【ネタバレ含】エヴァQを初めて見た3日後に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見てきた、その感想
大学生の頃、村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだことがあるのですが、読み終わったあとに結構精神的に影響を受けて、自分なのか自分ではないのか曖昧な感覚になり、死生観など考えながらふらふらと街中を歩いていた記憶があります。
本日、2021年3月21日、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見てきました。
物語や映像に圧倒されつつも、じわじわと精神的に、大学生の頃と同じような曖昧な感覚に見舞われています。そこまで強い衝撃ではないものの、何かを喪失したようでありつつ、寂しいとも違う感覚です。
そもそもエヴァシリーズは、テレビシリーズも旧劇場版も見たことはありますが、あくまで...いわゆるしっかりしたファンというよりはにわかなファンという感じで、新劇場版も序、破は見たことありましたが、Qは3日前まで見たことがありませんでした。
偶然好きなストリーマーの方がTwitchでウォッチパーティー(視聴者と一緒に映画を見るサービス)を行っていたので、そこで初めて見た、という形です。
破から14年経った世界、サードインパクト、渚カヲル、わからないこととわかることが混在しつつ、物凄く先が気になる終わりかたをしていたので、急いで映画館の席を予約し、本日見てきました。
ここまで書いて見て少し考えが整理されたんですが、もうこの時点で自分としては、「物語がどうなる」より、「シンジやアスカ、綾波はこれからどんな物語を紡いでいくのだろう」という、キャラクターへの愛着のほうが強くなっていたからこそ、映画を見に行こうと強く気持ちが動いたのだと思います。
そして今、映画を見て数時間後に至ります。映画の感想を、心に残ったところを中心に忘れないうちに抽出して書き残しておこうと思います。わからなかったところはわからなかったと書いておきます。
考察Youtubeや考察ブログもありますが、なんというか、今、シンエヴァを見終わって、自分の感想の中で残る謎、推測できる内容というものがあり、そういったものが理論的で詳しい考察に上書きされてしまうのが少し怖い状態です。この喪失感のような気持ちが失われるのがもったいないような気がするので、考察ブログや動画はもう少し落ち着いてから読んだりしようと思います。
なので、たぶん解釈間違っているところもあると思いますが、それでもその「間違った解釈をした」という記録は残しておきたい気持ちが強く、書き残します。
感想
冒頭11分の動画は先に見ていたのですが、パリの街が「復活」したのはやはり不思議でした。となると、破でシンジが起こしたニア・サードインパクトでは、街は物理的に破壊されていたわけではないんですね。おそらく封印的な感じでしょうか。それを、ミサトさんたち...が、どうにか復活させられる技術を使い元に戻した、と解釈しました。そしてそれは、少しでもエヴァ(劇中では「エヴァ弐号機の心臓に使えそうなもの」と言っていたかな?)に使えるものを回収するため、だと思います。
以降しばらくは...シンジにとってはなかなか辛い日々だと思いますが、ある意味平穏な日常が続きましたね。何より、14年後のトウジヤケンスケの姿が見れたことが嬉しかったです。そして、トウジもケンスケも、それぞれのやり方でシンジを気遣っていた姿が、28歳の大人がする、悩める14歳への対応としてとてもリアルでした。
綾波
また、綾波(そっくりさん)が、人との交流でどんどん感情豊かになっていく様は可愛らしさを感じました。「初期ロット」と呼ばれていたことから、綾波レイ(ユイ?)の代わりでありつつもオリジナルに近い存在なのかと思います。おそらくは、後期のほうのロットも存在するということでしょうし、オリジナルに近いほうが感情豊かだったりするのでしょうか。
トウジの家で確か味噌汁?をのんだ綾波のシーンは、「破」で味噌汁を飲んだ綾波が「おいしい」と言ったシーンとの対比...というかオマージュ的なものだと思います。破のときは、何も食べず辛うじて味噌汁を飲んだ綾波でしたが、今回は逆で、シンジのほうが何も食べなかったわけですね。味噌汁を飲んだのは綾波だけ。
そしてもう一つ。家出をしたシンジのところへ、足繁く通う綾波でしたが、これもQと真逆の展開だと思いました。Qでは、シンジが綾波の家...というかプレハブ小屋のようなところに本を持っていっていましたが、今回は逆。何も食べず精神的に参っているシンジのところに綾波が通い、しかも慰め、寄り添い、最終的に家まで戻らせるのは驚きました。村の人との交流が、綾波を成長させている...村でどれだけの期間が過ぎたのかはわかりませんが、綾波がシンジのことを強く想っていることが良くわかりました。一方で、アスカが言っていた、綾波はシンジに好意を寄せるように造られているという言葉。それはそれで少し悲しいような気がしますが、全てネルフの計画ということになるのでしょうか。おそらくその行為の結果が、サード・インパクトの引き金となったですから、本当にサード・インパクトを起こすために周到な準備をしているのだなと実感しました。
