犠牲の上に成り立つ国
9月30日はNational Day for National Day for Truth and Reconciliationと呼ばれ、2020年から祝日として認知されています。もしかしたら、Orange Shirt Dayという言葉の方が認知度があるかもしれない。もし、カナダに住んでいない方はどちらも聞いたことがないかもしれません。カナダの全ての州で祝日として認知されているわけではないのですが、9月30日は先住民の人が受けた迫害の歴史を振り返り、寄宿学校が世代を超えて先住民族の人たちに与えた影響についての認識を高める目的で、カナダ各地でイベントが行われます。その際に、”Every Child Matters"というスローガンを抱え、自らの家族や文化から隔離され、自由、尊厳、言語、文化を奪われた一人一人の先住民の子供を象徴しているオレンジ色のシャツを来て歩くため、Orange Shirt Dayと呼ばれます。
Orange Shirt Dayの起源
Orange Shirt Dayという活動自体は結構前(と言っても、10年前後くらいだと思う)からあるけど、実際に政府がOrange Shirt Dayを認知し、National Day for Truth and Reconcilationとして祝日にしたのは前述の通り本当に最近。というか、実は寄宿学校の問題自体も実は最近の話。カナダ国内には政府が運営していた寄宿学校があって、1867年から1996年まで合計で140近くの寄宿学校が運営されていました。(1969年以降はカナダ政府のDepartment of Indian Affiarsという機関が寄宿学校についての運営をしていましたので、ソースによっては寄宿学校が1969年まであったという記載がされている場合もあります)
寄宿学校とは
寄宿学校は英語ではResidential Shcoolと呼ばれ、簡単に言うと政府が運営していた先住民の子供のための宗教学校になります。寄宿学校が設立された背景には先住民の文化を西欧化したカナダの文化に適応させるという目的がありました。聞こえはいいですが、実際は先住民の子供を自身の文化や言語から隔離し、馴染みのないキリスト教やカナダの公用語である英語かフランス語を学ばせ、自分たちが慣れ親しんでいた文化や言語は禁止されていました。それだけではなく、Gradual Civilization Actという法律の名の下、先住民としての人格を剥奪され、法的に利用する名前の変更なども行われていました。”いや、そんな学校行かなければいいじゃん?”って思いますよね?でも、寄宿学校は、先住民に関する様々な問題を扱うIndian Actという法律で規定されており、寄宿学校へ行くことが義務化されていました。
寄宿学校という通り、家から通うような学校ではなく、子供たちは衣食住を共にし、家族と離れて生活をするとい子供の家族と子供自身の意思は度外視の学校だったため、政府が先住民の人たちを排除するために子供を誘拐・監禁していたと捉えている人もいるくらいです。(個人的には、実際この表現は直接的ではあるけれど、間違いではないと思う)
寄宿学校の環境
寄宿学校という制度が廃止された1996年まで150,000人もの子供が寄宿学校へ行ったと言われています。寄宿学校で自分の言語が使えなかったり、名前を変えなければいけないというのも、寄宿学校を語る上ではとても大きな問題なのですが、未だにこの寄宿学校の問題が話題になる理由の一つが寄宿学校で先生や学校関係者により日常的に行われていた生徒たちに対しての肉体的・性的虐待だと思います。寄宿学校へ行っていた子供達は6,7歳から15,16歳で、未成年。時代が変われば価値観は変わっていきますが、いくら何でも非人道的すぎる。。。寄宿学校は1996年と比較的最近まで存在していたため、実は寄宿学校の被害者が生存しています。英語やフランス語ができない子や身の回りのことができない子に対しての罰は特にひどかったようです。また、寄宿学校で生活を共にしている中で、お互いを監視するようなシステムもあり、お互いに助け合うということができなかったようです。
