ぽんぽこ図書館

29歳で無職になった男が、思うがままに綴るエッセイ。 写真、京都、東京、散歩、コーヒー、イギリス、福山雅治、くるり、などなど 駄文ですが温かい目で見守ってやってください。

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29歳で無職になった男が、思うがままに綴るエッセイ。 写真、京都、東京、散歩、コーヒー、イギリス、福山雅治、くるり、などなど 駄文ですが温かい目で見守ってやってください。

最近の記事

ばいばい、無職

約3ヶ月続いた無職月間も今日で終了である。長いような短いような3ヶ月で、一抹の寂しのようなものが心に残る。 無職諸君へ、まず私が思った事を伝えよう。 ◯無職である事を僻まない。 「俺…無職だから…」ではなく、 「あはは、俺無職なんだー笑」である。 社会との繋がりもなく、僻んでばかり人間のところには誰も寄りつかない。楽しい無職であれ。 ◯無職の時に、手を差し伸べてくれた人たちは一生の友。 私が無職である時にご飯や、遊びに誘ってくれた友人たちは大事にしたいと思う。 相談に乗

    • 叔父の話

      私の叔父、ネタにつきない人である。 母の弟で、未婚で祖父の家に住んでた。割と男前で俳優をやったり、ゲームが上手かったり、母が入院してる時に私と弟の世話なんかもしてくれた。 仕事に関しては年に数回ドラマ等にセリフがあるかないかの役で出ていた。(ない方が多かった。)その見かけからか、刑事かヤクザの役をよくやっていた。 きっちりとした家族の中で、唯一ゆるかった。祖母にも母にも、私が「塾に行きなさい。」 と言われる中「夜の首都高にドライブ行こう。」と誘ってくれた。 よく祖母と

      • 大きな感想を持つ

        映画でも音楽でも、絵画でもまず大きな感想を持つ様にする。 「楽しかったー。」「泣けたー。」等 そこから小さなディテールを思い返してみてみる。 全体的には良かったけど、ここの場面は不気味だった。 つまらない映画だったけど、ここのシーンだけはとても楽しめたみたいな。 物事はいつだって多面的で、複雑で凸凹の繰り返し、それらを楽しむように生きる。 それを練習しておくと毎日の通勤も、嫌いなあいつものことも楽しめるようになると無職は思う。

        • 下戸のハーモニカ横丁

          酒が弱い、飲むと頭痛くなるし動くのがとても億劫になる。あとボキャブラリーが減る。 昨日さぁ…て言い始めて真顔のままそっと黙ったりもする。悪気はない。 本当に何を言おうとしたか忘れるのだ。 こんな感じの私だが、 吉祥寺駅に20時ごろ着き、1人暮らしの家に戻るのが寂しくなる日がある。 そんな時はハーモニカ横丁を歩いてみる。3週くらい。 だが酒が飲めない僕はどこの店にも入らず、向かいのコーヒーチェーンの2階の窓際の席に座りハーモニカ横丁を眺めながらコーヒーを飲んで、本を読む。

          大学8回生

          あれは私がまだ大学に入る前の話。 2014年の夏、1人で京都を旅した。3日目の昼、あまりに孤独になり過ぎて鴨川沿いにいた謎の男に声をかけてみた。 彼はボーダーのポロシャツに、チノパン。もじゃもじゃ頭にメガネという風貌でいかにも大学生という感じだったのだ。 彼とは小一時間くらい話した気がする、どこか達観していて、常に遠くを見ていた。「長生きしたカメとか、仙人とかてこんな風になるんじゃないかなぁ。」なんて思っていた。 そして彼は大学8回生で、1年浪人、1年休学していると言っ

          九份の海

          台湾の台北より1時間くらいにある街、九份。提灯が美しい街としての有名だ。 いざ着くと長い坂道が続いており、夏の暑い日にはこれがなかなかキツかった。 着く前に地図で九份が海沿いである事を思い出して、坂道を振り返る。 その時の景色が美しかった。 九份といえばの景色に目がいっていたが、こちら側の景色も捨てたもんじゃない。 きっと九份が炭鉱だった頃、汗を流した鉱夫たちもこの景色に癒されたのではないだろうか。

          だって京都だし 人物編

          大学時代、ランニングついでに吉田山に登ってみた。登るといってもそこまで大きくないので30分もあれば入って出てこれる。 あれは6月下旬の日が伸びてきた夕暮れのことだった。 山の中で不思議な音色がするので、近づいてみると法螺貝を持った初老の男性がいた。普通の外見だが、どこか浮世離れした世捨て人の様に感じた。 見た時、私は何か見てはいけないものを見た気がした。 そして私に気づいたようで、 軽く会釈をした後、遠くを見たままゆっくりと低くも高くもない声で 「もうすぐ祇園祭やからな

          だって京都だし 人物編

          街惚れ 京都編

          京都が好きで、好きが過ぎる故に今は東京に住んでいる。距離を置いているのだ。 大学時代を過ごし、本当に楽しい思い出でいっぱいだ。 だかしかし、京都で大学時代を過ごした人の多くは就職のために東京、大阪、地元へ行ってしまう。 土曜の夜に河原町に行けば嫌でも知人に会ってしまうような環境であったのに今は友人はほとんどいない。それが本当に辛いのだ。 我が大学は北の外れだったので河原町から上賀茂へ向かうバスに乗ったら必ず誰かと顔を突き合わせていた。学科やサークルの友人、何度か授業で一

