多様であることは幸せな人生への道しるべ 学びは足元にある@生の田舎暮らしを体感できる山里ひとなる塾参加者募集中!
山村の景色が少しずつ緑色に色づいてきた。寒さでこごえて地面にはっていた草も少しずつ腰をあげてあたりをうかがっている。先日長男が小学校を卒業した。旭に移住してすぐに生まれた子なので私たち夫婦と長男は旭での暮らしの同級生である。
この13年間を振り返ってみると、東日本大震災、毎年のようにおこる自然災害、終わらない戦争、実態と乖離した経済情勢、物価の高騰、新型コロナウイルスの蔓延、深刻化する日本の人口減少など、自分ではどうしようもできない大きな社会変化に翻弄され続けてきたように思う。
そうした社会だからこそかもしれないが、大人たちも子どもたちも、それぞれの人生と向き合いながら、多様な価値観にふれあい、それぞれの出会いの中で日々多様な学び合いをし続けている。かつてのように一律、横並びのありかたはもう時代に即さなくなってきて久しい。「多様である」ことが幸せな人生への道しるべであり、時代を切り拓いていくことの力の源である。
しかし、いまだに学びの場でも、まちづくりの場でも、行政サービスでも、「多様である」ことに対応していたら手に負えなくなってしまうという声が聞こえてくる。「多様である」ことはコストであるという意識である。自分の思い通りにしたいという気持ちが沸き上がることも一面理解できる。AIに問いかければ答えがでてくる時代、「効率的にやらなければ人手もお金も足りない」とばかり考え、よりコスパよく、タイパよく答えを求める。 役に立たない、効率がよくない、無駄が多いと何でも削ぎ落していった先に何が残るのか、立ち止まって深く考える必要がある。
私たちはいつも凸凹で、自分自身すら思うようにならず、長所と短所をかかえて、迷いながら惑いながら人生を歩んでいる。社会のほうから枠にはめて、窮屈に生きていくことが、その人にとっても社会全体にとっても、有益なはずはない。「多様である」ことをコストと思わずに、社会全体がぐっと底上げされ、みんなが幸せに生きるための基礎と感じられるにはどうすればいいだろうか。 そのためには実感と実態をともなう経験を積める学び合いの場を学校でも職場でも地域でも家庭でもつくっていくことではないかと思う。人知を超えてもちろん自分の思い通りにはならない自然のなかへ出かけてみよう。地域にでて何でもない会話を楽しみにいこう。その人らしく生きていると思う人と会ってみよう。狭まった視野がぱっとひらける瞬間がくるはずだ。そんな瞬間が何より愛おしい。
私が塾長をつとめる山里ひとなる塾の第2期生を募集している。第1期から地域を拡大して旭、足助、稲武、小原、下山の集落をフィールドに、1年間地域にどっぷり浸かる生の経験、本気で地域と向き合う先輩との対話、仲間たちとの語り場を通して、これからの人生への向き合い方を学び合う場になっている。塾生それぞれらしい生きかたとそれぞれの地域らしいありかたを再発見できる、そんな1年にしたい。
詳しいプログラムの内容はこちらから!ぜひ、説明会へご参加ください。
*2024年4月 新三河タイムズ 持論異論 寄稿文 編