寄宿学校へ行った全ての子どもが被害を受けて精神的な傷を負い、その経験が原因でアルコール依存や薬物依存になるわけではないですが、その経験が今の生活に大きく影響し、世代を超えて影響しています。自分の大学時代の友人がその1人。若い頃に受けた虐待が影響でアルコール依存を繰り返し、友人のお母さんが在学中に自殺をして、この世を去ったと聞いた時は赤の他人の自分にもとても大きな衝撃を与えました。。。また、友人はそのことがショックでうつ病を煩い、学校を辞めてしまい、音信不通になってしました。。。
寄宿学校で肉体的・性的虐待を受けていなくても、家族と隔離されて生活をしていたことを考えると、寄宿学校という存在自体が虐待だったような気がしますが、寄宿学校では”教育”の名の元に西欧化の強制が行われます。毎日決められたスケジュールをこなし、”教養”や仕事をする上での技術を学びながら、自身とは異なる宗教を強制されていました。政府が運営していた学校ではあるものの、教育の水準が明確に定められていたわけではなく、教師たちの質も良くなく、いわば素人が教師をしているということも少なくなかったようです。結果的に、寄宿学校は”学校”という名前こそついていますが、卒業をしたところで実生活に必要な知識や技術を得ることはできず、自分たちの馴染み深い言語や文化から離れトラウマだけを植え付けるという負の存在でしかなかったような気がします。。。(政府の先住民族の文化の根絶やしという目的は遂行できていますが。。。)
また、寄宿学校の環境は決していいとは言えず、劣悪な環境で命を落とす子供も多かったようです。食べるものも今までの生活では馴染みのないもばかりだし、集団での生活に慣れているわけでもないので、ストレスなども当然ある中で、そんなストレスを抱いている子供に対して与えられたのは適切なケアではなく、罰だったので当然と言えば当然。。。寄宿学校で命を落とした子供数は6,000とくらいと言われていますが、子供の管理記録もかなり杜撰だったようで、実際の数はわかっていないようです。なんだったら、寄宿学校が閉鎖されてもうすぐ30年が経とうとしていますが、未だに寄宿学校で命を落とした子供の死体が発見されるということがニュースになったりしています。。。
”Every Child Matters"というスローガンは寄宿学校での子供たちのことを指していて、寄宿学校へ行かされた子供たちにとってもそうですが、彼ら、彼女らの家族のメッセージでもあると思います。児童虐待や親のネグレクトなどがニュースになることはあるけれど、無視されるべき子供なんて1人もいなくて、全ての子供は平等に大切であって、どの国においても未来を担う重要な存在だと思う。
カナダは元々いた先住民族の人たちの犠牲の上で成り立っていて、寄宿学校という制度を通して、子供たちを言語や文化、そして家族の繋がりを断ち、移住者がどんどん増えるにつれ、移住者にとって都合がいいように政策を進めてきていて、未だにその名残が強くあるからです。子供を文化や言語、そして家族から強制的に引き離すことによって、その文化がカナダの社会で生き残る術を断つというのは、悪い意味でとても効果的で、カナダにおいて先住民の人たちは少数派になってしまっている。元々、自分たちが暮らしていた場所なのに。。。
現在の先住民の人たちの暮らし
チャイナタウンの記事でも触れたけど、カナダ政府は堂々と特定の人種を差別している歴史があって、個人的にはカナダで差別を頻繁に受けているのは先住民の人たちだと思います。寄宿学校という制度もその一つで、寄宿学校を通して先住民の人たちの西欧化を進める間に、カナダ各地で都市開発が行われ、先住民族の人たちはNative Reserveと呼ばれる居住区へ追いやられてしまいます。(実際、居住区は結構前から存在するのですが、今の形になったのはNumbered Treatiesと呼ばれる条約ができてから。詳しく知りたい人は調べてね)この居住区はバンクーバーやトロント、モントリオールなどカナダを代表する都市とはかけ離れた環境で、都市部に近い居住区では生活環境はある程度整っているようですが、都市から離れた居住区は居住不足、医療環境、教育環境が整っていないだけではなく、上下水道の設備すらちゃんと整っていないところがあるようです。高校を卒業できる人も少なく、カナダの政府からの補助金に頼る生活をしている人も多いようです。そういう環境で生活をすることは厳しいらしく、仕事もかなり限られているのですが、都市部へ出ても日常的に先住民であるが故に差別を受けています。その一般的な例が収入で、カナダの先住民の平均的な収入は非先住民の人たちの収入と比べると$9,000~$10,000も低いです。
