
天孫降臨と笠沙宮
大国主から「国譲り」を受けて、アマテラスの孫、邇邇芸が高天原(天上界)から葦原中津国(地上界)に行く事になりました。アマテラスの孫が降臨するので「天孫降臨」です。
高千穂に降り立つ
ニニギは、高天原から雲を押し分け道を開き、天の浮橋に立ち、高千穂の峰に降臨します。
故爾に天津日子番能邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋に、うきじまり、そりたたして、竺紫の日向の高千穂のくじふるたけに天降り坐しき。

笠沙の宮
ニニギは「ここはいい場所だ」と、笠沙に宮を置きます。
「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地」と詔りたまひて、底つ石根に宮柱ふとりし、高天原の氷椽たかしりて坐す。
この笠沙の地で木花之佐久夜毘売に出会い、その子孫が後の神武天皇となります。


笠沙宮の史跡
鹿児島県さつま市には、宮を置いたと伝わる笠沙宮跡があり、また市内の竹屋神社には笠沙宮跡碑が建っています。


