「わかりにくいところがいい!」で救われた話すことへのコンプレックス #変化を常に#まなびの人生設計図
昨日、中核市サミット2022in豊田の行政視察で、全国各地の中核市の要職のみなさんがつくラッセルを訪れ、『多様なつながりと描く地域共生社会のミライ』と題して若者と高齢者、移住者と地域住民の重なりあい等、つくラッセルの取り組みを講演して、施設見学、里モビ試乗体験をしてもらった。
今でこそ、年間10件程度は、こうやって話をする機会があり話させてもらっている。決して上手とはいえないが、私が体験体感してきたこと、今現状を包み隠さず素直に話をする。
以前の投稿でも書いたが、起業当初から10年くらい「なにいってるのかわからない。なにやりたいのかもわからない。で、どうするの。」と言われ続け、当時付き合っていた嫁さんに泣きついていたことを思い出す。
旭にきて当初も、何言ってるかわからないなぁ~と言われ続ける中、ある会合で、いつものようになんか言いたいんだけどもうまく表現できず、くだをまいていると、たくさんいるメンターのひとりである澁澤寿一さん、丹羽健司さん、高野雅夫さんに、「戸田君の話は、本当にわかりにくい、けど、とってもいい。」と、なぜか褒めちぎられた。
「わかりにくいところがいい!」
これは僕にとって、とってもカルチャーショックだった。思えば、小学校のときの児童会選挙演説のときに、原稿持って行ったのに、なにかそこでできもしないのに気分よくアドリブでしゃべろうとして、撃沈したときから、「わかりにくさには定評があった(笑)」 自分から取りにいった役割でまともに評価されたことはない。
結局、うまく話そうとするので、上滑りしてしまう。仮想の相手にはめっぽう弱いのであった。
「わかりにくいところがいい!」と褒められてからは、現金なもので、わかりにくいことをマイナスにとらえないことにした。「わかりみ」を追求するのでドツボにはまることが多い。
わかりにくいことを売りにしよう。
かっこよく話すより自分の弱いところを話そう。
相手が聞いてくることを話そう。
体験・体感・経験をもとに話そう。
場をいかそう。
と、比較的うまく伝わったときを思い出し、あとは場数を踏むだけだった。
今でも、あいかわらずスマートに表現することは苦手意識があり、わかりやすいとは思わないが、「最近は話が聞けるようになってきたのでつまらない。」と前述の皆さんに言われる。あらためて誉め言葉として受け取っておくとともに(笑)、「わかりやすくなる」=「今あるものしか表現できていない」ともとらえられることに気づいた。
今、世の中にない未来は、わかりやすく表現できるわけないのだ。
わかりにくいけど、なんか、という中に「未来へのヒント」がある。
わかりにくさにある「余白」には、誰かがはいれる隙がうまれる。
わかりにくさに、やさしさと粘り強さで関われば、深みと変化がうまれる。
そんな、わかりみが悪いけれども、深くなれる、学び合う対話の機会があってもいいかなと思っている。
ただ、今後も、外へでて講演活動を広げてやっていこうとは思っていない。話だけで表現できるほど、わかりみのある表現はやはり苦手だし好きでもない。生の場が語る以上の表現はできない。
わかりにくいところがいいね!と、他の人へメッセージを贈っていこう。