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稲荷神社のルーツ

「お稲荷さん」こと稲荷神社は全国に約3万社以上あり、小規模な社を含めると、その数はさらに多いと言われています。

稲荷神社の御祭神

多くの稲荷神社では、稲荷神として五穀の神である宇迦之御魂神ウカノミタマをお祀りしていますが、記紀には名前が記載されているだけで物語はありません。古事記ではスサノオの子として、日本書紀ではイザナギが飢えた時に生まれた子とされています。

又大山津見神の女、名は神大市比売を娶して生める子は、大年神。次に宇迦之御魂神。

古事記

一書曰、伊弉諾尊與伊弉冉尊、共生大八洲国(中略)又飢時生兒、號倉稻魂命。

日本書紀

他に、伊勢神宮の外宮に祀られている食物神、豊受大神トヨウケビメ保食神ウケモチ大宜都比売神オオゲツを祀る神社もあります。
「ウカ」「ウケ」「ケ」の名がつく神は、食物、穀物の神とされ、延喜式には屋船豐宇氣姫命トヨウケビメの別名が宇賀能美多麻ウカノミタマとされています。

屋船豐宇氣姫命
是は稲の霊にます、俗の詞、宇賀能美多麻、今の世、産屋に辟木・束稲を以て戸の邊りに置き、乃ち米を以て屋の中に散く類なり

延喜式 大殿祭祝詞
豊受⼤神宮(外宮)

狐は神さま?

「お稲荷さま」といえば狐を想像しますが、狐は稲荷神ではなく神使や眷属とされています。
古来、民間信仰において狐は「田の神」とされ、狐塚を築いて祀られていましたが、時代と共に稲荷神と合祀されていったようです。

神使とされた狐

稲荷神社の総本宮

伏見稲荷大社(京都市伏見区)

稲荷神社の総本宮は伏見稲荷大社で、全国にある稲荷神社はここから分祀されています。伏見稲荷大社は、この地を治めていた渡来人の秦氏によって創建されました。

千本鳥居

秦氏と稲荷神社

山城国風土記によると「稲を積むほど裕福な秦伊呂具(秦中家忌寸の祖)が、餅を弓矢の的にして遊んでいると、餅が白鳥となって飛び、山の峰に降りて子を生み稲となったので、そこを社とした。その子孫は先祖の過ちを悔いて、社の木を抜いて家に植え、これを祷り祀った」とあり、伏見稲荷の創建が記されています。
「稲荷」は「伊奈利」と記され、伊奈は稲、利は刈り取るという意味を持ち、稲刈りを表します。

伊奈利の社
伊奈利と称する者、秦中家忌寸等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稲梁を積みて富裕を有ちき。すなはち、餅を的と為ししかば、白鳥と化成りて、飛び翔りて山の峰に居り、稲なり生ひき。遂に社の名と為しき。その苗裔に至り、先の過を悔いて、社の木を抜にして家に植えて禱み祭りき。今その木を殖えて蘇きば福を得、その木を殖えて枯れば福あらじとす。

山城国風土記 逸文

稲荷大明神

天長4(827)年に、淳和天皇が病に倒れます。占いによると、病は東寺にある五重塔の建材に稲荷山の木を伐採した祟りであると分かり、祟りを鎮めようと神社に勅使を送り、稲荷大神に従五位下の位を与えたところ、病は治癒しました。その後、稲荷大神は正一位まで昇格し東南(巽)の鎮護神とされます。その名残で今でも各地の稲荷神社には「正一位 稲荷大明神」の幟が立てられています。

稲荷山山頂に鎮座する上社神蹟

稲荷信仰の広がり

空海によって東寺の守護神として勧請された稲荷神は、真言密教の荼枳尼天ダキニテンと同一視され、全国に広まりました。
 江戸時代になると、「伊勢屋稲荷に犬の糞」と流行り言葉で言われるほど多くの稲荷神社が建てられました。五穀豊穣で知られたお稲荷さまですが、商売繁盛や家内安全のご利益も加わり、江戸詰になった各地の大名や豪商が稲荷神社を勧請し、広まったとも言われています。

豊川吒枳尼眞天を祀る豊川稲荷

神仏習合で稲荷神も寺院に祀られましたが、明治になり神仏分離令が発せられると多くは稲荷神社となりましたが、豊川稲荷のように荼枳尼天を本尊とした寺院として存続し、神仏習合の姿を今に残しています。


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