          街惚れ 私が惚れた街たち

          街惚れ」、私は人生の中で何度か経験した。 多分皆様にもあるのではないだろうか。 旅行や仕事、散歩立ち寄った街を少し歩いただけで好きになる。つまり惚れるのである。 もおもん既に言葉として存在してそうだなと思っていたが、検索したら特に出てこなかったのでここに提案してみようと思う。 意味としてはそのままである。感覚としては一目惚れに近い。少し歩いただけなのに、ここの雰囲気いいなぁ、住んでみたいなぁ。となれば街惚れである。 人にはそれぞれ好みがあるので、私の琴線に触れなかったと

          街惚れ 私が惚れた街たち

          世界は美しい。

          世界は美しい。 カッコつけてる訳じゃなく、本気でこう思う時がある。 少し早起きした日に歩く井の頭公園。 通勤途中に見えた陽だまり。 下る坂道にかかる夕焼け。 木漏れ日が刺す、哲学の道。 ビル群の中にチラッと見えた東京タワー。 静かに丘に佇む、根岸の廃墟。 どこまでも静かに、ただひたすら流れる川の水。 毎日深夜まで残業が続いた時、世界を美しいと思えなくなった。そうなるくらいなら辞めてやる!と本気で思い退職した。 世界を美しく思える心は、私の中のひとつの指標にな

          世界は美しい。

          関西弁を喋りたかった東京人

          タイトルの通り、関西弁を喋りたかった。 4年もいれば話せるだろうと高を括っていた。 だが現実はあまくなかった。 一年が過ぎ、全くその兆候はなかった。 2年が経ち、やっと100%ヒアリングできるようになった。 3年目にして私は英国へ留学に行った。 4年経ち、結局喋れずに終わった。何なら周りの親しい友人に、関東弁を伝染させた。 「じゃんとか言うてもうたわ、気色悪いわ〜。」と彼ら彼女らは言っていた。 結果として、関西弁を流暢に話すという野望は叶わなかったが、伝染させたのだから京都

          関西弁を喋りたかった東京人

          最初の5月

          2015年、5月。 京都に来て最初のゴールデンウイーク。4月は大学生活が始まり、バタバタで忙しい。やっと落ち着いた5月。落ち着いたどころか、落ち着き過ぎた。下宿してる友人達は関西圏内の人も多く、みな帰っていた。誰もいない京都で暇だったのだ。 とりあえずカレーを作り、ベランダから景色を眺めながめていたのもこの頃だと思う。人間は暇になると奇行に走るんだなぁと身をもって実感した。 そしてもう一つの奇行に出た。 京都市北区からとにかく東に行けるところまで行こう。徒歩で。アホだった

          福山雅治に感謝

          中3の冬だった。 ラジオを聴くことが大人なような気がしてよくテキトーに色々聞いていた。そんな中、福山雅治のオールナイトニッポンの文字が見えた。 「福山?あのガリレオの人か。イケメンだし、どうせスカしたラジオやってるんだろう?まあ、とりあえず聴いてみるか。」 衝撃だった、 ラジオでの福山雅治はスーパースターとは思えない飾らないトーク。そして何より面白かった。 中3の私は衝撃と同時に、絶望を覚えた。 ミュージシャン、俳優、もできて更にトークも面白い… 勝てない…と。 そこで中

          福山雅治に感謝

          京都の大学

          ハタチで京都で一人暮らしを始めた時、私は浮いていたのだろう。   関東から京都へ、これが本当の上京だ!と鼻の穴を膨らませていたが、 標準語だし、周りより歳上だし、絶対いじめられる。友達なんてできない。4年間トイレでご飯を食べて過ごすんだ。と本気で思っていた。 だから一人称も僕から俺に変えた。舐められてはいけない。世田谷育ちの坊ちゃんが、僕なんて言ってたら殺させると本気で思ってた。 だが彼らはそんな僕を面白がった。お互いに未知との遭遇だった。僕も面白かった。全員がとは言わな

          45キロのダイエット

          私は小学生の頃からずっとぽっちゃりしてた。 高校に入る頃には、 100キロを優に超えて大型新人(物理)として格闘技部やらアメフト部から引っ張りだこだった。そして高校時代はそのまま食べ続けて115キロまでいった。 だがそんな私も今では70キロ。何ならフルマラソンを走るようなやつです。 「どうして痩せようと思ったの?」 これが1番聞かれる質問でその都度説明がちょいとややこしい。 答えはいつも 「モテキというドラマを見たから。」 モテキの中で、主人公の藤本幸世が太ってた時

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          京都

          京都が好き。 当時私は東京の本当に冴えないぽっちゃりとした中学生だった。忘れもしない中3の修学旅行。 それまでも小学生の頃、京都には行った事もあったが子供過ぎたのか何も思わなかった。「誰も着物着てないじゃん、全然日本家屋じゃなくてビルあるじゃん。」くらいの記憶しかない。 友達もいないし、帰宅部だし、女の子とも上手く話せない。そんな僕に希望を与えてくれたのは7月の京都だった。衝撃だった。 お寺の美しさ、街を東西に流れる川と東西南北を囲む山々。 そして当時案内してくれたタク