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脈々と続いているものを有難いと思うからこそ、捨てることを見いだす
移住したての頃、とにかくあらゆるお役を引き受けていた。あちらのお祭りにも、こちらの盆踊りにも、子どものこと、高齢者のこと、まちづくりのこと、自治区のこと、防災のこと、森林のこと、農的なこと、色々な会合にも参加した。やりすぎて充分に参画できなかったものもある。(そりゃそうだ)
地域のことを自分ごととして捉えていたということもあるのだけども、根っこのところに、脈々と続いてきたこの地域に住まわせてもらっているのに、自分は先祖代々続いている皆さんと違って今までの地域への蓄積がない。少なくとも今だけは目いっぱいやらないと。フリーライド(ただ乗り)しているわけにはいかない。という感覚を持っていた。
脈々と続いていることは本当に有難いことと思う。なんだかんだ言って、私は地域に救われたと思っている。
少子高齢化、人口減少、過疎化の波はとどまることをしらない。縮小していくことにどう向き合っていくのか。答えはない。ただ、今まで通りというわけにはいかないのだ。
捨てるって難しい。
もう今はフリーライドしているいう感覚はあまりない。それは自分自身がかかわってきたということもあるが、新しい世代は、前の世代の上にフリーライドしていけばいい、そうやって続いてきたはずだと思ったからである。
捨てるには捨てないものを選び取る必要がある。脈々と続いてきたものを有難いと思うからこそ、捨てないといけないものがあるのだと思う。
本当に大事にしていきたいものって何だろう。
「未来にここに住み、暮らしを営んでいく人たちに委ねたい。」と心地よく送り出して受け取れる受け皿を。
「地縁と知縁でのこす共有資産」とよさとコモンズ 構想中!