都市部に住んでいる先住民の人たちの貧困率は下がってはいるものの、貧困の危機に瀕している人は多く、その比率も非先住民の人たちと比べるとかなり違いが見られます。
また、先住民の女性は特に被害に遭いやすく、15歳以上の先住民の女性の10人のうち6人が肉体的・性的暴行を受けているというのはあまり知られていないかもしれないです。
ただ、実は先住民の人たちはそもそも被害を出すことすらないことが多いです。
実はこの傾向は女性だけではなく、男性にもあります。自分がレスブリッジに住んでいた頃、クラスメイトの1人が調理を目指して居住区から離れ、Lethbridge College(自分が通っていた当時はLethbridge Community Collegeでした)へ通っていました。時折、突然学校へ来なくなることがあって、どうしてか聞いてみると居住区の長が政府に必要書類を提出せずにお金がもらえないことが原因だったみたいです。また、彼は学校でいつも孤立していて、食堂で見かけても彼に話しかけるのは先住民の歴史なんて何も知らなかった自分くらいでした。彼は時折、他の生徒に絡まれていることもありました。殴られたりという過激なものではないですが、暴言を吐かれていたり、差別的なことを言われていることがたまにありました。警察やセキュリティーが来ても責められるのはいつも彼ばかりなので、警察は呼ばないでほしいと周りに言っていました。レスブリッジの近くには大きな居住区があり、居住区を出てレスリッジで仕事をしたり、学校へ行ったりしてもそういう対応を受けることが日常茶飯事だったのです。
余談ですが、居住区で暮らしている人の進学率はとても低く、彼のように学校へ進学する人は稀で居住区に帰っても、裏切り者扱いされ、仲間はずれにされると寂しそうに話していました。。。彼の境遇と似たようなことを後に文学を通して学ぶとはこの時は思っていませんでした。
残念ながら、これは自分が学校を卒業して時間が経ってもあまり変わらないし、レスブリッジからカルガリーという都市へ引越しをしてもあまり変わっていないような気がします。先住民の人たちはカナダに来たばかりの移民にすら差別を受けることもあり、先日先住民の方とお話しする機会があった時に、”自分たちの生まれ育った土地を奪われ、文化と言語を奪われ、新しく来た移住者にまで差別をされなければいけないのはあまりにも理不尽ではないか?”と言っていました。。。
先住民と移民
カナダの滞在が長い人でも先住民の人たちがどのような歴史を歩んできたのか知らない人が多いです。個人的に、差別のことや移民の人が直面する問題などに興味があるため、そういう関連のワークショップやセミナーに出席することは多いのですが、先住民の人たちが受けている差別や社会的な問題に関してはあまり触れられることはありません。ただ、前述しているように、カナダでは先住民の人が虐げられていることが多いように思います。よく言われる、”カナダは移民の国”というのは、実際に西欧からの移住者が西欧式にカナダという国を作り上げ、移住者有利の政策を進め、他国からの移住者を受け入れた結果、先住民の人たちは少数派になっていることも意味しているのではないかと思います。カナダという国が移民を受け入れ、多様性がとても良いことだと思う。移民の人たちが自身の文化に関連するイベントを開催して、文化の多様性を感じることができるのも良いことだと思う。一方で、移民の人たちは先住民の人たちの文化や言語、また先住民の人たちが辿ってきた歴史についてどれくらい理解しているのだろうか?