髪
破の最後で、「碇君がもうエヴァに乗らなくてもいいようにする」と言った綾波がどうなったのかは、結局Qでははっきりしませんでした。しかし、今回やっとはっきりした気がします。終盤に登場した髪の長い綾波がおそらくは破の最後にいた綾波で、だからこそ、「髪が伸びていた」のかなと思いました。
劇中、アスカが「こんな体でも髪だけは伸びる」的なことを言っていましたし、わざわざそのシーンを入れて、髪の長い綾波を出したということは「年月の経過」を表現したかったのかなと。そしておそらく、綾波は14年間、シンジがエヴァに乗らなくていいようにずっと初号機に乗り続けた?のかなと解釈しました。
この辺はちゃんと整理できていませんが...。13号機とか初号機とかのあたりがちょっと混乱しています。
アスカ
綾波は綾波のやり方でシンジを支えていたと思いますが、一方でアスカもまたかなり優しく見守っていた気がします。水だけしか摂取しない、眠りもしない体になった状態のアスカが、「まずい飯の味を今のうちに感じておけ」的なことを言いつつレーションをシンジに無理やり食べさせたのは、行動としてはひどいですが本質的には非常に優しい行動だと思いました。冷静であり、任務を遂行し、自分の乗っているエヴァに対する気持ちが強いアスカですが、最後の最後にはシンジに対し好意...一応は過去の気持ちというような表現でしたが、気持ちを伝えたシーンはいいシーンだなあと思いました。終盤、シンジもアスカに好きだったと伝えたシーンも、これまでのエヴァシリーズではっきりしなかったところがはっきりして気持ちよかったです。もちろん、お互い今の気持ちというよりは過去の気持ちという表現っぽく感じましたが...。
アスカはアスカで、独白シーンにおいて誰かに頭を撫でられたかったという表現をしていました。そこで人形が出てきましたが、その中身として現れたのがケンスケなのは驚きました。アスカにとってはケンスケがそこまでの存在になっていたのは、あくまで今現在の突発的な印象なのかそれともシンジが眠っていた14年間に形成されたことなのかはわかりませんが、それほどまで大きい存在なのだなあと思いました。
それにしても、アスカは自分の操縦するエヴァを犠牲にする機会が多いなと感じます。というか、むしろ...破のときもそうですが、自己犠牲的な行動が多いので、必然的にそういう、危険が大きくエヴァを犠牲にしないといけない最前線の仕事を行うのかなと思います。破のときは、綾波の企画した食事会の日に、三号機起動実験に自らが向かっていました。アスカ自身は「自分がエヴァに乗りたいだけ」と言っていましたが、少なくともみんなの代わり、食事会の欠席を他人ではなく自分にするために起動実験に向かったように感じます。
今回は、エヴァだけでなく自身も犠牲にして作戦を遂行しようとしていました。左目に使徒を埋め込んでいた?のかはわかりませんが、その力を解放し、人間であることを辞める覚悟でエヴァ13号機に挑んでいました。一番気が強くわがままそうに見えて、最も周りのことを考えて行動しているキャラクターであったと思います。
終盤
終盤以降の話は、なかなか難しく設定を理解することは出来ていません。
ゼーレの目的は人類補完計画で、ゲンドウの目的はそれに加えて妻・碇ユイの復活?解放?どちらにしても定義はわかりませんが蘇らせるということだと感じました。人類補完計画は、サードインパクトやフォースインパクトを起こして人類がさらに進化すること?なんでしょうか。よく覚えていませんが、人類は使途に負けて滅びるかそれともその位置に成り代わって進化するかの2択、みたいな話じゃなかったでしょうか。生命の実とか知恵の実とかの用語が出てきたと思いますがちょっと理解が追いつかなかったです...。
ゲンドウ
ゲンドウがかなり長い独白を行ったのは驚きました。そしてその話の中で、周りとの関わりを拒絶していたがユイと出会ったことで変わった、しかしユイがいなくなり絶望し...そしてユイと再び会えるように頑張ったと。そんな感じでしょうか。一方で、子供の近くにいないことが贖罪であるというのは、なぜそう考えたのかは今一つピンと来ませんでした。最終的に、シンジの中にユイを見出したことも含め、もっと早くゲンドウとシンジが話し合い、言葉は軽いですが仲良くなっていたら、ここまで大事にはならなかったのではないのか...とつい考えてしまいます。そして、ある意味でそう話し合い、親子のわだかまりが解消する可能性があったのが...破での綾波の企画した食事会だったかもしれないと思うと、切ない気持ちになりました。
