<考>いなか暮らしのお役4 #変化を常に#まなびの人生設計図
日曜日、集落のお祭りとは別に近隣の集落があつまってとり行われる郷社祭りがひらかれた。私が大好きなお祭りのひとつである。我が家の4兄弟は皆、郷社祭りのときに初参りもさせてもらった。
今年は、コロナ自粛によって控えてきた渡御(神輿を担いで境内をめぐる)、巫女舞も3年ぶりに開催された。長い坂を山車をひいてあがってくる宮入、太鼓、笛、余興、宴会等は引き続き自粛中のままである。
2022年度は氏子総代のお役を引き受けることになって、年間を通じて、会合や行事のお手伝いをはじめてすることになった。普段、ほとんど大祭のときにしか関わらないし、大祭もお世話をする側ではなかったので、全然みえてこないものがみえてきた。
前回、うちの集落のお祭りについて書いた。10戸だけの小さな集落の小さなお宮で小さな大祭を行った。集落各所に散らばっていた神様をお参りできないからと小さな祠を集落のじいちゃんがつくって、火の神様も、山の神様も、昨年引っ越ししてもらって、より1箇所でコンパクトにお参りできるようにしてきたお宮である。
実は、郷社のある集落も、うちの集落と同じくらいの戸数で暮らしている。氏子総代としてかかわることで、もちろん他の集落からの数人のお手伝いもあるわけだが、それにしてもこの規模感を集落内で維持してお祭りを催行しているのは、凄すぎるとしか言いようがない。
ありがたい、嬉しいという反面、、、申し訳ないという気持ちにもなった。
今年は娘が巫女舞をはじめてやらせてもらった。4人の巫女が舞う姿は、とても素敵だと思った。そういう話をしていたら、隣のばあちゃんがうちの娘のときはねと、昔の写真をみせにきてくれた。
続いてきた伝統は子を思う母や地域の人たちの気持ちとともに、受け継がれてきたのだと思うと、とても嬉しく思った。
かつては、もっと広域でかかわりがあり、選ばれし演者の棒の手の披露、神馬の奉納、ずらっと並んだ出店、たくさんの山車に、笛太鼓のうちはやしの奉納、それはそれは大賑わいのお祭りだったそうだ。
子どもが少なくなってきた、人口も減ってきた中で、規模が小さくなってきてもなお、各集落で桟敷をつくって、お重をひろげて、余興を楽しむ。ささやかだけども、続いていくことの嬉しさをとても感じていた。
8年ほど前、笛の吹きてがいなくなるということで、いやいやそんなことでなくなってはと思って、伯母沢流笛太鼓保存会を自治区でつくってもらい率先して笛を教えてもらって、今は吹けるようになった。
前々回、うちの集落は大しめ縄をつくれた書いた。郷社の大しめ縄は、2本あって、1本はプラスティック製となっていたが、1本は今年の藁で編んだ。それ以外にも小さなしめ縄を本当にたくさんつくって各所にお供え準備した。
ひとつひとつは小さいことかもしれない。だけど、これらを全部小さな集落の少ない人数で支えているかと思うと、ありがたいより申し訳ないが先にたった。
少し格が上の神社は一番下の格の神社とは違うと聞く。
住んでいる人が住んでいる人らしく住んでいる人なりに祀っていくのが本来ではないだろうか。
かえられないから全部やめればいい。そうではない。
かえていくのにも忍耐力がいる。どこかで限界がきて一気に崩れてしまう前に、少しでもゆるやかに着地できないだろうか。
きっと神様も応援してくれると思う。
ぼくはこれからも娘の巫女舞をみたいし、その次の世代の巫女舞もみながら、お祭りを楽しんでいたい。
うーん、どうすればいいかなぁ。とにかく長老たちと少しでも話をせねば。