そういう自分も先住民の人たちの文化や言語、その歴史に関して熟知しているわけではありません。ちょっと個人的なことになりますが、自分は留学という形でカナダに来て、何故か英文学を専攻しました。(まぁ、理由はあるのですが、それはまた今度。。。って、誰も興味ないか笑)その中でも、Post-Colonial LiteratureとIndeginous Literatureという文学を主に勉強しましました。とは言っても、自分が行ったカルガリー大学にはこれらの文学を教えられる人がかなり限られていて、Indeginous Literatureに関しては、修士学生が授業を持っていることもありました。Post-Colonial Literatureは植民地での生活や文化、それらとその地域の人たちの文化や暮らし、人間性などが植民地前後でどう文学に影響しているかを勉強し、植民地の人たちが文化的な違いや”近代化”を経験する中で、心情や考え、行動に変化があるかなど心理学的な部分も合わせて考察します。Indegenous LiteratureもPost-Colonial Literatureと似ていて、北米の先住民が西欧の文化や宗教が先住民の人たちにどう影響されているか、そしてそれが文学的にどういう意味があるのなどを勉強したのですが、文学というのは基本的には作り話になるので、歴史を知らないと歴史的事実と文学内での表現や描写が正確なのかどうかや、どういう差があるのかを考察することはできないため、歴史を学ぶことがというのは最低限になります。(ただし、あくまで専攻は文学なので、歴史はあくまで一般教養レベルで、人に教えることができるレベルでは到底ないし、先住民の人たちについて知識がある胸をはって言えるほどではありません。)
正直なところ、Post-Colonial LiteratureもIndeginous Literatureも全く就職には役に立ちません笑 なんだったら、英文学を専攻している人ですら”なにそれ?”っていうくらい認知度がないです(そもそも英文学専攻している人も多くない笑)その時の知的好奇心で勉強していたことなので、専攻したことに後悔はなかったけど、何のためにわざわざ留学したのかわからないくらい仕事には繋がりませんでした笑 でも、移民コンサルタントとして仕事をしていくうちに、Post-Colonial LiteratureやIndeginous Literatureで学んだことは決して無駄ではなかったような気がします。一見してみれば、カナダという先住民の人たちが受けてきた差別や迫害の元で成り立っている国への移住を助けること仕事とすることはある意味では、先住民族の人たちに対する冒涜になるのかもしれません。しかし、一般教養レベルであってもカナダの歴史の一部として、先住民の人たちが犠牲になった事実を知ろうとすることは、カナダで生活する上では、自分自身が置かれている環境についてより理解を深めることは大切なのではないでしょうか?移民コンサルタントとして働いていて、移住の手伝いをしているからこそ、自分が住んでいるカナダという国は移民の国である前に、先住民族の人たちの犠牲の上で成り立っていて、その犠牲があって、今自分たちがカナダという国で自由に生活することができるんだという認識を忘れてはいけないと思います。同時に、人種差別というものがカナダに存在する事実を受け入れ、少しでも人種差別が減るようにしていきたいと思います。今の自分にできることは、少しでも先住民の人たちが受けてきた迫害について学び、立場は違えど、カナダに住む同じマイノリティーとして差別を無くすことに尽力を尽くすことなのかな?と思います。
歴史という響きはあまり面白味もないし、わざわざ自分の時間を使って勉強する気にならない人が多いかもしれません。先住民の人たちの迫害された歴史は文学を通してある程度知ることはできます。本に書かれている内容が全て事実ではないですが、フィクションと認識するのではなく、まだまだ苦しんでいる人たちがいるということを知って欲しい。なんだったら、まだ歴史になっていない部分がまだまだたくさんあると思います。9月30日はNational Day for Truth and Reconciliationだけど、個人的にはまだまだ全ての真実は明るみに出ていないし、和解するには程遠いところにいると思います。(Truthすっ飛ばしてReconciliationにしようとしているのは政府であって、先住民族の人たちの以降ではないと思う)自分たちの文化を奪われ、言語を奪われ、土地を奪われ、その土地に自分たちが住んでいるということを認識することは、カナダにおいて移住者である自分たちができる最低限のことなのではないかと思います。映画や本など自分が興味のあるものからでいい。9月30日は少しだけカナダについて学んでみませんか?
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