マリ、ユイ
ゲンドウの独白の関係で、マリについても理解が深まりました。ゲンドウがユイと出会った場面の回想にいたのは、明らかにマリですよね。マリが冬月のことを先生と呼んでいたことから冬月の教え子であることはわかりますし、おそらくはユイ、ゲンドウ、マリは同じ研究室のような感じでしょうか。そのときのマリの年齢、今のマリの年齢が何歳なのかわかりませんが、エヴァのパイロットとということで容姿など歳をとらないということなのかと解釈しました。
→ちょっとQを見返したら、冬月がユイのことを大学の教え子と言っていました。また、マリは綾波に対し「君のオリジナルはもっと愛想があったよ」といっているので、やはりこの三人は昔交流が深かったと認識します。
なので、自分としての解釈は、マリはゲンドウのことを昔から知っている(だからこそゲンドウ「君」と呼んでいた)、マリは見た目よりも年齢を重ねている(だからこそ口ずさむ歌が少し昔?の歌)、というところです。ユイが子供(シンジ)を抱いている写真にも写っていた気がします。
アスカのことを姫、シンジのことをワンコ君と呼び、どこか飄々としているような印象のマリですが、真剣なときはちゃんと名前で呼んでいるのはいいなあと感じました。
もしかして、ここまでシンジを気にかけているのは、それこそユイと交流が深く仲が良かったから、なのでしょうか。それとも、冬月やゲンドウと旧知の中であるからこそ、何かの計画のためだったのでしょうか。
シンジ
シンジは序盤は病んでいたものの、綾波のおかげで回復し、綾波の死をもって(そっくりさんの死ですが)明確に立ち上がりましたね。Qで一度はミサトさんから離れましたが、再び自分の意志で戻った。今まで、何度となくエヴァから逃げ、またきっかけがあり戻り、また逃げ...ということを繰り返したシンジでしたが、きっとそれはただ繰り返しただけではなくその度に精神的に成長していたのではないでしょうか。
今回は自分が原因でニア・サードインパクトを起こしたということで一番精神的に病んだものの、どうにか復活したからこそ、父親という一番大きな存在に対峙できたと感じます。そして対峙してみれば、本当に恐れていたのはシンジではなくゲンドウのほうであったと。息子が父親を超えたという捉え方もできる気がします。
個人的にはシンジとゲンドウ...あれは初号機と13号機でいいんでしょうか。あの2機の戦いの場面で急にCGっぽくなったのはなかなかの違和感でした。あくまでLCLが見せた幻という表現かもしれませんが、ジオラマ、ミニチュアの戦いのような印象で、アニメのまま見たかった気もします。とはいえ、あそこでは決着がつくのが重要ではなく、結局物理的に戦っても無意味→対話が必要という流れになるということのほうが重要でしたので、あえての演出かもしれませんが...。
他
結局槍については理解が追いついていません。アディショナル・インパクト?などを起こすための鍵となっていたということでしょうか。少なくともネルフとして必要であることはわかりました。そして、ミサトさんたちがどうにかこうにか新しい槍を作り、ゲンドウの計画を止めたこと...すべてのエヴァンゲリオンが消えた...?ことにも繋がるのかなと思いました。マリの「9+10+11+12号機」みたいなのもちょっと良くわかりませんでしたが、要するに槍で世界中のエヴァンゲリオンを消去したということで間違いないと...思います。それで、なんらかの力が発生、または力が消滅したということでしょうか、予想ですが過去のインパクトの影響が無くなった、という印象を受けました。そして、全員が平和な学園生活を送る、平和な生活になった...そんな感じでしょうか。
加持さん、ミサトさん
加持さんが亡くなっており、ミサトさんが子供を産んでいたことは新事実でした。ミサトさんが加持さんの遺志を受け継ぎ、種の保存を行っていると同時に、母親の責として、息子に会わず任務を遂行すること、ネルフを壊滅させることを目的とし常に最前線で強く生きている姿は、重みを感じます。そもそも、Qの時点から、破までのミサトさんの感情的な姿が無くなっていたことが気になっていましたが、それもこのような事実が分かったことで納得です。最後の最後まで、強く生きた人だと感じました。
カヲルくん
加持さんの関係ですが、一番謎が多いのがカヲル君です。始まりの使徒であり、終わりの使徒であるということはわかりましたが、その目的は何なんでしょうか。なぜ月にいたのか、そういえば黒い月とはなんなのか...。何より「渚司令」とはどういうことでしょうか。ネルフの司令官であったことがあるのか...。確かに、「序」の最後では、ゼーレと会話していたシーンがありました。「また3番目とはね...変わらないな君は。会えるときが楽しみだよ、碇シンジ君」の意味はわかりませんが、少なくとも劇中ではシンジを守るような発言や行動が多かったのです。この世界はループでもしているのでしょうか? 本当に、カヲル君については一番理解が追いついておらず、これはもう1回映画を見たいところです。そもそもQで、2本の槍を抜くのをやめさせようとしたのはどうしてなんでしょう、Qももう1回見ようかと思います。
