見出し画像

大祭の準備

各集落の神社で秋の大祭がひらかれている。祭りは当日だけでなく、事前の話し合いや準備など、この時期はそわそわ、バタバタしている。

私も今年は隣のじいちゃんと宮係なので、買い物にいったり、掃除をしたり、段取りしたりしている。10戸だけの集落なので、神事をして、サバを焼いて、みんなで小宴をひらいて、和気あいあいと楽しむというだけである。しめ縄は集落でとれたもち米の藁をなって毎年つくる。今年からばあちゃんたちが負担にならないように各戸でお重をしたためてくるのはやめてオードブルをとる。

かつて、みんなで手作業で田んぼをやっていた頃とは、お祭りの意味合いもかわってきている。みんなで集まることの大切さはかわらないと私は思うけれども、変化はしている。

新型コロナウイルスの蔓延の影響で、あの時期、どの集落もお祭りのありかたを随分と縮小した。同じように復活したところ、縮小して神事のみですませるところ、かたちをかえて開催しているところ、困惑の中、色々な選択をされている。

大祭の神事をすることと同じくらい、そこに向けて準備をして、そして当日みんなで宴席を囲むことが本当に愛おしく思う。

地域が地域としているここにあることは営みが残っていくことが目的でもあり過程でもあり、そのどちらもここに土地が受け継がれて残っていることが大切だと思う。

大切だ、大切だ、大切だと何度連呼しても、残るものでもない。その時代にあわせて楽しみながら営みを残していくこと、そのためにみんなで動いていくこと。その行動の中にしか価値は生み出せないと思う。

「未来にここに住み、暮らしを営んでいく人たちに委ねたい。」と心地よく送り出して受け取れる受け皿を。

「地縁と知縁でのこす共有資産」とよさとコモンズ 構想中!

いいなと思ったら応援しよう!