見出し画像

三皇子と竹屋神社

鹿児島県に二つの竹屋神社があります。一社は南さつま市加世田にあり「たかや」と読み、もう一社は南九州市川辺町にあり、こちらは「たけや」と読みます。共に火照命ホデリノミコト火闌降命ホツセリノミコト火遠理命ホオリノミコト(別名、日子穂穂手見命)の三皇子と、ホオリの妻である豊玉姫を祀っています。

三皇子の出産

三皇子は、天孫降臨した邇邇芸命ニニギノミコト木花佐久夜毘売コノハナサクヤヒメの間に生まれた子らですが、サクヤがすぐに懐妊したので、ニニギは不貞を疑います。その疑いを晴らすため「神の子なら火の中で産んでも無事でしょう」と、産屋に火を放ち子を産むことを誓います。

「吾が妊みし子、若し国つ神の子ならば、産むこと幸からじ。若し天つ神の御子ならば、幸からむ。」とまをして、即ち戸無き八尋殿を作りて、其の殿の内に入り、土を以ちて塗り塞ぎて、産む時に方りて、火を其の殿に著けて産みき

古事記

このエピソードを「火中出産」といい、火が盛んな時の子がホデリ、火が弱くなった時にホツセリ、火が消えた時にホオリが産まれます。
日本書紀では火闌降命ホスソリ彦火火出見尊ヒコホホデミ火明命ホアカリの順となります。
それぞれ「海彦山彦」の神話で知られており、古事記ではホデリは海幸彦、ホオリは山幸彦、日本書紀ではホスソリが海幸彦、ヒコホホデミが山幸彦とされます。

故、其の火の盛りに燃る時に生める子の名は、火照命。此は隼人阿多君の祖。次に生める子の名は、火須勢理命。次に生める子の御名は、火遠理命。亦の名は天津日高日子穂穂手見命

古事記

南さつまの竹屋神社では、三皇子の出産を焼酎醸造の行程に準え「焼酎の神」としています。

焼酎神を祀る、竹屋(たかや)神社
焼酎神について書かれた御由緒
古事記の話に準えています


日本書紀では「竹屋」の地名に関する話が記されています。川辺町にある竹屋神社の由緒書には「竹刀あをひえを以て臍の緒を裁ち給い、その棄てた竹刀が竹林となって竹屋と称するようになった」と書かれています。日本書紀では竹刀を「あをひえ」と呼んでおり、竹の利用に優れた隼人に関連していると言われています。

時以竹刀、截其兒臍、其所棄竹刀、終成竹林、故號彼地曰竹屋

日本書紀
竹刀の伝説、竹屋(たけや)神社
竹屋(たけや)神社の御由緒
日本書紀に準えています

同じ名を持つ神社ですが、それぞれ記紀に基づいた由緒があり、南九州の神話を紐解く上で興味深い社だと思います。
そして、日向三代を経て神話の舞台が九州から大和へと移って行きます。

日向三代

ニニギは天孫降臨した天津神(天の神)で、サクヤヒメは国津神(地上の神)の大山津見神(オオヤマツミ=山の神)の娘で、その二人から産まれたのが三皇子となります。そしてホデリは隼人の祖神とされ、ホオリは綿津見神(ワタツミ=海の神)の娘、豊玉姫を妻とし、産まれた鸕鶿草葺不合尊ウガヤフキアエズは神武天皇の父となります。
邇邇芸、火遠理、鸕鶿草葺不合を日向三代といいい、天と地上とが交わり日本の王朝の礎となっていきます。

宮崎神宮の扁額
鸕鶿草葺不合、玉依姫、神武天皇を祀る

いいなと思ったら応援しよう!