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間にできるもの

今年一番印象に残ったことは文章にすることでもあり、文章に残さないことになりそう。

文章には、ひとりひとりと対峙しなくても、伝えられる力がある。noteを書き始めたのは、自分の内観を深めること、散財している情報を集約して表現することの他に、社会に何かを伝えたい、仲間たちに何かを伝えたい、会う前から事前に考えを伝えられるというように、コミュニケーションの面積が広がっていくことを補完することを目的としていた。かつて、言語化できないことに思い悩み、最近少しできるようになったこともあって表現に挑戦したいということもあった。

しかし、「言葉」には、このひとりひとりと対峙しなくても、伝えられる力がある。コミュニケーションの面積の広がりを補完できる。というのが、実は曲者ではないかと最近感じるようになってきた。

なんでかなぁ?と思っているうちにいくつかのことが3つの出来事とのご縁があった。

ひとつは、「今年一番印象に残ったことは?」と先日の忘年会のときに聞かれて何も出てこなかったことだ。カレンダーを見返していると本当に毎日いろいろなことに取り組んでいる。日々のルーティンに加え、仕事も暮らしも種まきと収穫。一番が決められないだけなのか。あれあれ??

ひとつは、信頼のおけるメンターのかたに、最近ひとつだけ気になることがあるとすると、「文章が男性性的な説得調な内容になっていないか。」と言われたことだ。全然会っていないのにすぐわかるものだ(笑)

ひとつは、また別の信頼のおけるメンターのかたに、戸田君の表現手法は、「今年はじめた『つながる相談所』じゃないのかなぁ。」と言われたことだ。よく見てるなぁ(笑)

コミュニケーションを広げる力がある「言葉」は、諸刃の剣になる。

そうそう、少し前までは、何がやりたいの?という問いに対しては、

「福蔵寺ご縁市」にきてください、「山里合唱団こだま」で一緒に歌いましょう、私たちの大事にしたいものはここにつまっています。

と答えていた。

ひとりひとりと対話するときも、仲間たちと会話しているときも、その場だけでできる、不思議な妙がある。

「言葉」にすることでどうしても抜け落ちてしまう余白の何か。この余白を言葉にかえていくことに挑戦していくという役割の人が世の中にいる。でも、僕はちょっと違うのかもしれない。

これからも書き綴っていく予定ですが、余白を言葉にかえていく役割は誰かに譲って、余白を余白として表現できるありかたをこれからもまわりでつくっていこうと思います。

キャッチアイ写真は、つくラッセルJazzDayイベントでした~

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