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903回目:【体験】インド・アルナチャールプラデッシュ州〜インド最後の秘境へ〜

2024年02月23日の備忘録

これは、2019年10月の記録。私は当時インドに着任したばかりの頃でまだインドの右も左も分からなかった。その時に、私が管轄している事業の一つ、「インド釣り市場開拓事業」の一貫で、釣りの大会に参加する事になった。目的は、釣具のプロモーション。インドに日本の企業が、日本の釣具ブランドをインドで輸入販売している事、インドで日本の釣具が買えるという事を認知させるためだ。大会の場所は、「アルナチャールプラデッシュ州」。どこに何の州があるかも分からない私は、とりあえず「行きます」と、当時の上司と部下に伝えた。後からGoogle mapを見たら、愕然とする場所だった。これは、その時の記憶を綴ったもの。

【1】2019年10月のとある日の午後

インド人部下「私さん。釣りの大会があって、旅費が全部大会主催者側負担です。これは、チャンスです。行きましょう。」

私「オッケー」

元上司「私くん。それは本当羨ましいぞ。本当、ドラゴンみたいな魚が釣れるところだぞ!」

私「ドラゴン?笑」

【2】セブンスシスターズ

セブンスシスターズとは、アルナーチャル・プラデーシュ州、アッサム州、メガラヤ州、マニプル州、ミゾラム州、ナガランド州、トリプラ州の、インドの7つの州の総称で「最後の秘境」、「未開拓の楽園」とも呼ばれる。

1947年にインドがイギリスから独立した時、この地域には3つの州しか無かった。マニプル州とトリプラ州は藩王国で、残りはイギリスが直接統治する今より遥かに大きいアッサム州だった。当時のアッサム州の州都は現在のメガラヤ州の州都のシロンであった。インド政府の民族・言語に従った州の再構成によって、独立後の数十年間でアッサム州から新しい4つの州が作られた。1963年にナガランド州、1972年にメガラヤ州が成立した。1972年にミゾラム州は連邦直轄地になり、1987年にアルナーチャル・プラデーシュ州と共に州になった。

今回訪問するアルナチャールプラデッシュ州は、バングラデシュのから見た右上、中国とインドの国境沿いの州だ。ヒマラヤ山脈が走るその国境沿いの今回目的地となる「Bomjir Resort」は、最寄りの空港「ディブルガール空港」から、車で片道8時間かかる。さらに、中国との国境付近という理由からも、外見は東アジア人の顔をしている。現地民からしたら、私もその部類「モンゴロイド」に属するため、非常に仲良くなりやすい。

向かった場所↓

【3】向かう道中

ディブルガール空港に降り立ち、ターンテーブルで荷物を待つ私達。すると空港職員が寄ってくる。「ロストバゲッジ」ですと告げられる。何をロストしたかと言うと、「釣竿一式」だ。これから釣りの大会に出るのに、釣竿なくてどうするだとツッコミまくったが、我々にはもうどうしようも出来ない。更には、空港に到着した午後5時、ロストバゲッジを告げられ立ち尽くす我々に追い打ちをかける様に空港がクローズした。全ての明かりが消され、空港が閉店。空港が閉店して真っ暗になることなんてあるんだと、大きな衝撃を受けつつ、我々の釣竿一式は、出発地点のムンバイにあることだけは確認し、まずは我々だけ車でそこから8時間かけて、ベースキャンプへ行く事にした。

その道中、真っ暗になったヒマラヤ山脈をひた走る。その道中、私は横に座っている部下に問いかけた。「ちなみに、我々どこ向かっているの?」と。その部下の返答は、「いや、、分からないです。」。「なんで分からんのや!?」と、部下を怒鳴り散らしたくなる思い半分、「分からない」という返答に少し笑えてしまい、一旦、私は全て時の流れに身を任せる事にした。

【4】初めて日本人が踏み入れた?

到着しベースキャンプで部下とテントで寝る。彼のイビキがうるさ過ぎてよく寝付けなかった。こいつとの相部屋は2度とやらんと心に決め、取り敢えず早朝ベースキャンプの周りを歩いてみた。

今日から数日に渡り我々はここで釣りの大会に参加する。招待ゲストとして、ブータン、イギリスなどからもスポーツフィッシングで名を馳せた方々が来ていた。そして、日本代表が釣り素人の私。オープニングセレモニーではスピーチを突然振られ、地元テレビ局からも取材を受ける。適当な事喋って何とかその場を取り繕う。こう言うインドの超奥地では、そもそも外国人がいる事すら稀で、更には日本人は初めて足を踏み入れた可能性が高い。ただ、先に書いた様に、このエリアのインド人はとても我々東アジア人と顔が似ていて、日本という国に少し憧れを持っている。私がベースキャンプでインド料理を手で食って英語を話すわけで、現地民からも「違う村から来た人」と最初間違われたほどよく似ている。ただ、話をしてみたら「日本人」と分かり、そこから、とても熱烈な歓迎を受け、皆初めて日本人を見たと私に言ってきた。

