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【追悼文】清成忠男先生について思い出すいくつかのこと

去る7月23日(火)、法政大学第16代総長で名誉教授の清成忠男先生が逝去されました。享年91歳でした。

清成先生が国民金融公庫を経て1972年4月に法政大学経営学部に着任し、1996年6月から2005年3月まで総長を務められたことは周知の通りです。

また、国民金融公庫調査部時代にはベンチャー・ビジネスの概念を提唱したことや、経営学部時代は中小企業論を専門として実証的な研究を重ねたことも広く知られるところです。

法政大学総長としての清成先生はボアソナードタワーの建設や5学部の設置など、21世紀に向けた法政大学の発展の基を築かれました。

特に総長の在任期間が、私が法政大学に入学した1996年から2度目の修士課程である法政大学大学院国際日本学インスティテュート社会学研究科政治学専攻を修了するまでと重なっていたということもあり、雑誌『法政』などでその談話を目にする機会も多く、清成先生は私にとって身近な存在でもありました。

その一方で、急進的ともいえる施策に対しては「専門が中小企業といっても、大学と中小企業は異なる」といった声が聞こえてくることがあったものの、そうした批判を意に介することなく法政大学の改革に邁進されたのでした。

こうした清成先生の態度の背景には、「日本の大学生の大半が私立大学に在籍しており、日本の大学教育を担う存在として私大の果たすべき役割は大きい」「学部を新設するのはカンフル剤のようなものでその効き目はすぐに薄れる。だからこそ効き目のあるうちに次の手を打つことが大事」といった信念があったと言えるでしょう。

ところで、清成先生とは、総長と学生というだけでなく、東京都立青山高等学校の先輩と後輩という間柄でもありました。

すなわち、清成先生は1951年3月、私は1995年3月にそれぞれ青山高校を卒業しています。

そして、2005年4月19日に1951年卒業生の同期会で青山フィルハーモニーOB・OGオーケストラの有志が演奏を披露した際に私も参加し、清成先生と高校の後輩としてお話する機会をいただきました。

この時は法政大学の国際日本学インスティテュートの博士課程1年次に在籍している旨をお伝えしたところ、「ああ、国際日本学ですか、これからの法政は日本学のように世界中から学生が集まって勉強や研究に励まないといけないからね。頑張ってください」という激励の言葉を頂戴しました。

その後、法政大学が選定された文部科学省21世紀COEプログラムの一環として国際日本学研究所の学術研究員に採用されたことが私と同所の本格的な関係の始まりとなり、今日に至っています。

従って、清成先生の時代に法政大学がCOEプログラムに選定されたことが私の履歴にも少なからぬ影響を与えたことは間違いのないところなのです。

私が持っている4通の学位記のうち3通が清成先生の署名によるものであることを含め、同窓の大先輩としての活躍に改めて敬意と感謝を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Professor Emeritus Tadao Kiyonari (Yusuke Suzumura)

Professor Emeritus Tadao Kiyonari, a Former President of Hosei University, had passed away at the age of 91 on 23rd July 20204. On this occasion, I remember some memories with Professor Emeritus Kiyonari.

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