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役割がある いるだけでいい

お祭りネタは一旦今日が最後。私が住む築羽自地区旭八幡町にある八幡神社で郷社まつりが行われた。かつては今の自治区の範囲の何倍もの集落の人達が夜中から山車をひき集まり、テキ屋さんもたくさん出て、人でごったがえす、それは想像できないほどの賑わいだったそうです。

まぁ、それはおいておいて、

過疎化、コロナ禍をへて、なんとか神事以外も復活したけれども、お囃子、余興も、風前の灯火。10年前になんとかつないだ笛の吹き手、廃校で途絶えた子ども太鼓の再開、担い手の高齢化、なかなか人数が少なくなる中でどうやって継続していくのか工夫をしてというよりは、もろい縄を繕いながらたぐっているような感じです。

でも、ちびっこからお年寄りまで、なにか特段なイベントは何もなかったんだけども、ウズウズと太鼓を叩きたくなったり、久しぶりの再会に大いに談笑しあったり、子どもたちが走り回るのを温かいまなざしでみてくれたり、なかなか言葉では表現できない雰囲気が漂っていました。

子どもたち太鼓を叩いている横で、ウズウズして笛を吹き、太鼓を叩いてくれたじいちゃんたちにも、ジーンときました♪

終わった後、近所のおじさんがぼそっと、「これぞお祭りって感じでよかった。」と一言。
かつての大盛況なお祭りを知っているかたから、この言葉がでるのに、なんかとっても、またまたジーンときました。

これでいいじゃなくて、これがいい。致し方なく今のかたちをやっているのではなく、今できることでやれるかたちで楽しみきる。楽しみきった先には、幸せな世界がまっている。

「未来にここに住み、暮らしを営んでいく人たちに委ねたい。」と心地よく送り出して受け取れる受け皿を。

「地縁と知縁でのこす共有資産」とよさとコモンズ 構想中!

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