【5】肝心の釣り大会

残念ながら釣り大会は全日程で悪天候にみまわわれ、釣りコンディションは最悪であった。途中から、徐々に私は釣りよりも、ここアルナチャールプラデッシュ州の現地の生活などに興味を持ち始める。

【6】現地民との友情

釣り場に行く道中、キャンプで飯を食う時など、本来スペシャルゲストとして来ている私は、現地の人達からおもてなしを受ける側。しかし、徐々に現地の人達の事に興味を持ち始めた私は、むしろ、釣り仲間よりも、それをもてなす現地側の人達の輪の中に入り始めた。飯の準備をしている時、買い出しをする時、釣り場に行く時、ほぼ全て現地の人達と行動を共にした。すると、彼らも私を受け入れてくれて、「私さん!こっちの車乗りなよ!」と誘ってくれる様になった。

現地サポートメンバー側+日本人1人
ベースキャンプの調理場で現地民と団欒
釣り場へ向かう道中

インドの僻地のサポートメンバーと言っても舐めてはいけない。彼らは、「ユーチューバー」としても生計を立てており、我々の釣りツアーを一眼レフカメラ、ドローン空撮、ゴープロを駆使して撮影してくれる。

調理場では、インド人でありながらも、ヒンドゥー教を信仰しておらず、現地の宗教を信仰しているため、「牛」が食える。彼ら現地のサポートメンバーが我々ゲストに提供してくれたマトンカレーも美味しかったが、その調理場でうろうろしていた私。ふと「牛肉」を炒めているのを見る。それなんだ?と聞いたら、「牛肉のカレー」だと。我々ゲストの多くは勿論ヒンドゥー教なので、牛は食べれない。この牛肉カレーは、彼らの「まかない」だ。ちょっと待てと、それビーフカレーじゃん!と。私、むしろまかないの方がいい!と懇願。彼らにとっては信じられなかっただろう。まさか、ゲストが「まかないの方がいい」なんて言うとは。私も、インドに来て「ビーフカレー」がローカルで食べれるとは思っていなかったので、とても嬉しかったのだ。さらに、現地民との距離が詰まった瞬間だった。

インド僻地のビーフカレー
インド僻地のビーフカレー

【7】何か勘違いされ始める

完全にインドの現地民族に溶け込み始めた私。それからも何かと色々誘われ始める。ローカル市場に行くぞやら、ツリーハウスを見に行こうやら、高台からアルナチャール見ようなど。

高台からの景色
ツリーハウス
一緒に時間を過ごした現地民
アルナチャールプラデッシュ州の道路

市場を回っている時の動画も撮った。

しかし、仲良くなり過ぎたせいか、おかしな方向に行きかける。それは、現地民の女の子から言い寄られる様になる。突如、私と明日デートしよう、明後日は私とデートしようと、次から次へと、現地の女の子から言い寄られる。挙げ句の果ては、「私の村の風習では、旦那さんは牛の体内に、手を突っ込んで、心臓を素手でむしり取って、その場で掲げたら旦那の証だよ!」と自然な会話の流れで言われる。それを聞いた時、私は確信した。「何か一つでも間違いがあったら、俺は逆に殺される可能性がある」と。なので、そこは丁重にかわし続けた。今となっては、彼女たちにはそんな気は全くなかっただろう振り返ることができるが、インドに来たばかりの私にとっては衝撃的だった。ただ、そういう生の風習を知れたのは、逆に中に入り込んだからだ。

【8】最高の思い出

それからも釣りツアー、及び、現地民からの熱烈歓迎が続く。ただ、今回の釣りツアーでは、悪天候も影響し、誰も1匹も釣れなかった大惨事で幕を閉じた。

そんな中私は、日本では絶対味わうことが出来ない衝撃的な体験をたくさん出来た。多分この記憶は絶対に消してはならない。だから、ここに書き記す事にした。最後に、現地サポートメンバーの撮影クルー達が私たちの釣りツアーを編集し、YouTubeにアップしてくれた。これは、一生の思い出だ。ありがとう。アルナチャールプラデッシュ州のみんな!動画ありがとう!アシッシュ!(現地撮影クルーの友達)

この動画がとてもカッコよく編集されている。↓

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