駆け込み寺機能が弱まっている
今日はお寺の話、、、ではない。
困った困ったというときに誰もが駆け込める。
そんな人がいて、場所がある、そんな地域で暮らしたい。
駆け込む側としてたくさんの人に助けられ続けてきた。今はよくても、いつ、何時、自分も駆け込む側になるかもしれない。
なんだかんだ言って、誰かが助けてくれる。そんな地域で暮らしたい。
今だけ、金だけ、自分だけの生きかたは結局自分が排除されてしまうことにつながる。
安心して暮らしたくないですか?
受け止める力が弱くなっているのであれば、まずは小さなことでも受け止めてみる。
ひとりひとりお互い様でいることが結果的に駆け込み寺のような機能を果たすことができる。
かつてあったものが元通りになることはないかもしれない。でも、小さな一歩の積み重ねがつながっていくことが、失われつつある機能を補完する。
今日もひとり、そして、ひとりと想いを受け止めてくれる人がいた。仕組みになる前に、ひととひとが重なることの力を信じたい。
「未来にここに住み、暮らしを営んでいく人たちに委ねたい。」と心地よく送り出して受け取れる受け皿を。
「地縁と知縁でのこす共有資産」とよさとコモンズ 構想中!