ここで年を重ねていきたいと思わせる生き様がある <あの日あの言葉シリーズ>2012年6月 #変化を常に#まなびの人生設計図
当時30歳のときに書いた文があったので誤字以外の編集はなしでそのまま載せてみました。たまにとりあげてnoteの蓄積に加えておこうと思います。
田植えをしているとカエルの鳴き声や鳥のさえずりが聞こえる。旭で暮らしていく!そう決めてこちらにきてから2年目の夏を迎えた。ここは豊田市の中で一番過疎高齢化が進んでいると言われる旭地区。でも、ここ数年は移住者も増えている。かくいう私もその一人。ここには街のような便利さは少ない、自力でやらなければいけないことは多い。一方で、大変さを感じることがある分、創り出す喜びも大きい。煩わしいことも多い分、うれしいことも多い。人生の先輩たちからはさまざまな知恵を学べることで人間的な成長ができる場でもある。
この旭で年を重ねてながら、お世話になっている地域のおじいちゃん、おばあちゃんのようになりたいと思う。
息子が産まれて4月で1歳になった。息子は旭で産まれ、旭で育つ。隣のおじいちゃん、おばあちゃんは自分の孫のように息子をみてくださる。田植えをしている横で、歩きまわったり、話をしたり、自然の雄大さと人のあたたかさを一緒に受けながら子育てできる環境がありがたい。地域の中では元気で素直なたくましい子どもたちが育っている。
この地域の課題は多い。過疎高齢化は担い手不足になっていくということ。とはいっても、高齢者も担い手である。「体が動けなくなるまで働く。」というと、一般的にはどんな虐待だとなるかもしれない。でも、70歳のおじいちゃんが90歳でも元気に農作業をしているおじいちゃんをみて、まだまだ自分はと言う。年をとっても体を動かして、できることをできる範囲で、いきいきとシゴトをしている。当たり前のように、田畑を耕し、山の手入れをし、家のシゴトと、地域のシゴトと、稼ぎのシゴトをして、楽ではないし、快適ではないかもしれないし、ゆっくりかもしれない。
でも、ここには、そうやって年を重ねていきたい生き様がある。
子どもからお年寄りまで、ここで生きるということは、ここでの役割を担いながら、みんなでこの地域を創っていくということ。人口3000人ほどの町では、それが実感できる。30人集まれば人口の1%。高齢化率、出生率でみたら2050年の人口減少社会日本の縮図が今この旭地域にはある。たくさんのお年寄りと少しの若者が手を携えながら、世代を超えたお互い様のココロで自分たちの暮らしをつくっていけるのであれば、少子高齢化も悪いばかりでないなと、今日も豊かな自然と文化に満ち溢れるこの地域で暮らし続けることに夢と未来を感じている。
*2012年6月 新三河タイムズ 持論異論 寄稿文 編