みんなで草刈りをする ただそれだけで解決すること
この週末は、集落の草刈りと、自治区の皆さんとのつくラッセルのマレットゴルフ場のまわりの草刈りをした。
今までと同じようにはできなくなってきている集落の草刈り。やれるようにやれるところをやるで継続していけばいいのかなとも思う。といっても、まちに住んでいる人からすると、とんでもなくたくさんのことをやっているようにも見えるかもしれない。
いっしょに汗を流して作業をする。協力し合って集落を維持をする。煩わしくもあり、大変でもあり、嬉しいことでもある。
みんなで草刈りをする。これはコミュニケーションの手段なんだと思う。オンラインが発展してなお生身で受け取る情報の量と質の多さと複雑さをこえることはまだ当分ないような気がする。もともとリアルしかない体感しかない集落の人たちからすると、新しいコミュニケーションの手段は生きているうちに「いっしょにいる」ことを越えて使えるものにはならないと思う。自分でさえそう思う。デジタルネイティブの世代がどうなるかは、時代と歴史が後ほど判断することになると思うが、世界中の大きな企業までもリモートワークからリアル出勤に改めて切り替えはじめてきているのには意味があることだろう。
集落での草刈りのあとは、風神様のお祭り。神官さんを呼ぶまででもなく、みんなで神社で手をあわせて、つまみや甘味で小宴をひらく。
つくラッセルは自治区もかかわりをもって運営されている。年に1度、築羽自治区各集落のみなさんの有志でマレットゴルフ場のまわりを中心に草刈りをする。いっしょに汗を流す。休憩のときに久しぶりにあった顔で話をする。ただ、それだけのことだけども、かわらずなのか、かわっているなのか、お互いに確認して、安堵する。
いっしょにいる、顔をあわせる、いっしょに汗を流して作業をすること、いっしょにご飯を食べるお茶をする、それだけのことの大切さを実感する。ただ、それだけのことを継続していくこと、そういう機会を失わないようにすることが、なにかをすることよりも前に、私たちが生きるに値する地域の根っこにある大切なことだと思う。
みんなで草刈りをする ただそれだけで解決することも多い。伝わりそうで意外と伝わりにくい、コミュニケーションの話。
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