最終的にすべてのエヴァンゲリオンはなくなり、シンジとマリがいい感じ...付き合っている感じでしょうか、そんな日常になり映画は終了。最後の駅のシーンで綾波とカヲル君が親しげに話しており、そのシーンがピックアップされていたのがどうしてなのかは気になります。全ての計画は無くなり、平和な生活が戻ってきた...ということなのでしょうか。
物語は終了であり、エヴァンゲリオン自体がなくなったということで少なくとも新劇場版シリーズは終わりですね。もうこれ以上話を広げることは難しいでしょう。しかし、微かに残る可能性としては、種の保存のために宇宙に放った...あれは物資というか、遺伝子情報とかそういうものでしょうか。あのあたりで話を広げることは不可能では無さそうです...が、どうなるかはわかりません。
さすがに、映画を1回見ただけではわからないことだらけでした。
後半にゲンドウやアスカの独白が入り広がった話が急激に収束する様、そしてユイが急に出てきてシンジを守る様は、王道の物語ようでもあり、多少の違和感を覚える演出でもありました。なんというか...エヴァがこんなに綺麗に締まってしまっていいのか? という変な感情も生まれていたことは確かです。
ただやはり、あまり感情的ではない綾波がどんどん感情を覚え、シンジの生き方に影響を与えた点、綾波が髪が長くなるまでずっとシンジのこと、初号機で想い続けていた点、あれだけキツい当たり方をしていたアスカが、シンジに対する好意を言葉でしっかりと出した点、そのあたりは、心が温かくなりつつも、同時にこの悲惨な運命に巻き込まれ使徒と戦い続けたり、ネルフ以外では生きられずシンジの眼前で死..液状になって死んでしまう様は、心に刺さるものがありました。
エヴァシリーズは失礼ながら熱心に追いかけてきたわけではないので、今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」も、別にネタバレされても全然いいなあ...くらいに思っていました。しかし、偶然Qを見る機会があり、そしてその3日後には映画館にいるくらい、引き込まれています。
あわせて、3日後とはいえネタバレにほとんど遭遇せず見ることが出来たのは、熱心なファンの方々がSNS等でネタバレを自粛されたからであると思います。それは、ファンが皆、エヴァという存在への思い入れや愛が強いからこそ、他人への配慮として自粛したからこそ、自分のような人間もネタバレに遭わず映画を楽しめた、ということであると考えます。ファンがそこまで大事にする作品であるからこそ、というか、そこまでファンが魅力を感じる作品だからこそ、四半世紀もコンテンツとして頂点に立ち続けているのではないでしょうか。
その魅力は、この新劇場版で十二分に感じました。映像美もさることながら、キャラクターそれぞれの悩みやコンプレックスが丁寧にかつ自然に描写され、その物語に生と死が絡んでくるからこそ、ファンタジーでありつつリアリティが感じられました。エヴァやネルフなんてものは現実にはないけれども、もし現実に存在したら、シンジやアスカ、トウジはどう行動するか。どのキャラクターのどの行動も、それこそシンジに銃を向けたキャラクターの行動も、全て納得できるものでした。
長時間の映画でしたが、飽きることなく最後まで見ることが出来ました。やはり他の映画とは一線を画し、媚びない、独自のブランドを見せつけた作品であったと思います。
もうこれで終わってしまったと思うと、やはりどこか喪失感があります。
もしかしたら、今様々な考察を見たくない気持ちがあるのは、考察で全ての設定が明らかになることで、完全にエヴァやキャラクターの行動が設定上のもの、あくまで映画というコンテンツという中のひとつ、と強く認識するのを恐れているのかもしれません。心のどこかで、まだまだエヴァに続いてほしいと思っているのだと思います。
とはいうものの、新劇場版はこれで完結ですし、テレビシリーズから25年も経っている以上、今後の作品はなかなか難しいかもしれません。劇中終盤に「ネオン・ジェネシス」という言葉が出てきたことから、ここからまさかテレビ版のエヴァに繋がるのかと思いましたが、そんなことはなかったですね。
少なくとも、今はまだ他人の考察を見る・知る、謎をはっきりさせるのは避けたい気持ちがあります。わからない設定は残っていますが、その設定を自分なりに考え続けることで、この新劇場版・エヴァンゲリオンシリーズは終わってはおらず、生き続けているような感覚を味わえますので、まだもう少し、謎は謎のままにしておこうと思います。逆に言えば、その謎こそがエヴァシリーズの魅力のひとつであると思いますので、そういった意味でもまだまだ、楽しんでいきたいです。