い親戚としてヒデナイトをとりあげた。

クンツァイトは個性的な石だ。多色性がつよく、見る方向によって色味がかなり違う。巨大な結晶が採れることがあるものの、モース硬度は6.5〜7。傷がつくことがある硬さ。そして2方向に完全な劈開へきかいがあるため割れやすい。鑿をあてて叩けば予期せぬ方向に割れてしまうから彫刻には向かない。したがって、もっぱらファセットカットに研磨される。

これらのクセゆえに研磨がむつかしい素材の代表みたいにあつかわれ、しばしば研磨技術の腕をはかる指標にされるとも聞く。

研磨されたクンツァイトでわたしが思い出すのは、タイ在住のヴィクトル・トゥズルコフ氏による作品《ロータス・カット》。数ある国際コンペを総なめにした彼は最も高い研磨技術を持った人物のひとりだ。石の割れやすい方向と色が濃く見える方向を熟知しているからこそ研磨できた作品。

『Unearthed』(J. E. Post著 2021年 Abrams刊)より。640カラットのクンツァイト。ハスの花がモチーフになっている。

クンツァイトの個性は、こうしたクセにとどまらない。強い光が苦手で褪色しやすい。日中に屋外で身につけるのは避けられるので、”夜の宝石”の異名を持つ。淡い色合いのものがおおく、ジュエリーにセットされると、色味とカットの繊細さが際立つ。

下の写真は《ピカソ・クンツァイト・ネックレス》という、ティファニー社の150周年を祝って作られたもの。スミソニアン・インスティテュートに寄贈され、ワシントンDCの自然史博物館内スミソニアン・ナショナル・ジェム・コレクションで公開されている。

396.3カラットのクンツァイトと白蝶のバロック真珠で構成されたティファニー社150周年記念のネックレス。これも『Unearthed』より。

ティファニー社のデザイナー、パロマ・ピカソは、このネックレスを最高の自信作だと語っている。なお、パロマ・ピカソは画家パブロ・ピカソの娘。

先に紹介したブレスレット、優しい色合いのモンタナ・サファイアも優雅な夜の印象があった。クンツァイトのジュエリーもこのとおりの優雅さ。タンザナイトも夜のイメージで売られていることを考えると、ティファニー社のレガシーストーンに共通する雰囲気だと言えそうだ。

2013年の『ティファニー・ブルーブック』より。左からタンザナイト、ツァボライト、クンツァイト、ふたたびタンザナイトのレガシーストーンのイヤリング揃い踏み。

この記事を書きはじめてすぐ、奇遇にもFacebookでクンツ氏の生誕記念(9月29日)だとの投稿を目にした。そこに載せられていたのはクンツァイトの標本を見上げるクンツ氏と万華鏡のようなクンツァイト。ちなみにこの万華鏡クンツァイトは3000カラットを超える大きさ。ヴィクトル・トゥズルコフ氏の新作だ。

GIA Gems & GemologyのFacebookグループ画面のスクリーンショット。

クンツァイトが9月の誕生石に選ばれたのはクンツ氏が9月生まれだからなのかもしれないけれど、わたしにはよくわからない。夜の宝石クンツァイトは、そのイメージからも夜が長くなりはじめる秋にぴったりのセレクションだと思う。

クンツ氏は宝石学の先駆者であり、米国のティファニー社をトップブランドにした立役者。現代にはもうクンツ氏のような宝石学者は求められていないのだろうか。

数年前に、ヨーロッパの大手宝飾ブランドが宝石学者の求人を出していた。わたしは詳しい話を聞きにいった。

宝石学の教育手法が確立し、独立した鑑定・鑑別機関によって宝石の種類どころか産地まで調べられる現代。とうぜん19世紀とはまったく異なる。そのブランドは宝石学者をどのような目的で求めているのか。クンツ氏を招き入れたティファニー社のように、科学者の探究心と洞察力を原動力にしたブランド運営はあり得るのだろうか。

そのブランドで求められていたのは、社内教育の需実と顧客へのアウトリーチ。そして宝石の専門家としてのセールスのサポート。石の仕入れ等については、調達部門の仕事なので無関係だった。

そして残念なことに独自の研究についてはまったく求められていなかった。

たしかに、研究は鑑別機関や大学がおこなっているのに商売する側がわざわざやることではないのかもしれない。

持続的な発展のため、環境問題や社会問題にも配慮した経営はどの企業でも必須になっている。そこには商売から離れた科学者の視点は不要なのだろうか。工業系でよく聞く企業の研究者が研究業績を積むという話は、ジュエリーブランドには当てはまらないのだろうか。企業のイメージ戦略としてもけっして悪いことではないと思う。

秋の夜長に映えるモンタナ・サファイアとクンツァイト。これらの9月の誕生石にゆかりの深いジョージ・フレデリック・クンツ氏。それぞれの宝石にまつわることを書いていたら、めぐりめぐって現代のジュエリーブランドと宝石学者の関係にも思いを馳せてしまった。

華やかな宝石でも、”夜の宝石”というとちょっと影のイメージになる。そこに宝石学の先駆者クンツ氏の姿が見えるのは、現代のジュエリー業界の影を映している・・・とは言えないだろうか。わたしの考え過ぎなのかもしれないけど。

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