見出し画像

令和6年の一文字から令和7年の一文字

新年あけましておめでとうございます。新聞屋さんは元旦の配達が終わると、年越しだなぁという気持ちになります。いつもと同じ朝ですが、いつもよりほんの少し充実感アップです。

配達が終わり、家に帰り、家族で朝ごはんを食べたあとは、集落の神社にあつまって、地域の皆さんと新年初詣。みんなでお参りして、直会をいただいて、いつもと同じ10戸だけの集落のささやかなほっこりする時間です。

令和6年は星回りのよい年で色々なご縁がやってくるという年だったかなと思います。ただ、追い風というのは不安定になりやすく、足元を同時にかためていくというベクトルも必要で、きたものをいかに打ち返していくかということに慌ただしく向き合っていたように思います。

令和6年の一文字をなにか書いて~と言われて、ぱっと思いついたのが「応」 応じる、応える、対応、応援、応用、応答。
身近でも、仕事でも、たくさんの相談にも向き合ってきました。ここでは書けない重たいこともたくさんありましたが、うまくいったことも、うまくいかなかったことも、出会いも別れもたくさん経験できました。学びはいつも生の経験のなかでこそ深く大きなものがあることをより実感できます。

12月末の最後の常会で集落の2つのお祭り行事の準備をまわり番の家で担うことにかえて、行事をまとめることと、お堂の掃除や支度をみんなでやることを決め、2つのお役を最近やることも減っていることもあって、なくしてもいいんじゃないかと話ができた。 お堂をほかったらしにはできないよね、でも、今のままじゃぁ負担が大きいよね、じゃぁできる方法を考えようと。小さなことかもしれないけれども、みんなで方向性を決めていくことって簡単なことでもない。よい話し合いができたなぁ。

じゃぁ、令和7年の一文字も考えてみるとどうかなぁ~ということで、書いたのが、「然」 

良いも悪いもなく、そのとおりである。というところから、本来のあるところから、物事を組み立てられないかということを改めて。

来年度、コロナ禍でうまれた子どもたちが子ども園に入園しはじめる。ここから急激に子どもの数が少なくなる。わかってはいたけれども、目の前になってみるとその衝撃ははかり知れない。これまで過去から現在につながってきた延長線上に未来はないかもしれない。そう思わせるには十分な現象がこれからどんどん起こってくる。

そう、本当に大切なことは、大事にすべきことは、人が人らしく、地域が地域らしくいるためには、どう考えればいいのか、どう行動していけばいいのか。

今を大切にしながら、本当に価値のある未来をつくっていきたい。山村だからこそ可能性があると思っている。

本年もどうぞよろしくお願いします!

いいなと思ったら応援しよう!